《十二》榛色の瞳の娘 前
鋭く、女の声が聴こえた。
木々の向こうに若い女と、それを囲む数人の男。女のほうが低い声で何か詰っているようだ。夜珠の声に似ている。
木々を透かしてよく見れば、女は舞の装いに毛皮のついた披風を羽織っていることがわかる。
――やはり夜珠だ。足元がおぼつかないのか、男の腕につかまっているようにも見える。
二胡を預けて戻ってきたのだろう、逢引というわけでもなさそうだ。
四郎は外国語が決して堪能ではない。西の言葉だったが、何を言っているのか断片的にしか分からない。
ただ、夜珠は”触るな”、と言っているようだった。
様子を見に行こうと足を向け、ついでにそこらにおいてあった庭道具の棒を拝借する。
近づくと、男たちは一見して異民族出身とわかる風貌と装束、いずれも屈強、但し背はそれほど高くない。
夜珠の腕を掴んで門の方へ行こうとする。
「『離せ!』」
夜珠が叫んだので、四郎は確信を持って腕をつかんでいる男の肩を後ろから棒で叩き、彼らの間に割って入った。
「『何してる。』」
あまり発音に自信はなかったが、男たちはそれでこちらを振り返った。
腕をつかんでいた男は手を離し肩を押さえている。
近くに緑珠がいて、四郎とわかると寄ってきた。
「四郎さま。」
「どうした。」
男たちのほうから視線を動かせないので、振り返らず聞く。
「書寓が急にふらついたところで、あの者たちが書寓を連れて行こうと。」
緑珠はさすがに動転した様子だ。
「『離せ。』」
声をかけたのが背は高いが細身の若造であることがわかると男たちは鼻で笑う。
と同時に夜珠が針らしきものを放った。
何人かが逃れて闇に消え、数人がそこに残った。
針を受け、残った全員が、膝をつき姿勢を保てず、床に倒れ込む。
「横入りするまでもなかったかな?…大丈夫か。」
「いえ。…助かりました。連れて行かれそうだったので…。」
夜珠は酷く気分が悪そうだった。
緑珠が駆け寄る。
「きっと先ほどの侍女から受け取った飲み物のせいです。」
緑珠は言って、玻璃の杯を差し出した。
「何。」
四郎は眉をひそめた。
杯を受け取って匂いを嗅いでみる。柑橘の果汁、その中に微かに匂う。
「果汁で分かりにくいが薬が混ぜられている。…味に違和感は。」
「普通に柑橘の味ですが…ほんの少しだけ、苦辛かった、かも…。」
四郎はもう一度、杯を嗅いでみる。
「ごく少量だろうが…。おそらく、天仙子だ。」
天仙子は菲沃斯の種で、麻酔や鎮静に用いられる生薬だが毒性が強い。
裏の世界では媚薬の効果があると信じられているそうだ。
葉は独特の匂いがあるものだが、種には微かな匂いしかない。嗅いでみた感じのこの量では普通の人間は気づかない。
少量でも昏倒するほどだが夜珠を見た感じでは症状は軽い。
顔にはほんの少し紅潮が見られるが、瞳孔は散大していない、震えもない。
――素人が盛ったのにしては量が計算されている。
害するためではなく連れ去りを楽に遂げるためだ。
「とりあえず吐かせて来るんだ。これを。」
懐から常に持ち歩いている包みを出し、緑珠に渡す。
「これは?」
「毒消しの炭の粉だ。吐かせたあと水に溶かして飲ませるんだ。気を失うようなら呼べ。」
「…はい。」
緑珠は夜珠を連れて物陰へ行った。
四郎は男どもに向き直る。
「なぜ彼女を連れて行こうとした?」
手近の者を捕まえて引き倒し、顎下を持っていた棒で締め上げる。
「…高官の屋敷で拐かし、とは感心しないな。彼女は官妓でね、名の知れた高級妓女だから勝手に連れて行くと役所がすぐ出張ってくるだろう。…お前、亮の言葉は分かるだろう?」
「…。」
「もう一度聞く。目的は何だ。」
