その電話は、いっぺんに正月気分を吹き飛ばした。
ほんとは晩飯でも一緒に食いたかったんだけど、年末年始に仕事がなかったせいで、まじで金がない。午後四時という実に健全な時間に、俺と梨夏ちゃんは別れた。
梨夏ちゃんは「今年もよろしくお願いします! 次はいるか屋でいるかさんサワーに挑戦したいです!」と笑顔で手を振っていた。
一人、ぶらぶらと歩いていると、スマホが震えた。
振動が長い。電話だ。
梨夏ちゃん? ……いや。会社からだった。また急な仕事でも入ったのかな。
テンパった寺井君の声を想像しながら、電話に出る。
「はい、もしもし」
「あ、B介さんですか?」
やっぱり寺井君だった。
「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
「ああ、おめでとう。今年もよろしくね」
珍しい。寺井君はいつもみたいにあわあわしていなかった。疲れたような落ち着いた口調だった。
「新年早々、すみません。実は確かめたいことがあってお電話しました」
「確かめたいこと?」
改まった口調に、俺の危険感知センサーがびびび、と反応した。何だろう。何だか、すごく嫌な予感がする。
「別にいいけど……何?」
「実は、去年B介さんに担当していただいた業務で二件、問題が発生してるんです」
「問題?」
クレームか。ナンパしてる時の俺の挙動がおかしかったから、実は骨折してるってことがばれたとかかな。
「結構前の件なんですけど」
「うん」
「駅前のナンパと、それから公園での夜間の声掛けですね。覚えてますか?」
「寺井君」
電話口で思わず渋い声を出す。
「俺が一年で何件ナンパしてると思ってんの。それだけの情報で分かるわけないでしょ」
「すみません」
電話の向こうでがさがさと紙をめくるような音がした。
「ええとですね……どちらも同じヒロインを相手にしたナンパなんですけど……名前言っても分からないですよね?」
「名前は、そうだね……」
寺井君の言う通り、ナンパモブはヒロインの名前なんて知らされることはない。偶然可愛い子を見かけて声を掛けるのがナンパだからね。最初から知ってたらおかしいし。
でも、たとえば助けに来たヒーローとの会話とかから、偶然耳に入ることもある。こっちが覚えてるかどうかはともかく。
「一応、教えて?」
「はい」
寺井君は、一度言葉を切った。
「相手は、能勢梨夏っていう女性です」
心臓がビクンと跳ねた。
「覚えてます? リカさんなんて割と普通の名前だし……覚えてないですよね」
「ええと、どうだろう」
とっさに分からないふりをした。冷静さを装ったけど、心臓がどくどく鳴っていた。
「それ、いつ頃の話?」
「ええと、データによるとですね」
寺井君が答えた依頼日時を聞いて、俺は「あー、それって」と思い当たったように声を上げた。わざとらしかっただろうか。
「どっちも急に入った依頼じゃなかった? 夜中に飛び込みで入ったやつ」
「そうですそうです」
寺井君は俺の大根芝居に気付かなかったらしく、ほっとしたように言った。
「覚えてらっしゃいますか? 一件目の駅前のナンパは、調べたらちょうどすごくたくさんトラブルがあった日で。僕が当直だったんですけど、もうみんなパンパンで。確か、この件はアプリでB介さんにお願いしたんですけど」
「ああ、覚えてるよ」
俺は答えた。
「俺が、前にもナンパしたことのある子だからマズいんじゃないかって寺井君に電話した件だろ?」
「そうでしたっけ」
寺井君は覚束ない声を出した。
「そんなこともあったような」
「あったよ。まあ、そっちは一人で何十件も派遣を回してるんだろうから、いちいち覚えてないだろうけど」
「すみません。でも、結局B介さんが行ってくれたんですよね?」
「行ったよ。だって寺井君に、同じ子ナンパしたって大丈夫ですよ、向こうはどうせ覚えてませんよって言われたからさ」
「ええっ、僕そんなこと言いましたか!?」
「うん」
いや、正確にはそうは言われてはいない気がする。でもまあ、そんなニュアンスのことを言われたような。俺もあんまりはっきり覚えてないな。
「それはすみませんでした。きっと、テンパってたので失礼なことを言ってしまったんだと思います」
「いいよいいよ。そこまで深くは気にしてないから」
「そこまで深くはってことは、割と気にしてるじゃないですか!」
「まあまあ、そこはいいじゃないの」
わざとそんな風にどうでもいいことを言って、俺は自分の心を落ち着かせようとしていた。
「ええと、それで二件目はですね」
「うん」
「こっちは、僕がB介さんに直接電話でお願いした件ですね。多分、アプリが定期メンテナンスで使えなかったからだと思います。公園のベンチで泣いてる女の子に声を掛ける仕事。これも、対象は能勢梨夏さん」
「……うん」
梨夏ちゃんが泣いてて、いるか屋に一緒に飲みに行った日のことだ。もちろん覚えてる。忘れるわけなんかない。
「何となく覚えてるよ」
物語のヒロインを誘って、酒を飲みに行ってしまった。その罪悪感が、俺の答えを歯切れの悪いものにした。
「……その二件に、作者さんからクレームが来てるの?」
「はい、そうです」
寺井君は答える。
背中を変な汗が流れた。ヒロキに梨夏ちゃんを引き継いだ形になった駅前でのナンパはともかく、公園からの居酒屋行きは完全にモブとしての行動を逸脱しているとみなされてもおかしくはない。
もちろんいろんな言い訳はできる。俺が何かやましいことをしたわけじゃない。
だけど。モブとして胸を張れる仕事だったかと言われたら。
「……作者さんは、何て?」
寺井君の答えは俺の予想外のものだった。
「モブの派遣を要請していないんだそうです」
「……え?」




