誰だ、あいつ。
「仕事頑張るのはいいけど、プライベートはどうなんだ」
ゾークさんが砕けた口調で言った。
「プライベートでも振られっぱなしってわけじゃねえんだろ?」
「いや、それがさっぱり」
そう言いかけた俺の脳裏を、梨夏ちゃんの笑顔がよぎった。
いや、違う違う。梨夏ちゃんには彼氏がいるし。
とっさに、自分にそう言い聞かせようとしたら、次にヒロキの顔がよぎった。
俺を殴り飛ばした時の、ヒロキの冷たい目。
あんな奴に梨夏ちゃんを任せていいのか。
いや、そもそも俺とあの子は違う世界の人間だし。
一瞬のうちに頭の中を電光のようにいろんな考えが流れていった。
そしてゾークさんは俺の表情を見てにやりと笑った。
「さっぱりってわけでもねえみたいだな」
そう言って、山賊のようにがははと豪快に笑って酒を呷る。
「若いやつはいいな、羊」
「ええ。ほんとに羨ましいっすよ」
「どんどん攻めろ、B介」
ゾークさんは言った。
「仕事でモブやってるからって、私生活でまで空気読んで周りに気ぃ遣う必要はねえからな」
「そうそう」
もはやゾークさんの同意マシーンと化している羊さんが頷く。
「俺も今のかみさんにアタックしたときだけは、人生の主人公みたいな気持ちになったもんなあ」
「そういうことだ。遠慮すんな、B介」
「は、はい」
ゾークさんたちの言うことは正しいんだろう。
相手に彼氏がいたって、別にまだ結婚してるわけじゃない。自分の方がふさわしい男なんだって頑張れば、奪うことだってできるかもしれない。
でも、そうじゃないんだよな……。
俺の場合は、特別だ。
私生活であって、完全な私生活ではない。あり得ない状況に、俺のやる気は行き場を失くしていた。
そのときだった。
「いや、ほんとにすげえんだって!」
モブにあるまじき、でかい声が響き渡った。
「おお」
ゾークさんも振り返る。
「向こう、盛り上がってんな」
「若い連中は元気ですね」
羊さんが言い、ゾークさんも苦笑気味に頷く。
「おっさんはすぐ人生とか語っちまうからな。B介、悪いな」
「いや、全然」
俺は慌てて首を振る。
「ほんと、ありがたかったっす」
「いや、俺はお前らとは違うんだって!」
俺の声は、向こうの誰かのでかい声でかき消された。
「物語を左右できるモブってのがいるんだよ!」
「声、でけえな」
さすがにゾークさんが顔をしかめた。羊さんも「っすね」と頷く。
そっちで騒いでいるグループは、ゾークさんの言葉通り、会社でも比較的若めの人間の集まりだった。A太もいる。
だけど、騒いでるのはその中の一人だけだ。
誰だ、あいつ。
モブらしく取り立てて特徴もない、紺色のジャケットを羽織った若い男だ。正直、ミロさんも羊さんも分からなかった俺には、あいつが誰なのかさっぱり分からない。
ただ、なんか妙に不穏なことを言ってるなってのは分かった。
「お前、マジで何言ってんの」
大声で騒いでいるやつにムカついたようで、A太があからさまに不機嫌な声を出した。
「物語を左右できるモブなんているわけねえだろ。そうしたらもうモブじゃねえじゃねえか」
粗暴系モブだけあって、そんな態度を取るとやっぱり他のモブよりも迫力がある。
「それは、古い。考え方が、古い。マジで」
騒いでいるやつは何か熱病に浮かされたように、A太の迫力も意に介さずにまた大声で言った。
「もうそんな時代じゃないんだよ。モブだって思うがままに羽ばたいていいんだよ」
「若いやつは元気だな」
ゾークさんが言った。
「モブの役割について、あんな風に熱く意見をぶつけ合えるんだからな」
「そっすね」
俺も同意はした。だけど、あいつのあの言い方はちょっと引っかかる。モブの一線を超えている気がする。
「だけどあれはちょっとまずいな」
ゾークさんも俺と同じ考えだったようで、そう言った。
「熱いのは悪いことじゃねえが、あの考えがそのまま進むと、闇堕ちしちまう。気を付けねえとな」
闇堕ち。
何度聞いても、その言葉は嫌な響きを持っている。
「羽ばたきてえなら、モブなんか辞めろよ」
A太が冷たく言い放った。
「物語のモブってのは、地に足付けて地味に生きるんだよ。羽ばたくのはメインキャラの役目だ」
「モブにだって羽ばたく権利があるんだよ!」
「ねえよ」
A太の答えは辛辣だった。
「お前が羽ばたきてえなら、勝手に羽ばたきゃいいんだ。だけど、人の物語に乗っかって羽ばたくなって言ってんだ。自分の人生でいくらでも羽ばたけ、ただし物語の迷惑にならねえところでな」
A太の言葉はド正論だった。うんうん、と周りのやつらも頷いている。
「お前らのそういう卑屈な態度が、今のモブの惨めな立場を作ったんだろうが」
若い男はそれにも耳を貸さなかった。
「俺はできるんだ。お前らとは違う。あの人がそう言ってくれたからな」
「あの人?」
A太がバカにしたように鼻で笑う。
「誰だよ。よそのモブ派遣会社の社員にスカウトでもされたのか?」
「お前なんかには教えない」
男は言った。なぜか胸を張って、優越感に満ちた目でA太を見た。
「あの人は特別な人だ。そして、俺も特別になれると言ってくれた」
あの人。特別になれる。
その言葉に俺はアイビーの最後の言葉を思い出した。
「ありゃ誰かが言わねえとだめか」
ゾークさんがあくまでのんびりと言ったが、俺は立ち上がっていた。
「おい、その話」
「あ?」
そいつが俺の方を見たとき。俺の背後で誰かが、ぱんぱん、と手を叩いた。
「えー、宴もたけなわではございますが」
淡々とそう言いながら、森井さんが立ち上がった。
「ここらで中締めとさせていただきます。それでは、社長」
それを合図に、みんながどやどやと立ち上がる。件の男も、気を取り直したように壁際に下がった。
茂武社長の発声でみんなで一本締めをして、モビーの忘年会は終わった。
幹事の寺井君は、とうとう最後まで姿を見せなかった。