男は苦しげに息を継いでいるが答えない。かわりに夜珠が向かった方を指さし何か言っている。
「…やめろ。そいつは亮の言葉が話せない。」
「お前は。」
棒を言葉が通じる方の男に振り向けると、押さえつけられていた男が激しく咳き込む。
「…ゆっくり、なら。」
男は低い声で答える。
「誰の命令で連れて行こうとしてる?目的は何だ。」
「答えると思うか?」
「答えないならしかるべき機関に引き渡すだけだな。」
何かが頭をよぎったらしく男は青ざめた。
「わ、わかった…話す。ただ我々も金で雇われただけなんだ。報酬が破格に良かったから。半金前払いだ。」
人ひとり拐かすならかなりの危険がある。理由があるから報酬が破格なのだ。そうでなくては誰も引き受けない。
「依頼者は。」
「女だ。頭巾を被っていた。この屋敷の宴で榛色の瞳の妓女が踊るから、所定の時間、場所へ連れてこいと。」
「女、だけじゃわからないな。」
棒の先で心臓のあたりを突くと男は顔色を変えた。
「まっ待て。…声は若そうな気がした。二十半ばから三十半ば、身なりは…頭巾のついた披風は良いもののようだった。他に二人女がいた。」
「全員女?」
少々意外な気がした。
「ああ。一人はここに招き入れる役だった。」
「知らない女か。」
「なんで声がかかったかもわからん。奴らは、この妓女と話がついていると言った。抵抗する演技をするかもしれないがそれは妓楼に対しての表向きだから、と。」
男は首をひねりながら言った。
「消えた者とお前とここに残った者たちの関係は。」
「…俺は月黎生まれで、鏢局※をやっている。主に月黎や瀚黎方面を専門に請け負っている。かなりの弱小だがな。ここに残っているのは俺が雇ってる奴らだ。消えた奴らは頭巾の女が用意した。」
「なるほど。…その女からいくらもらった。」
男は懐に銀子があるから見てくれ、という。
四郎は確認し呼笛を吹くと、男に言い放つ。
「この二倍出そう。素知らぬていで今からそこに俺たちを案内しろ。」
「…それで俺は許してもらえるのか?」
男はきょとんとする。
「さあ?俺に言っていないことはないか?正直に答えるならだな。同意している者を連れて行くだけ、という依頼だったんだろ。」
「欲に目がくらんでしまったかな。こんなことになるとは。」
男は肩を落としてぼやく。
待機させていた護衛たちが庭に入って来た。
事情を説明し鏢局の男たちを引き渡し、外に連れて行かせる。
外に逃げた者も結局夜珠の投げた針のせいで、それ以上動けなかったようで捕らえてあるという。
そこへ緑珠が夜珠を支えながら戻ってきた。
「夜珠は大丈夫か?」
緑珠が、ひとまずは、と頷く。
それから、夜珠に薬入りの飲み物の杯を渡した侍女。
特徴を緑珠から護衛に伝えさせ、屋敷内を捜索させる。
これは想定通り、失敗したと見て姿を消していた。
おそらく、その女三人のうちの一人。
坊内で捜索させ、ほどなく見つかった。
夜珠が体勢を崩す。
とっさに支えたが立っているのがやっとのようだ。
「吐いたか?」
「少しですが。炭の粉も飲んでもらいました。」
四郎と緑珠は夜珠を支えながら、外に向かう。
中庭に人が少なくて騒ぎにならなかったのは良かった。
護衛に、三郎へこの顛末と、屋敷の主へ夜珠の辞去の伝言を頼む。
三郎はすぐ出てきた。いつの間にか扮装の化粧を落としている。なんて大胆な。面が割れているというのに。
護衛に命じて呼んでこさせた馬車に急いで押し込めさせた。
夜珠は馬車に乗せたあと、緑珠にもたれていつの間にか眠ってしまった。
「よく眠っているね。…まさか仮にも高官の屋敷内で狙ってくるとは。」
眠る夜珠を見て、三兄はのんびりと言う。
