ヤンデレかもしれねえ。
夜の繁華街。
駅前で十二件ものナンパを敢行した、と書くともはや性欲の権化みたいだが、その全てできっちりと手ひどくフラれた俺たちは、最後の二件のナンパのためにここにやって来た。
ネオンで照らし出された華やかな通りを歩いていると、条件反射で身体が安酒を欲し始める。まだ仕事が残っているのが残念だ。
「ああ、くそ。一杯飲みてえな」
A太がマンガでしか見たことのないような舌なめずりをした。
「やっぱり仕事で来るところじゃねえな、こういうところは」
「まあ、あとちょっとの我慢だ」
俺はA太の肩を抱く。
「さっさと振られて、時間が余ったら一杯やって帰ろうぜ」
「おう。そうだな」
さすがにA太は切り替えが早い。
スマホを取り出して画面を確認する。
「残りの二つ、依頼時間がけっこう近いんだよ。一件目を早めに片付けないと次に間に合わないかもしれねえ」
「あいよ」
ナンパモブの仕事だって、展開次第でかかる時間は多少前後する。
だから普通はそんなタイトな入れ方はしないのだが、A太が寺井君に無理を言って入れてもらったからだろう。
その気持ちは嬉しいので、俺も文句は言わない。
「逆に言えば、さっさと二つ片付けちまえばその後で飲みに行く時間は十分にあるってことだろ」
「お前の言う通りだぜ」
A太が俺の肩を抱く。
「冴えてるな、相棒」
「まあな。お前だって、そのつもりで入れてくれたんじゃねえのか」
「へへへ。まあな」
お互いに肩を叩き合って、最初の仕事現場に向かう。
繁華街をぶったぎるみたいに、片側二車線の大きな道路が通っていた。
それを渡るための横断歩道の前に、女の子が一人、ぼんやりと立っている。
信号待ちかと思いきや、歩行者用の信号が青になっても歩き出さない。
通行人たちが横を通り過ぎながら不審そうな視線を投げかけるが、女の子はどこか遠くを見るような目で周囲をまるで気にしていない。
アニメから飛び出してきたみたいに可愛い顔をしてるけど、服装はちょっと個性的というかなんというか、刺さったら痛そうなトゲとかが付いた服に、ちょっと屈んだらすぐに下着が見えそうなクソ短いスカート。
青白いと言ってもいいくらいの真っ白な肌と不健康なほどの身体の細さで、雑に触ったら折れちまいそうだった。
「ヤンデレかもしれねえ」
A太が俺に囁く。
「慎重にな」
「おう」
ヤンデレは危険だ。
それは俺たちナンパモブの共通認識だ。
ヤンデレの女は、モブ相手にはそれはもうむちゃくちゃすることがあるからだ。
作者さんの筆が乗って、落命予定じゃないモブが命を落とすイレギュラー案件も、ヤンデレものではまったく珍しくない。
確かに作者さんにしてみれば、ヤンデレのヤバさを読者に印象付けるためとはいえ、毎回主要キャラを悲惨な目に遭わせていたら展開にも限界があるし、お前もいいかげん学習しろよ、と被害者サイドにヘイトの矛先が向くこともあるだろう。
主人公に徐々に迫る恐怖を演出するのには、俺たちモブが被害を受けるのが一番都合がいいというわけだ。
ツンデレにしろヤンデレにしろ、普段の様子と限られた相手に見せるデレたときとのギャップが魅力なのだろうが、残念ながら彼女たちがナンパモブに対してデレの部分を見せてくれることは決してない。
ご褒美の何にもないツンとヤンは、俺たちにとってみればただただ取扱注意の危険物に過ぎない。
「ねえねえ。信号青だけど、渡んないの」
最初に俺がそう声を掛けた。
「また赤になっちゃうよ」
女の子は目だけでちらりと俺を見た。
「渡っても仕方ないの」
女の子は冷たい声でそう言った。
「だって、この先は私の世界じゃないから」
「お、おう」
やっぱりちょっと個性的な子だぞ。目の前の信号は青だけど、俺の中では黄信号が点りました。
俺とA太はちらりと目配せをし合う。
「じゃあさ、これから俺たちと気持ちいい世界に行こうぜ」
俺が細い手を取ると、驚いたことに女の子は特段抵抗もしなかった。
「ほっそい手。かわいいなあ」
手、つめたっ。
蝋人形みたいだ。これ、ちゃんと血、通ってるよな?
