そうじゃねえだろ。
「……うん、そう。そういうわけだから頼むよ、寺井君。……はいはい、終わったら連絡しまーす」
仕事の変更を伝えると、相変わらず寺井君はテンパっていたが、それでもこちらの言いたいことは何とか伝わった。
寺井君も少しずつだけど成長している。
さあ、俺も仕事するか。
駅の方向から歩いてくる最後のヒロインは、夜の繁華街だというのに結構おとなしめのOLさん風の女の子だった。
いかにも会社帰りという感じの地味な服装に、ほっとする。
よかったぜ、これはヤンデレでも吸血鬼でもなさそうだ。
俺は仕事用のいやらしい笑みを浮かべて、その子に近付いていった。
「こんばんは、おねえさん。ちょっと教えて? 今から二人で飲みに行くとしたら、俺たち何時間一緒にいれるかなあ?」
「ええっ」
女の子があからさまに顔をこわばらせる。
「大丈夫、始発には間に合うようにするから」
笑顔で言いながら俺はぐいぐいと距離を詰める。
「とりあえず終電は見送ってもらって」
「ちょ、ちょっとなんですか、いきなり」
「いきなり? でも恋っていつでもいきなり始まるもんじゃん?」
うーん。
自分でやっておいてなんだが、これは気持ち悪い。
いい仕事してるな、俺。
「だからとりあえず、乾杯から二人の関係を始めようよ」
「け、結構です」
「そうなんだよ、俺って結構いい男でしょ?」
「ち、ちが」
「向こうに知り合いのやってるバーがあるからさあ。そこでバーだけにばーっと」
にじり寄る俺の肩に背後から手が掛けられた。
「そのへんにしとけ」
はい、来ました。
「あぁ?」
振り返って相手を見上げ、それから俺は思わず絶句した。
冷たい目で俺を見下ろしているその男に、見覚えがあったからだ。
……あれ?
どういうことだ? え?
プロのナンパモブだってのに、一瞬自分の仕事を忘れかけてしまった。
どうして、お前がここにいる?
それは、梨夏ちゃんの彼氏のヒロキだったのだ。
君、なんでこんなところにいるの?
ここってよその物語でしょ。
思わずそんな疑問が口からこぼれそうになったが、危うく自分の立場を思い出した。
そうだ。俺はナンパモブ。そして今は仕事中だ。
俺の肩にかかっていたヒロキ君の手に力がこもるのが分かった。
「うおっ」
俺の身体が女の子から強引に引き離される。細身の割に、すげえ力だ。
さすがヒーロー。これがモブとは違うところか。
ヒロキ君は俺を汚いものでも見るような目で見ている。
そうか、俺のことなんて知らないもんな。
何度かニアミスはしていたが、彼と直接言葉を交わしたことはない。
だから、こんなヤカラモブの顔なんていちいち覚えてはいないだろう。
俺たちだって、消滅から復活したら微妙に顔が変わってるくらいの精度で生きてるしな。
「何すんだよ、お前」
内心で動揺しながらも、そこは俺もプロのモブ。身体が勝手に、ナンパモブのテンプレをなぞっていた。
「この女は俺が先に声かけたんだぞ。横取りでもしようってのか、ああん?」
そう言って下から舐めるように見上げた次の瞬間。腹に衝撃。
「ぐえっ……」
俺は膝から崩れ落ちた。地面に胃の中身を吐き散らす。
続けざまに、横っ面を思い切り殴り飛ばされた。
「がはっ」
石みたいに硬い拳だった。
格闘技でもやってたのか、一切の躊躇のない、人を殴り慣れてる感じのするパンチだった。
地面に倒れて自分の嘔吐物に塗れる俺。目の前がちかちかした。
「……ヒロキ?」
女の子の声が聞こえる。
「もしかして、ヒロキなの?」
「……彩加、か?」
なんと。この二人、知り合いだったらしい。
そんな偶然がこの大都会であるわけねえだろ。なんていう野暮なツッコミよりも、よっぽどおかしなことがあった。
今、俺が入っているこの物語のことだ。
これは、梨夏ちゃんの物語じゃない。それは、今まであの子の物語に何度も入ったことのある俺には分かる。
なのに、梨夏ちゃんの恋人がここにいる。別の物語の別のヒロインと出会って、恋を始めようとしている。
浮気だとか何とか、そんな下世話な話じゃない。
それは、絶対にあってはいけないことなんだ。世界に関わるレベルでの、異常事態なんだ。
現実世界の住人として、派遣モブとして、俺はまずそこに疑問を持つべきだった。
だけど、そんなことよりも。
俺の中で、モブらしからぬ怒りが膨れ上がった。
モブはいつも冷静に。表面上ではどんなに泣き叫んでいようが、笑い転げていようが、頭の中では常に物語の流れを意識しろ。自分の役割がどこからどこまでなのかをしっかりと見極めて、それ以上は踏み込むな。そこから先は、メインキャラクターたちの世界だ。
昔、研修で繰り返し教わったこと。モブの心構え。
それは、もういちいち繰り返すまでもない常識としてすっかり身体に染み着いてるはずだった。
だから、頭では理解できている。
ヒロキがここにいるのがどういう事情であれ、この場での俺の役割はもう終わった。
無様に地面に這いつくばり、この二人を引き合わせるという役目は。
だから、あとはさらに無様に退散するだけだ。
分かってる。
分かってるよ、そんなことはこっちだって。
だけど、そうじゃねえ。
そうじゃねえだろ。
「まさか、ヒロキもこの街に来てたなんて」
女の子の声が弾んだ。
「助けてくれてありがとう」
「なんか困ってるみたいだったからさ」
そっけないヒロキの声。
「彩加だとは思わなかった」
「私も。高校時代以来かな」
「ああ。そうかもな」
「何なんだよ、お前!」
会話の途中だったが、俺はそう叫んで飛び起きていた。
何でお前が、ほかの女の子といい感じになろうとしてんだよ。お前、梨夏ちゃんを幸せにするんじゃねえのかよ。
「どういうつもりだよ、こらぁ!」
ヒロキの胸ぐらを掴んで引き寄せる。
「てめえ、なんでこんなこと」
その瞬間、目の前が真っ白になった。
引き寄せられた勢いのまま、ヒロキが俺の鼻に頭突きをかましたのだ。
それ、ヒーローがする攻撃か?
「がっ……」
血塗れの鼻を押さえた俺の腹に、ヒロキの容赦のない膝蹴りが入った。
「ぐぼっ」
倒れ込む俺の脇腹に、強烈な回し蹴り。
俺は吹っ飛んで横倒しに地面に転がった。
「ヒロキ!」
女の子の慌てた声。
「もうその辺でいいよ、この人死んじゃうよ」
「殺してもいいんだ、こんなやつは」
ヒロキが冷たい声で答えるのが聞こえた。
「所詮、ただの取り換えのきくモブなんだから」