要するに兄は知っていたのである。
「夜珠は囮ということですか。先に言っておいてくださいよ。」
「そう気色ばむんじゃないよ。夜珠が申し出たことだ。」
自分はどうやら試されたらしい。
「まさか天仙子も分かっていて盛られたのじゃないでしょうね?危険な薬ですよ…。」
「なんで、お前が腹を立てるんだ。天仙子を盛られた?…それはさすがに想定外だった。大丈夫か。」
緑珠が返答する。
「既に吐き、炭の粉も飲ませました。…今は落ち着いてるのですよね?四郎さま。」
「俺は医者じゃない。飲まされたことがあるから分かるだけだ。絶対とは言えん。…ともかく我々は今から鏢局の人間だ。」
西域風の変装をしていたことが役立つとは。
「緑珠は頭巾を被って薬を盛った侍女のふりをしろ。ちょうど背格好も近いから頭巾を被っていればすぐには分からない。」
「…わかりました。」
聞き出した落ち合う場所は西市北、醴泉坊の異教寺、時刻は戌の正刻。
少し離れた場所で馬車を停める。
手配していたなじみの医者が先に来て護衛と待っている。
夜に呼び出されたのが異教寺の集まるあたりとあって不安げにしている。
「若さま。」
「見てやってくれ。すぐ吐かせ炭を飲ませたが、おそらく天仙子だ。」
拝借したままの玻璃の杯を手渡す。
医者はそれを嗅ぎ、夜珠の脈や瞳孔を診る。
「脈は少し早いですが症状は落ち着いているみたいです。私は若さまほど鼻が効きませんのでごくごく微かにしかわかりませんが、おっしゃる通り主たる薬は天仙子かと。」
「一晩ぐらいは眠りこけるかと。覚めるときに幻覚を見ることがありますので、それまでは誰か側にいておくようにされるがよいでしょう。」
四郎はとりあえず胸を撫で下ろした。
誰であれ、重篤な状態に陥ったり、死んだりしてほしくはない。
「炭粉をすぐ飲ませたとのことですので、これ以上解毒の必要はそれほどないと思いますが、どうしましょうか。遠い大陸の豆の生薬ですので値が張ります。」
「念のため出しておいてくれ。」
医者は他に注意点など説明し、薬湯にする生薬の包を緑珠に持たせると馬車から出ていった。
四郎はゆっくり息をつく。
夜珠がくしゃみをして目を覚ます。ちりんと鈴が音を立てる。
「大丈夫か。」
ゆっくり頷いて、またくしゃみをした。鼻が赤くなっている。
弟妹にしてやっていたように夜珠の被風を掻き合せてやろうとして留まり、緑珠に指示する。二人で支えながら馬車から夜珠を降ろした。
護衛は精鋭を残して潜ませてある。
しばらく門で待つと、女二人が現れた。
三郎が手を挙げると現れた護衛たちが取り囲む。
失敗したと悟って女たちは逃げ出そうとする。
「取り押さえろ!」
ばたばたと足音が入り乱れるがすぐに勝負はついた。女二人は護衛たちに肩と腕を掴まれ跪かされる。
「女たちと鏢局の者を連れて行け。」
鏢局の男は、悲鳴のような声を上げる。
「おい、兄ちゃん、話が違うじゃないか!」
「今日は一日獄に泊めてもらえ。獄吏には話をつけてある。明日朝、調書を取ったあと放免してくれるはずだ。お前が俺に話したこと以外に何も知らないなら。止めたから拐かしの事実はないのだし、正直に話せ。」
「…本当かい。」
不審そうな鏢局の男に、四郎は頷いた。
「今後、俺の役に立つ気はあるか?今夜のように喋りすぎるようでは困るが。」
「ここでひどい目に遭わないようにしてくれるなら何だってするよ。」
「そうか、では明日午後、平康坊の明月楼に来い。」
「…わかったよ。」
※鏢局
運送業と警備業と保険業を兼ねた商売のこと
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