ここまで冷たくなるって、この子、一体いつからここに立ってんだろ。
俺は彼女の手をいやらしく撫でまわすが、女の子は無表情で俺の顔を見返すばかり。
「ちょうど、ダチがやってるいいバーがこの近くにあるんだよね」
そう言いながら、A太が女の子の肩を抱く。
女の子はそれでも反応を示さない。
A太は女の子の服のトゲが刺さって、ちょっと痛そうな顔をする。
「こんなところにいたら、冷えるしさ。身体がかーっと熱くなるカクテル飲ませてあげるから」
「いいねえ。行こう行こう」
俺が頷いたときだった。
女の子が急に、俺たちの背後に目を向けた。
「あ」
その顔に、急に生気が戻った。まるで花が開くように、ぱあっと笑顔になる。
「タクマさぁん」
それまでとは一変した、甘えた声。
デレた。
と、A太が急に俺の身体を肩でぐい、と押しのけた。次の瞬間だった。
「ぐぼおっ」
ヤバい声を上げて、A太がまた吹っ飛んだ。
「うええっ!?」
俺が振り返ると、そこに立っていたのは肩幅の広い逆三角形の身体を黒いスーツで包んだ、長身オールバックの男だった。
夜なのに、ほっそいサングラスをかけている。
うげえ。本職じゃん。
そうなんだよ、繁華街のナンパはこれがあるんだよ。
ナンパした女の子の彼氏が実はヤクザでしたパターン。
女の子ってほんと、悪い男が好きだよね。
とはいえ、これはまずい。
「え、あ、う」
俺が何も言えずにたじたじと後ずさると、男は低い声で言った。
「道路はお前らの盛り場じゃねえ」
「は、はいっ!」
直立不動の姿勢でそう返事すると、男がそれ以上何か言う前に俺はそのままA太を見捨てて身を翻した。
「ひ、ひいいっ! 殺される!」
すまん、A太。俺を庇ってくれたのに。
でもここでモブが変な男気を見せるわけにはいかねえんだ。
ナンパモブは、仲間も平気で見捨てるようなクズじゃないと。
脇目もふらずにしばらく走ると、物語世界を抜けた感覚があった。
しばらくそこに突っ立ったまま息を整え、それからおそるおそる、さっきの交差点に戻る。
もちろん、もう女もヤクザもいなかった。
だがA太の姿もない。
嫌な予感がして、俺は一番近くの路地裏を覗き込んだ。
「A太ぁ!」
A太はそこに血塗れで転がっていた。
「大丈夫か!」
「おお、B介……」
たくさん血を流したせいか、A太の顔は真っ青だった。
「やられたぜ……」
「何されたんだ、刺されたのか!?」
「あの女、吸血鬼だった」
「は?」
「ここに連れ込まれて、めっちゃ血を吸われた」
そう言われてよく見ると、A太の服は血で染まっているのに、外傷は全然なかった。
唯一の傷跡である首筋の噛み跡から、血を吸われたようだ。
A太によれば、吸ってる途中で女が口を開いて「やっぱりモブの血はまずい」と喋ったから服が血で汚れたそうだ。
そうか。やっぱりモブだと血もまずいのか。
「身体中の血を吸われちまった」
A太は弱々しく言った。
「動けねえ。全治三時間はかかりそうだ」
三時間。重傷だ。
それじゃあ次の仕事にはとても間に合わない。
「確か、最後の仕事は人数1~2人っていう幅のある依頼だったんだよ。だから、B介ひとりでも大丈夫だと思う」
「分かった」
俺は頷く。
「後は任せろ。会社への連絡も全部こっちでやっとくから」
「おお……すまねえ」
A太は力尽きたように目を閉じる。
「ちょっとこのまま二時間くらい寝てから帰るわ……飲みに行くの、また今度な……」
「ああ、そんなのいつでもいいぜ」
俺はA太の足を持って身体をずるずると引きずり、邪魔にならないように端っこに寄せてやる。
モブとして雑な扱いに慣れてるせいだろう、A太はされるがままになっていた。
「じゃあ行ってくらあ」
俺は路地裏から飛び出した。




