だから、待ってって。
何を言われたのか、一瞬分からなかった。
「……どういうこと?」
「うちは前払い制ではないので」
と寺井君。
「うちの会社から作者さんに料金の請求が行くのって、依頼後、通常一、二か月してからなんです。それでまあ、大した額でもないので作者さんも気が付かなかったと。だけど、年末に確定申告の関係で口座の履歴を見直していたら、頼んだ覚えのないモブ依頼で二度もうちからの引き落としがされているって」
「ま、待って。待って」
理解が追いつかない。なのに、寺井君はどんどん喋る。
「B介さんの二件だけじゃないんです。そういうクレームがその頃から別の作者さんでも何度か発生していてですね。うちのシステムの不具合じゃないかって言われて、僕と倉井さんで年末年始返上で去年の依頼データを総ざらいしたんですけど」
「だから、待ってって」
ぺらぺらと喋り続ける寺井君を止める。
「急にいっぺんに言われても分かんないから。え、どういうこと? 作者さんが依頼してないって、何? そんなことあるの?」
「僕も、そんなことあるのかって思うんですけど」
寺井君は電話の向こうでため息を吐いた。何だか年末に電話した時に比べてすげえ老け込んだみたいに聞こえる。
「……疲れてるな、寺井君」
「分かりますか」
寺井君は暗い声で言った。
「年末年始は、田舎に帰省しようと思ってたんですよ。向こうで同窓会があって、僕の初恋の女の子も来るからって」
「そうなんだ」
「だけど、この件が発覚しちゃって。ほら、ちょうどうちの会社の忘年会のあった日ですよ」
「ああ、そういえば寺井君、幹事なのに来なかったね」
「それどころじゃなくなっちゃったんです。だって、依頼もないのに勝手にお金引き落としてたなんてことになったら、理由によっては犯罪じゃないですか。そうじゃなくても、会社の信用にかかわるし」
「そうだよなあ」
俺は素直に寺井君に同情した。
「正月全部返上で働いてたのか。かわいそうに」
「そうなんですよ……」
しかも、楽しい仕事じゃない。敗戦処理みたいなもんだ。精神的にもきつかっただろう。
「倉井さんは、発覚がこのタイミングで良かったって言ってましたけどね」
「え、どうして?」
「ちょうど仕事が全部ストップしてる時期だから。チェックに全力を注げるじゃないですか」
「あー、そういうこと……」
「それ以外の仕事は全部森井さんたちにお願いして、僕と倉井さんはこの、いわゆる架空依頼みたいなもののチェックに専従してるんです。その期間に依頼をいただいた作者さん全員に確認して、頼んでいない依頼の引き落としがないですかって……だけど、作者さんもこの時期だからなかなか返事が返ってこなくて」
「うんうん」
「それでもなんとか連絡を付けて、他の作者さんの仕事でもいくつかそういうことが見つかったんですけど。B介さんの件の作者さんって、今回発覚の原因になった一番最初に連絡をくださった方なんです」
「そうなんだ」
吐息が震えそうになる。落ち着け。俺は手の中でスマホを一度握り直した。
「ええと、つまり。作者さんは駅前でのナンパなんか頼んでないって?」
「ええ。最初の一回は頼んだけど、それだけだと」
最初の一回。それは、俺と梨夏ちゃんが初めて出会ったあの日のことだ。
梨夏ちゃんは俺のナンパに乗ってきてくれて、二人でカフェに行ったりボウリングをしたりした。何だか、すごく遠い日のことのようにも思えるけど。
「作者さんはあとの二件の依頼は、してないって言うんです」
「あー……」
確かに、俺もおかしいとは思ったんだ。同じ子を二度ナンパすることなんて、普通ないんだから。
「それだと物語の展開がおかしいもんね」
「いえ。というか……」
寺井君は何か言いかけて、それからやめた。
「すみません、詳しい状況はちょっとこれ以上話せないんですが」
「あー、まあそうだよね。分かってる分かってる」
モブに必要以上の情報は流せない。そういう規定がある以上、寺井君も俺に余計なことは言えない。そんなことは俺だって分かってる。
「それでB介さん、駅前のナンパはどうでしたか」
「二度目のやつ?」
「はい」
「二度目も普通にやったよ」
普通、と言っていいのか。中身は異例尽くしだった。
ヒロインの梨夏ちゃんは、俺のことを探していたと言った。そして俺は彼女に「さつきさん」なんてあだ名を付けられてしまったのだから。
本当に嬉しかった。だけど、それを俺はどう捉えればいいのか。寺井君に誤解を与えずに説明できる自信がなかった。嘘はつきたくない。だけど、本当のことも言いたくない。
普段ろくに使っていない自分の頭を、めまぐるしく回す。嫌な汗。口の中が変に乾く。
「ちゃんとヒロインの子をナンパしたよ」
俺は言った。
「やり方はいつも通りだった」
そう、それは間違いない。
「向こうは俺のことを何となく覚えてる風だったけど、俺はそのまま初対面を装ってナンパを続けたんだ」
嘘はついてない。俺はナンパモブとしての役目を果たした。
