どうしようもないモブにだって、それだけは分かるぜ。
「え、討伐隊出ないんすか?」
事件の翌日、いてもたってもいられずに会社に顔を出した。
ユキシマ事件の時のように会社が討伐隊を出すのなら、それに志願しようと思っていた。
だが、森井さんからの回答は思ってもみないものだった。
「うちの会社も加入しているモブ派遣業組合でも、対応を検討したそうなんだが」
森井さんは、この人にしては珍しく言葉に少し無念さを滲ませた。
「今回は、出せないと」
「何でですか」
こんなにヤバいことが起きてるのに。
「ことが、物語世界だけの話に留まっていないからだよ。物語の中なら、怪我をしようが命を落とそうが何も問題はないが、ヒロキは現実世界でもその力を行使している。現に、我々も負傷したし、公園では負傷者が他にも出ている」
森井さんは自分の頬に貼られた絆創膏を指で示した。
「それは分かってます。だからこそ、さっさと止めなきゃ」
「落ち着いて考えてみるんだ、B介君」
森井さんは言った。
「君の言うように、モブ派遣会社で人を募って、ヒロキの討伐隊を組んだとしよう。ヒロキとの遭遇戦が物語世界で行われればいいが、現実世界で起こる可能性も十分にある。その場合の負傷は、現実のものだ。昨日の公園での力が、ヒロキの全力だとも思えない。まともに食らえば、下手をすると命を落とす可能性もある。そんな危険な任務に、社員を派遣できる会社なんてないということだよ」
「それは……」
確かに、そうかもしれない。
民間企業が社員に「死ぬかもしれないけど行け」とは言えない。
そりゃそうだろうけど。
「だけど、あいつはどうするんすか。野放しのままっすか」
「そうは言ってないよ」
森井さんは首を振る。
「昨日の公園は現実で、彼はそこで多くの人を傷つけるという罪を犯している。だから、彼の捕縛は警察の任務ということになるだろうね。モブ派遣会社は積極的に警察の捜査に協力していくという方針で一致した」
「警察……」
そりゃ、警察が捕まえてくれりゃそれに越したことはない。
だけど。
「だけど、警察に捕まえられるんですか? あんな、物語の中と外を自在に行き来するようなやつを」
「……」
森井さんは何も答えなかったが、その表情を見れば分かった。
森井さんも悔しいのだ。
会社は公的機関ではない。命を落とすかもしれない危険な任務を命じるわけにはいかない。
その理屈も分かる。
でも。
梨夏ちゃん。
あいつを彼氏だと思ってる梨夏ちゃんは、どうなる。
あの子にはもう、進むべきその先の物語も存在しないっていうのに。
会社が何もできねえっていうから、それで終わり。それでいいのか。
モブだってその程度のことを考える頭は持ってるぜ。
「分かりました。ありがとうございます」
そう言って事務所を飛び出そうとすると、森井さんに呼び止められた。
「B介君、何か考えているね」
「いえ、別に」
「無茶はだめだ。相手はアイビー以上の力を持つ闇堕ちモブだ。あの力を現実でまともに食らったら、命に係わる」
「分かってます」
俺だって、昨日今日のモブじゃない。そんなことは言われるまでもない。
「B介君」
「大丈夫です」
俺はそのまま森井さんを振り切るように外に飛び出した。
ヒロキが物語世界を自由に行き来できる以上、警察は当てにならない。会社が動けないなら、俺は個人で動く。
俺があいつを止めなきゃ、誰が止めるんだ。
ヒロキが今、どこにいるのかは分からない。手がかりもない。だけど。
梨夏ちゃんを、あいつから解放しなきゃだめだ。
もしかしたら、俺が余計なことをしたせいで梨夏ちゃんはあいつに囚われたのかもしれないんだから。
まずはどこへ行こう。昨日の公園か。
そのとき、スマホが鳴った。
「……あっ」
