あいつ、やべえぞ。
梨夏ちゃんとの連絡を絶ってから、一週間が過ぎた。
梨夏ちゃんからの電話は、あの日を最後にもう来ていない。よかった、とほっとしている反面、寂しい気持ちにもなって、自分のバカさ加減に呆れた。
俺は、梨夏ちゃんのことを振り切るように仕事に力を入れた。
「おお、今日のB介、鬼気迫ってんな」
あの日以来の一緒の仕事になったA太は、嬉しそうにそんなことを言った。
梨夏ちゃんとの連絡を自分から切ったと伝えると、
「まあ、それがいいのかもな」
とA太は言った。
「所詮、モブとヒロインじゃどうあがいたって幸せにはなれねえ。お互いに不幸になることが分かり切ってるからな。賢明な判断だと思うぜ」
そう言ってから、俺の表情を見て肩を叩いた。
「まあ、そう割り切れるもんでもねえよな。モブだって人間だからな。痛みも感じるし涙だって出るよな」
「……ああ」
A太の言う通りだ。俺は、賢明な判断をした。梨夏ちゃんは俺のことなんかもう忘れている頃だろう。
君の正しい物語が、明るいものでありますように。
「さあ、それはそれとして今日の仕事頑張りますか」
話を変えるように、A太が明るい声を出した。
「なんせ、でかい仕事だからな」
「ああ、そうだな」
俺も、無理やりにテンションを上げる。
「こんなの初めてだよな」
そう。今日の俺たちのナンパは、いつもとは一味も二味も違う。何かと言えば、舞台がでかいのだ。
大きな公園の野外に設けられた特設ステージ。
ここで、新人アイドルグループのイベントが行われるのだが、そのメンバーの一人がやむを得ない諸般の事情によって遅刻してしまう(俺はモブなのでその辺の詳細は知らない)。
必死に公園に駆けつけた彼女を、空気も読まずにナンパするのが俺とA太の今日の仕事だ。
結構大掛かりな舞台なので、この現場には俺たち以外にもたくさんのモブがいる。
アイドルの子たちの可愛さに熱狂する称賛系モブ。
アイドルの個人情報からライバルグループの情報まで、何でも知っている解説系モブ。
熱狂的ファンをアイドルから遠ざけるために奮闘する、警備員モブ。
コンサートやイベントの会場っていうのは、まさにモブの見本市みたいなところだ。
うちの会社からも俺たち以外のモブが派遣されているようで、何人か顔見知りに挨拶された。そのうち、俺たちがちゃんと誰なのか識別できたのは半分くらいだ。仕方ないよね、モブだから。
「お。始まったぞ」
俺たちの背後で歓声が上がる。
ステージに、きらびやかな衣装の四人の女の子たちが登場したのだ。
「皆さんこんにちはー!」
本当は五人組のアイドルなのに、一人足りない。それも人気ナンバーワンのメンバーが。
これは由々しき事態だが、これ以上集まったファンを待たせるわけにはいかないってことで仕方なくイベントを開始したのだろう。客席からは歓声とともに、戸惑ったようなざわめきも聞こえてくる。
「さ、配置に着こうぜ」
「おう」
俺とA太は不自然に一か所スペースの空いた隊形で踊り始めたアイドルの子たちを尻目に、公園の入り口へと向かう。
俺たちナンパクズは、アイドルのような手の届かない子には興味はないのだ。興味があるのはあくまで、自分たちが直接声を掛けることのできる女の子のみ。
公園の入り口でうんこ座りをしてしばらくだらだらしていると、肩から大きなトートバッグを提げた女の子が一人、息を切らして駆けてくるのが見えた。
帽子をかぶって眼鏡をかけているので顔ははっきりと見えないけど、スタイルの良さが明らかに一般人の女の子とは一線を画している。
「来たな」
「ああ」
俺たちは素早く立ち上がると、女の子の前に立ちふさがった。
「こんにちは、お姉さん! そんなに急いでどこに行くの!?」
「絶対楽しいとこ行くでしょ、俺らも一緒に行っていい!?」
「え、あ」
一瞬びっくりして足を止めた女の子だったが、すぐに自分の状況を思い出したらしく、そのまま俺たちの脇をすり抜けようとした。
させるかい。
俺たちはバスケット選手張りのディフェンスでその前に回り込む。
「なになに、無視しないでよー!」
「そんなに冷たいと俺ら傷ついちゃうんだけどー!」
「ごめんなさい、ちょっと急ぐから」
うつむいたまま女の子は強行突破を図ろうとする。だが、俺たちも仕事だ。そんな簡単に行かせたりはしないぜ。
「え、声もめちゃ可愛いじゃん!」
「ほんとだ!」
「すみません、通してください。ほんとに急ぐので」
「何そんなに急いでんのー? 公園なんてみんなのんびり散歩とかするところだよー?」
