モブ。
ヒロキの全身に、凶悪な力が満ちてくるのが分かった。今までの比じゃないパワー。
こいつ、さらに闇堕ちしやがった。
まずい。あんなもんを現実で食らったら。
俺は梨夏ちゃんを引っ張って、強引に彼女の前に立つ。
「さつきさん、だめ!」
「お前ら二人、まとめて消し飛ばしてやるよ!」
「梨夏ちゃん、逃げろ!」
「さつきさん!」
衝撃に備えて、俺はきつく目を閉じた。
だが、衝撃は来なかった。
おそるおそる目を開くと、俺の前に三人の男女が立っていた。
何の特徴もない、おっさん二人とおばさん一人。
「あんたか、こんなところでおかしな力を使ってるのは」
とおっさんの一人が言った。
「危ないからやめろよ、迷惑だろ」
「そうよ、みんな困ってるのよ」
とおばさんがキンキン声で言う。
「早くやめなさい、こんなこと」
「そうだぞ、あんたいい年してばかげた真似すんな」
二人目のおっさんが、声を荒げる。
「警察呼んだからな」
まずい。この人達、一般人だ。
ヒロキのヤバさを知らないこんな人たちを巻き込んだら、大変なことになる。
「黙れ、モブども!」
案の定、ヒロキは怒り狂った。
「みんな、逃げろ!」
俺は叫んだ。
「え?」
おっさんたちが呑気に振り向く。その瞬間、光が炸裂した。
「うわっ」
「きゃああ」
おっさんたちは吹っ飛ばされて倒れた。
俺と梨夏ちゃんは、おっさんたちが盾になってくれたおかげで無事だったけど。
「ヒロキ、もうこんなことやめろ!」
「うるさい! 黙れ!」
ヒロキがまたも腕を振り上げる。
ぴぴぴぴぴっ!
けたたましい警笛の音が鳴り響いた。
「そこで何をしている!」
駆けつけてきたのは制服の警官だ。
ああ、でもだめだ。
警官一人じゃとてもヒロキになんて太刀打ちできない。
「さっきの爆発は、君が起こしたのか!」
……あれ? この声。もしかして。
「ジュンさん!?」
警官は俺の方を一瞬だけ見て、帽子の下の目でにやりと笑った。
どういうことだ。これは。
俺はその時、自分が再び物語世界の中にいることに気付いた。
いつの間にか、現実から物語世界に戻っている。
どうして。
「薄汚いモブが、俺の邪魔をするなああ!!」
ヒロキの力が炸裂し、ジュンさんは吹っ飛ばされた。
「ぐわあっ」
だけど、そこに。
「何してるんだ!」
「もうやめろ!」
「あなた、いい加減にしなさいよ!」
「お前、そのへんにしとけよ!」
現れたのは、雲霞のごとき人々の群れ。
モブ。
それは、まさしくモブと言うべき大群衆だった。
老若男女。
あらゆる世代の一般人と呼ばれる人たちが、そこにいた。
ほとんど個人の区別なんかつかない。その数は何百人。いや、何千人?
それはただただ圧倒的な数量としての、人の群れだった。
そして、その先頭にいるのは。
「A太!」
「待たせたな、B介!」
A太は手を振り上げた。
「みんな、目標はあの野郎だ!」
呆気にとられた様子のヒロキを指差す。
「ふん捕まえろ!」
「おおー!!」
地を揺るがす、大群衆の雄叫び。
すげえ。
世界が震えてる。モブの声で。
「舐めるなあああ!!!」
ヒロキが鬼のような形相で腕を振り上げた。凄まじいパワーが渦巻く。
爆発。A太を含む先頭集団が吹っ飛ばされた。
「ああ、A太!」
でも、群衆は後から後から押し寄せてきた。
ヒロキがどれだけの力で彼らを吹っ飛ばしても、人々は無尽蔵に湧いて出てきた。
俺はその中に、二度目の登場のA太を見た。
「行けーっ!」
現実世界で傷を癒したらしく、A太は元気に叫んでいた。
「きりがないな、物語に群がる蛆虫どもめ」
ヒロキは右腕を上げた。
「物語の中だからって、図に乗っているんだな」
それは、物語世界を格納するときのポーズだった。
やばい。この場を現実世界に戻そうとしている。
そうなれば、ヒロキの攻撃を食らう人々は無事じゃすまない。
「みんな、気を付けろ! 世界が切り替わるぞ!」
俺は叫ぶ。ヒロキがにやりと笑う。
「現実の厳しさを教えてやるよ、モブども!」
だが。
だが、物語の世界は揺るがなかった。
現実世界には戻らなかった。
「……え?」
ヒロキは自分の力が使えなかったことにはっきりと動揺しながら、それでも衝撃波で人々を吹き飛ばす。
ぷるるるる。
突然、俺のスマホが鳴った。
呆然としていた俺は、反射的に出てしまった。
「もしもし」
「B介さん、寺井です!」
明るい声。
「あ、寺井君」
「すみません、遅くなりました!」
「いや、全然」
「いやー、物語の世界ってすごいですね。僕、初めて入りましたけど、研修で聞くのと実際に見るのとじゃ大違いですね。今まで現場を知らずに派遣の割り振りをやって、仕事した気になってた自分が恥ずかしいです」
「えっ、寺井君、今この物語の中にいるの?」
「はい、そうです!」
そうだ。そうでなければ、現実世界にいるはずの寺井君と電話で話せるわけがない。
いや、今はそんなことどうでもいい。
「それより、これ、一体どうなってるの。いきなりモブのみんなが大量に現れたし、ヒロキが現実世界と行き来できなくなってるんだけど」
「実は僕、能勢さんの物語の作者さんと連絡を取ったんです」
寺井君の声は弾んでいた。
「続きを書いてもらったんです、能勢さんの物語の!」
「え!?」
「作者さんにB介さんと能勢さんの関係をお伝えしたら、すごく面白がってくださいまして。いやー、作者さんの筆が進む進む。あっという間に展開を書き上げてくださって。だからもうその物語はエタりかけじゃないし、能勢さんも現実との境にいる人じゃないんです」
「つ、つまり、ええと」
上手く理解できない。
「どういうこと!?」
「ヒロキも、敵役としてちゃんと物語の登場人物に設定していただきました。だからヒロキはもうモブじゃないんです。もうその物語から出ることはできない。現実世界に力を及ぼすことはできなくなったんです」
寺井君の声は興奮していた。
「A太さんには、モブの皆さんを片っ端から集めてもらいました。皆さん、横の連携がすごいですね。あっという間にねずみ算式に人数が膨れ上がっちゃって。もうそっちに着いてますよね? ついでに僕も物語に入れてもらって、それでB介さんとこうして電話ができてるってわけです」
「え、ええと、確かにすげえけど、そしたら後はどうすれば」
「後は、ヒーローが決めるだけです!」
「ヒーロー!?」
ヒーローだって?