梨夏ちゃんからの電話だった。
繋がった。切れてしまう前に。急いで電話に出た。
「もしもし!」
梨夏ちゃんは、もうこの番号に電話しても俺が出ることはないと思ってる。なのに、今、電話をかけてきた。ってことは。
きっと何か、ヤバいことが起きてるんだ。
「もしもし! 梨夏ちゃん?」
ノイズがひどい。何だかひどく遠くからの電話のようだった。
「梨夏ちゃん?」
俺はもう一度呼びかけた。
「聞こえる?」
「もし――きさん、わた――です」
梨夏ちゃんの声。よかった。
「もしもし、梨夏ちゃん。俺だよ!」
だけど、梨夏ちゃんの声はノイズに邪魔されて、良く聞こえない。
まるで見えない壁に邪魔されてるような感覚。
声が遠い。何て言っているのか分からない。
「梨夏ちゃん?」
俺はもう一度声を張る。
「俺だよ、さつきだよ」
「さつきさん、梨夏です」
よかった。通じてる。
「うん、俺だよ。梨夏ちゃん、今どこ?」
「さつきさんは――ですよね?」
「え、何? よく聞こえないよ」
くそ、やっぱり梨夏ちゃんの声が遠い。ぶつぶつと途切れる。電波の状態が悪い。
「――ですよね?」
梨夏ちゃんが一生懸命何か喋っている。でも聞こえない。
「梨夏ちゃん!」
俺は電話に声を張り上げた。
「教えて、今どこにいるの! 俺そこに行くから」
「さつきさん」
突然、声が近くなった。まるで二人の世界が近付いたように。
「さつきさんは、この世界にいるんですよね」
梨夏ちゃんは、そう言っていた。
「ちゃんと、この世界にいる人なんですよね」
「そうだよ、いるよ!」
俺は叫んだ。
「海外に行ったなんて嘘言ってごめん! 今そっちに行くから! どこにいるの!」
「ねえ、さつきさん」
梨夏ちゃんの声は震えていた。
「ヒロキって、誰ですか?」
「えっ」
「私、そんな人知らない。そんな同級生、私にはいない。なのに、何でだろう、そんな人がいたつもりになってた」
自分の背中から脳天にかけて、ぞわぞわぞわっと鳥肌が立っていくのが分かった。
「今どこにいるんだ、梨夏ちゃん」
俺は必死に呼びかけた。
「そこに行くから」
「私、駅――」
梨夏ちゃんの声がまた遠ざかる。
「駅、前に」
「駅前だな! 分かった! すぐ行くから!」
「さつきさん、私――」
何かを言いかけた梨夏ちゃん。だけど、そのまま電話は切れた。
電話はいい。今は、梨夏ちゃんのところに駆けつけるのが先だ。
だが、俺の眼前で世界が不気味な変容を始めていた。
突然、目の前の道路が途切れたと思ったら、そこに見知らぬ住宅街が現れた。
と思ったら、その先にまた道路が現れる。
「……何だ、これ」
不意に、空が曇った。
見上げると、晴れた空の一角に、切り取ったような真っ黒い夜空が覗いていた。
「……これは」
モブの俺には分かった。
これは、物語の世界だ。
現実のあちこちで、物語が勝手に開き始めている。世界がまるで、現実と物語の斑模様みたいになってる。
まさか、これも全部ヒロキがやってることだってのか。
自分がこれから対峙しようとしてる相手のヤバさに、ぞっとした。
当然、街は大混乱だ。
「なに、これぇ!」
「うわあ、どうなってんだ!」
悲鳴や怒号が飛び交っている。車のぶつかる音。ガラスの割れる音。何かの爆発音。
まるで、戦争だ。
子供の泣き声が聞こえてくる。火のついたような泣き方。世界がいきなりこんな風に変わっちまったら、そりゃ怖いだろうな。
俺も怖い。それでも、行かなきゃならねえ。
走り出す。
世界がどんな姿になったとしても、とにかく俺は梨夏ちゃんの元に辿り着かなきゃならない。
俺はどうしようもないナンパモブだけど、それだけは分かるぜ。
梨夏ちゃんを守ること。
それは、物語を守るモブとしての使命だ。




