何でこんなことができるんだ。
二度目のナンパ。三度目の居酒屋。
展開がおかしくなるとか、そういう次元の話じゃなくて、あの時点で俺たちはもう線路の引かれていない荒野を走ってたってわけか。
「それじゃ梨夏ちゃんの物語は、始まったと思ったらもう終わっちまってたってことか」
「終わったっていう表現が合ってるかっていうと、うーん。ちょっと違うかもしれませんけど」
寺井君は慎重に言葉を選んだ。
「エタったわけですから。要は、未完で投げ出されたということです。作者さんとしては、書き始めてみたら思ったよりもキャラクターが動かなかったというようなことをおっしゃってました」
キャラクターが動かなかった。
残酷な言葉だ。俺の目の前で、梨夏ちゃんはあんなにも生き生きと動き回ってたっていうのに。
でも、実際にはそういうことがたくさん起きているってことは、俺も知っている。
世の中に、エタる物語なんて珍しくない。
というか、逆なんだ。
ほとんどの物語は、エタるのだ。むしろ完結する物語の方が珍しいのだ。
書く時間がなくなったから。
意欲がなくなったから。
続きが思いつかないから。
誰にも読まれないから。
飽きたから。
大抵の物語は、そんな理由により、途中で投げ出される。
だからこそ、物語を完結させたことによって生まれる全き世界は、尊いのだ。そして、それができるからこそ、作者さんは時に「神」などと崇められることもある。
そんなことは、何年もモブをやってる俺にとっては、ごく当たり前の話だ。だから、梨夏ちゃんの物語がエタっていたとしても、驚くことはない。
そう、驚くことはない。そんなこと、理屈では分かっちゃいるけど。
「だから、B介さんがあの物語のこれからの展開を心配する必要なんて、ないんです」
「……だけどさ」
割り切れない。情けない話だけど、俺にはうまくそれが処理できなかった。
「梨夏ちゃん、あんなに元気に笑ってたんだぜ。あの子がヒロインの物語、俺だったら読みてえって思うけどな」
「考えは、作者さんそれぞれですから」
なだめるように寺井君が言った。
「それに加えて読者の好みや、その時の流行。作者さんの私生活上の都合。エタる背景には色々な要因が複雑に絡んでいるからね」
森井さんがそう付け加えた。
分かってるさ。俺だってそんなことは理屈じゃ分かってるんだって。
だけど。
だけど、どうにかならねえのかな。
「その物語に、ヒロインの彼氏としてヒロキが出てきたんだろ?」
ジュンさんが空気を変えるように言った。
「そうっす」
「それが怪しいな」
ジュンさんが腕を組む。刑事のような顔をしていた。
「怪しいって、何がです」
「乗っ取ったってことかもしれねえな。エタりかけた物語を、ヒロキが。それで彼氏面して物語に居座った。そう考えると自然じゃねえか」
「そうかもしれないな」
森井さんが頷いた。
「能勢梨夏さんの物語は、ヒロキによって乗っ取られた物語のうちの一つ。……いや、架空依頼のあった時期から考えると、最初の一つか」
乗っ取られた。梨夏ちゃんの物語が。
それはつまり、あいつが本当は梨夏ちゃんの彼氏なんかじゃないってことなのか。
「架空依頼って、何が目的なんすか」
A太が言った。
「俺、聞いててもよく分かんねえんだけど、そのヒロキってのは、何を企んでるんです」
「それは今の時点では分からない」
森井さんは首を振る。険しい表情は消えなかった。
「だが、本当にジュンさんの読み通り、そのヒロキというのがユキシマ事件の残党だとしたら、ことは急を要する。ただちに社に報告をしないと」
悪い予感がする。ものすごく、悪い予感が。
俺はズボンのポケットの上から、自分のスマホをまさぐった。
こっちから一方的に連絡を絶ってしまった、梨夏ちゃん。もしかして、俺はとんでもない間違いをしちまったんじゃないのか。
「……あれ?」
突然、A太が俺の背後を見て声を上げた。
「何だ、あいつ」
「え?」
「おい、何かやばくねえか」
振り返ると、そこにあいつがいた。すらりとした長身。さらさらの茶髪。切れ長の鋭い目。黒のパンツに黒のシャツ。
俺はそいつを知っていた。見間違えるわけもない。
「……ヒロキ」
ヒロキは胸の高さまで挙げた右手のひらに、何かバチバチと放電する球体を持っていた。
まるで、物語の中の主人公。異能力ファンタジーの現場なら、よく目にする光景だ。
「なんだよ、あのエネルギーボールみたいなの」
「いや、知らねえよ」
「……どういうことだ」
森井さんが目を見張る。
「ここは現実だぞ」
その言葉で、俺も我に返る。
そうだ。ここは現実――
ヒロキが薄く微笑んだ。と思った次の瞬間、ヒロキはその球体を俺たち目がけて投げつけた。
「噓だろっ!?」
とっさに身構える。球体は、俺たちの目の前の地面を抉るようにして爆発を起こした。
五メートルくらい吹き飛ばされて、地面に投げ出されたが、身構えていたおかげで打撲と擦り傷程度で済んだ。
だが、A太やジュンさんたちはみんなまともに爆風を食らっちまったようで、地面に倒れたまま動かない。
まさか、現実世界であんな物語の中みたいな攻撃を受けるとは思わなかっただろう。俺だってそうだ。
「何だよ、お前」
俺は叫んだ。
「何で、こんなことができるんだ」
ここは現実世界だ。
闇堕ち深度3のアイビーは、手も動かさずにツタのようなエネルギーを放って大の大人を何人もなぎ倒してみせた。
だけど、それも物語の中だったからこそだ。
闇堕ちしたモブが超人的な力を発揮できるのは、あくまでも物語の中だけ。
それは、絶対のルールだったはずなのに。
現実の世界でこんな力を振るえるのなら、本当の超人じゃねえか。
ヒロキは何も言わなかった。無言のまま、同じようなエネルギーボールを近くにいた他のモブたちに放った。
爆発とともに、悲鳴が上がる。
「おい! やめろぉ!」
俺は叫んだ。
心地よさそうな薄笑いでそれを聞いたヒロキは、身を翻した。その身体が、見えないカーテンに遮られるかのように消えていく。
それが物語の世界へ行ったんだということは分かった。
こいつ、作者でもないのに物語を自在に開閉できるのか?
俺の身体は、恐怖で動かなかった。
ヒロキはそのまま、姿を消した。
その日、公園ではたくさんのけが人が出た。
物語の世界だけではなく、現実の世界にまで影響を及ぼす闇堕ちモブ。
そんな存在は、今までにいなかった。
あのユキシマですら、超人的な能力を発揮するのは物語世界の中だけに限られてたっていうのに。
そして俺は、梨夏ちゃんはそんな恐ろしいやつのそばにいることが幸せなんだと、自分の独りよがりで判断して、一方的に連絡を絶ってしまった。
自分のバカさ加減に無性に腹を立てながら、何度も梨夏ちゃんに電話をかけた。
だけど、とうとう電話は一度も繋がってくれなかった。