寺井君、この物語にはヒーローがいないんだよ。
そのせいでヒロキに簡単に乗っ取られちまったんだから。
「お願いします!」
それだけ言って、電話は切れた。
「え? 寺井君!?」
突然、肩をぽん、と叩かれた。
そこにいたのは、眼帯をしたごついおっさん。
明らかに世界観の違う、ファンタジー世界の盗賊。
「ゾークさん……!」
「見ろ、B介」
ゾークさんは太い腕を上げて、ヒロキを取り囲むモブたちを指差した。
「みんな、A太からお前の話を聞いて駆けつけてきた。ほかの会社のモブまで、知り合い全員引き連れてな」
A太やジュンさんだけじゃない。
そこには、C級冒険者のチャーリーさんも、D郎もE子さんもF男もG美さんも、ミロさんも羊さんもいた。
そう言えば、最初のおっさんってもしかしてH川のおっさんだったか……?
「俺たちゃただの群衆だけどな」
ゾークさんは言った。
「だけどみんなが一つの目的を持ってそれに向かって動いたとき、群衆は軍団に変わるんだ」
軍団。
そう。それはまさしく軍団だった。
世界を守り、物語を守るという大きな一つの目的を持って、それに向かって邁進する圧倒的な人の群れ。
誰にも止めることのできない、大きな流れ。
群衆から、軍団へ。
「モブはモブの役割を果たしてる。だから、後はお前が決めるだけだ。ヒーロー」
「ヒーロー?」
俺はおずおずと自分の顔を指差す。
「俺が?」
「名前、もらったんだろ?」
ゾークさんは俺の後ろに目を向けた。
「ヒロインに」
「……あ」
振り返ると、梨夏ちゃんが真っ直ぐな目で俺を見上げていた。
「さつきさん」
梨夏ちゃんは俺の手をしっかりと握ってくれた。
柔らかく、温かい手。
「私、いまだにこれが何なのか全然分かってませんけど、でも今やるべきことだけは分かります」
そう言って、ヒロキを指差す。
「あの人を止めましょう!」
「……よし」
俺は頷いた。強く、梨夏ちゃんの手を握り返す。
「行こう!」
「はい!」
ヒロキは、モブに取り囲まれながらもまだその力を発揮していた。
まるで主人公が使うみたいな光の技で、みんなを吹っ飛ばしている。
「ビビるなよ、ヒーロー」
ゾークさんが言った。
「行け、今までの物語全部背負って」
「はい!」
俺と梨夏ちゃんは、手を繋いだまま二人で突っ込んでいった。
俺たちの姿を見ると、ヒロキは逆上した。
「その女から離れろおおおおお!!!!」
絶叫だった。
それとともに、凄まじい光の束が俺たちを包む。
だけど、それは俺も梨夏ちゃんも傷つけることはなかった。
俺たちは守られていた。物語の力に。
それこそが、ヒーローとヒロインの持つ力だった。
何事もなく真っ直ぐに突っ走ってくる俺たちを見て、ヒロキの顔が歪んだ。
「どうして……」
泣きそうな声だった。
「わああああっ!!」
無茶苦茶な攻撃。
光が乱れ飛び、巻き添えを食ったモブたちが次々に吹っ飛ばされる。
だけど、俺たちにはかすりもしなかった。
嵐のような攻撃を全部かわして、ヒロキの元に辿り着く。
「おらあああああっ!!」
俺はその勢いのまま、ヒロキを地面に押し倒した。
「うがああっ!!」
それでもヒロキは身をよじって抵抗しようとした。その手を、梨夏ちゃんが掴んだ。
「ヒロキさん。あなたが誰なのか私は知らないけど」
梨夏ちゃんは言った。
「でも、みんなを傷つければ傷つけるほど、あなたも傷ついているのは分かるよ。だからもう終わりにしよう。こんな悲しいこと」
ヒロキは何かを叫ぼうとした。
梨夏ちゃんが首を振る。その目に涙が浮かんでいた。
「もう、やめよう?」
「違う。俺はお前を、守りたかっただけなんだ」
ヒロキは呻くように言った。
「泣かせたかったわけじゃ……」
「うん、分かってる。ありがとう」
梨夏ちゃんは微笑んだ。
ヒロインの愛は、全てを包む。
ヒーローだけじゃなく、敵役までも。
ヒロキの目から、ぶわっと涙があふれた。
「梨夏……ごめん」
その身体から力が抜けた。
それが、ヒロキ事件の終焉だった。