「あ、分かった!」
A太が嬉しそうに声を上げる。
「今向こうでやってる“ピンクシャボン”のイベント見に来たんでしょ! 超奇遇! 俺らもそう!」
「あ、そういうことか! 大丈夫だよ、今始まったばっかだから」
「え」
女の子がぎくりと身体を強張らせて顔を上げる。
「もう始まったんですか」
「うん。なんか時間よりずいぶん遅れてたけど、今さっき始まったよな」
「ああ。ほら」
公園の方から女の子たちの歌声が聞こえてくる。
「ああ……」
青ざめた顔で女の子が吐息を漏らす。そのまま走りだそうとする彼女の肩を、俺はさっと捕まえた。
「どこ行くの、だから一緒に行こうって」
その拍子に帽子が落ちて、長い髪がふわりと風に広がった。
「あれ?」
俺とA太はその子の顔を凝視する。
「もしかして、君って」
女の子がさっと顔を伏せて帽子を拾い上げる。
「まさかピンクシャボンの」
「おう、お前ら」
突然の野太い声に振り返ると、さっきまで公園の入り口の屋台で焼きそばを焼いていた、いかついおっさんが立っていた。
「なんだよ、おっさん」
「その子困ってるじゃねえか。行かせてやれよ」
「関係ねえだろ、すっこんでろよ」
「そうだぜ。痛い目みてえのか」
おっさんの制止に、簡単に殺気立つ俺たち。獲物を横取りされるときのジャッカルの気持ちだぜ。がるるるる。
おっさんは顎をしゃくって、女の子にさっさと行くよう促した。女の子はぺこりと頭を下げて走り出す。
「あ、待てよ!」
追いかけようとした俺たちは、おっさんの太い腕に捕まった。
「お前らは俺と仲良く話でもしようじゃねえか」
すげえ力。
「いでででで! 離せよおっさん!」
A太が喚く。
「くっそ! 多分あの子ピンクシャボンの」
「うるせえなあ」
めきめきめき。
「ぎゃああ!!」
おっさんの力がさらに強まり、俺たちは情けない悲鳴を上げる。
このおっさんは、これからのストーリーにもちょくちょく登場するキーマンらしいので、モブではない。だから力もすげえ。
まあとにかく、女の子がこのまま走り去れば、それで俺たちの仕事は終わり。
彼女がステージに出るまでには、まだあといくつか障害があるらしいけど、それはもう俺たちの関知するところじゃない。
おっさんにいつまでも締められてたら死んでしまうから、あの子にはさっさと視界から消えていただきたい。
と思ったときだった。
突然、脇の茂みから飛び出してきた若い男が、走る彼女の腕を掴んだ。
「きゃっ」
「あ?」
「なんだ、あいつ」
俺たちもおっさんも目を剝く。
「こっちだ!」
とそいつは言った。
「ステージまでは、こっちが近道だから!」
待て待て。聞いてねえぞ、そんな展開。
ヒロインを助けに現れたヒーロー?
いやいや、そんなわけない。俺たちモブには、そいつがモブかどうか見分ける嗅覚がある。あいつは間違いなく、モブ。だからそんな重要な役を仰せつかるわけがない。
そもそも、ステージって。あの子の正体を知らなきゃ絶対に出てこないセリフ。
「あいつ、M山だ」
A太が言った。
「なんで、あんなことしてんだ」
「M山って、うちの会社の?」
「ああ。ほら、忘年会で」
そうか。M山って、忘年会のときにモブの役割がどうとかでおかしなことを言い出して、A太と言い合いになってたあいつか。顔は全然覚えてなかったけど、言われてみればそんな気もする。
M山は戸惑う女の子を強引に脇道に引っ張り込んでいく。
『ああー、ちょっと! 何やってんの!!』
悲鳴のような天の声が聞こえてきた。
作者さんだ。
そりゃそうだ。いきなりモブがあんなことしたら、これからの展開が全部ひっくり返っちまうもんな。
「A太」
おっさんの腕の中で身をよじって、俺は相棒に顔を向ける。
「あいつ、やべえぞ。もしかして闇堕ちしかけてんじゃねえか」
「可能性はあるな。止めねえと」
さすが、モブ同士。俺たちの見解は一致した。
忘年会のときから、言動はおかしかった。それでもまあ、ゾークさんが苦笑して聞き流す程度の内容だった。だが、あれから数か月。今の行動は、さすがに看過できない。症状がさらに進んでるんじゃねえのか。
「誰だ、あいつ。あの子の友達か?」
モブではない屋台のおっさんは、M山の横槍にきょとんとしている。
「おっさん、すまん」
「俺ら、行くわ」
「え? あっ!」
隙をついておっさんの腕からにゅるんと抜け出した俺たちは、そのままM山を追って走り出す。
「あ、こら! 待て!」
おっさんの怒号が背後から聞こえるが、止まってなんかいられない。今は物語を守らないと。