それから、そうだ。いろいろと、俺にとってすごく特別なことがあったけど、その辺をばっさりと端折っちまえば、次に来るのは。
「それで、彼氏が現れたんだ。ナンパはそこで終わり」
「彼氏が?」
寺井君が訝し気に俺の言葉を繰り返したので、俺はぎくりとした。
「彼氏がいたんですか、能勢梨夏さんに」
「ああ、いや」
俺は慌てて自分の言葉を打ち消す。
「彼氏っていうか、その時はまだそんな感じでもなかった。地元の同級生っていうのかな、そんな感じ。でも物語のヒーローってのは分かったからさ」
ヒロキが梨夏ちゃんの彼氏になったのは、そのもっと後だ。だけど、それを俺が知ってるのはおかしい。
「なるほど。地元の同級生、と」
寺井君はメモか何かを取っているらしく、俺の言葉をそう繰り返した。
「じゃあ、その男性にヒロインを引き継いで終わりですか」
「うん、そうそう」
「分かりました」
どうやら納得してくれたようだ。危なかった。
「それでその次ですけど」
「その次。ええと、どういうやつだっけ」
頭がうまく回らない。しっかりしろ、俺。
「二件目の架空依頼。能勢梨夏さんに対するB介さんの三回目の仕事です。公園で泣いている能勢梨夏さんに、通りがかりに声を掛けるっていう件です」
「ああ、それね」
泣いていた梨夏ちゃん。
そうだ。あのとき、梨夏ちゃんはヒロキとのすれ違いが原因で涙を流していたんだ。俺はそんな彼女を放っておけずに、いるか屋に連れて行って、話を聞いた。そして、ヒロキにもう一回電話をさせた。その結果、二人は仲直りをした。
もちろん、あれもおかしな話だった。だけどあれが全部、依頼も無しに行われたことだっていうのか。
でも俺は間違いなく物語の中に入っていた。
「そっちの仕事では、何か変わったことはありましたか?」
「いや」
とっさに俺はそう答えていた。
「何もなかったよ」
「まあ、そうですよね。声掛けるだけですもんね」
寺井君もあっさり納得して、そこは深入りしてこなかった。俺は明らかな嘘をついてしまったことを後悔した。
「分かりました、ありがとうございます」
必要事項が聞けたようで、寺井君は少し明るい声で言った。
「新年早々、変な電話ですみませんでした」
「いや、いいんだけどさ」
俺も努めて平静を装った。
「えっと、これって俺が何か処分されるとか……?」
「え、B介さんがですか? 何でですか?」
寺井君はきょとんとした声を出した。
「うちからB介さんに依頼しているのは間違いないことですから。B介さんはそれに従ってちゃんと仕事しただけなので、処分を受けるような理由は何も……あ、そうか」
寺井君は何かにぴんときたようで声を弾ませた。
「なるほど、分かりましたよB介さん」
「え、な、なにが」
疚しいところのある俺は、寺井君の口調の変化に怯えた。
「その時の仕事は無効だから、給料を返還しろって言われるんじゃないかと心配してるんですね? そこは心配しないでください。あくまで会社と作者さんとの間の問題なので、実際に働いていただいたB介さんにお金返してくださいなんて言いませんから」
「ああ、そりゃよかった」
そんなことを心配していたわけじゃなかったが、とりあえず寺井君の勘違いに乗っておいた。まあ、返金しろって言われたらもちろん困るけど。
「ええ、さすがにうちの会社もそんなせこいことは言いませんので、ご安心を」
入社二年目の寺井君が請け負ってくれても、別に何も安心はできないんだけど、まあいいや。
「寺井君も新年早々、お疲れ様。今度会ったら、コーヒーでも奢るよ」
「ありがとうございます。いや、僕も色々とたまっちゃってて」
仕事モードが終わったようで、寺井君は途端に砕けた口調になった。
「コーヒーも嬉しいですけど、今度A太さんとかと一緒に飲みに行きましょうよ。僕の愚痴、聞いてくださいよ」
「ああ、聞く聞く」
俺は答えた。
「人の愚痴聞くの、俺大好きだから。いっぱい悪口とかも言っていいよ」
「ほんとですか。でも他の人に言わないでくださいよー?」
「言わないって。裏話とか、ばんばん聞かせてよ」
「裏話と言うほどのこともないですけど、いろいろあるんです、本当に」
寺井君はため息をついた。
「あ、すみません。余計なことを。それじゃお疲れ様でした。ありがとうございました」
「おう、おつかれー」
もし誰かがこの時の俺を見ていたら、ぎょっとしただろう。だって声はすごく明るいのに、顔はどんよりと沈んでるんだから。
電話を切った後、しばらく家に帰る気になれず、うろうろと意味もなく街を歩き回った。寺井君の言葉が頭の中をぐるぐると回る。
梨夏ちゃんのナンパの依頼が、来てない? どういうことだよ。梨夏ちゃんがこっちの世界に時々いる感じになってるのも、それと関係してるのか?
だけどそんなことを俺がいくら考えたって、答えが見つかるはずもなかった。
意味が分かんねえ。
いるかさんサワーを飲んだわけでもないのに、吐きそうだった。




