やべえ。くそ可愛い。
「さつきさーん」
いつもの駅前。
行きかういつもの人波。
その向こうで一生懸命、俺に手を振っている女の子。
やべえ。くそ可愛い。
俺の頬は自然に緩む。だらしない顔をしてるのが自分でも分かる。
だって仕方ないだろ。
あんな可愛い子が、この俺一人に向けて手を振ってくれてるんだぜ。
こんなモブの俺に。
男だったら誰だって鼻の下くらい伸びるっつーの。
「梨夏ちゃん」
俺は左手を振り返す。
通りがかりの男たちの、あんなやつがあの子の彼氏かよ、という意外そうな顔が心地よい。
ふはは。もっと驚くがいい。彼氏じゃないけどな。
「おまたせ」
「ちゃんと会えてよかったです」
梨夏ちゃんは嬉しそうに微笑む。
「スマホの調子が悪いみたいで。さつきさんに電話がなかなか繋がらないから、会えなかったらどうしようかと思ってました」
そこは俺も危惧したところだ。
「いや、ほんと。会えてよかったよ」
土曜日の夕方。
週末だけあって街は混んでるけど、会社帰りっぽい人の姿は少ない。
代わりに目立つのはカジュアルな私服姿の男女。
楽しそうに行きかう人たちの中で、俺はといえばせっかくの可愛い女の子との待ち合わせだというのに、ペンキで汚れた冴えない作業着姿だった。
「ごめんな、こんな格好で」
「いえいえ。土曜までお仕事、お疲れ様です」
梨夏ちゃんはびしりと敬礼すると、俺の顔を見てにっこりと笑う。
ああ、可愛い。
同じ敬礼でも、ジュンさんとは全然違う。
「でも、塗装のお仕事……ですか? 右腕治ってないのに」
梨夏ちゃんはそう言って、ちょっと心配そうな顔をする。
「ああ、これ?」
確かにそうとしか見えないよな。こんな格好してたら。
「うん、まあ塗装っていうか……ちょっと人数合わせでさ」
「はあ」
梨夏ちゃんはあまり腑に落ちない顔をする。
まあ、そういう顔になるだろう。なんだ、人数合わせって。
でも実際、その通りなんだから仕方ない。
俺は今日の仕事のことを思い出して苦笑いする。
急に舞い込んできたモブの仕事の舞台は、やっぱり病院だった。
右腕を骨折してからというもの、病院のモブ仕事にばっかり行ってる気がする。
なんでも、工事現場で大きな事故が起きて、その負傷者が多数搬送された病院、というのがこの場面のシチュエーションだったようだ。
俺も、とりあえず作業着、という指定だったのでこの服で来たのだが。
この作品的には、今までの展開からは想像できないほど急転直下のどでかいシーンということらしいが、もちろん俺にはそれがそもそもどんな物語なのかも知らされていない。
あまりに突然に展開が決まったせいで、方々から色んな会社のモブがかき集められたようだ。
まあ、仕事にあぶれてる俺にとってはそういうのって本当にありがたいんだけどね。
病院の待合室はとてもさっきまで一緒に同じ現場で働いていたとは思えない、統一感のない服装の作業員たちでごった返していた。
大した指定もされずにかき集められたんだからしょうがない。
かき集められた、という点ではもちろん俺も同じだ。
今日の朝早くにアプリの着信で起こされ、シカトして二度寝しようとしたら今度は電話がかかってきて、前日の夜から寝てないっぽい疲れた声の寺井君に泣きつかれたのだ。
「お願いします、B介さん! どうか人助けだと思って!」
「いや、悪いけど今日は夕方から人と会うんだよ」
と断ったのだが、
「昼過ぎには終わりますから! 夕方には間に合いますから!」
と粘られ、俺も泣き落としに弱いもんだから結局引き受けてしまった。
「現場行ってもらえば分かります! 座って痛そうにしてるだけでオッケーだそうです!」
「落命とかないよね」
「ありません! ちゃんと今回は確認しました!」
まあそれなら、と作業着で来てみたら、いきなり有無を言わさず現場入りだ。
集まったモブは、みんな俺同様物語の骨子さえ知らないような連中ばっかりらしく、ぼんやり座っていた。
負傷者ということだけは分かっているので、みんな難しい顔でおとなしくしている。
それにしても、どんな物語なんだろうな。ジャンルさえ分かっていない。
俺みたいにリアルに怪我してるやつはそう何人もいなかったみたいで、貴重なので目立つ前の方の椅子に座らされる。
そのうちに「痛そうに呻いていてくださーい」という作者からの天の声アナウンスが入った。
いや、何の説明もなしに?
せめてこれがどんな事故だったかくらいは、教えてくれないの?
おそらく全員が俺と同じことを思いながらも、あちこちで苦しそうな呻き声を上げはじめる。
さすが、プロ。
俺も右腕を抱えてうんうん唸っていた。
「くっそぉ……痛えよぉ……」
わざとらしいかな?
まあ大勢が出てる場面だし、ちょっと大げさなくらいでも目立たないだろう。
それにしても作者さん、頼むから主要キャラと変な絡みさせんなよ、こっちは何にも聞いてねえんだからアドリブ利かねえぞ、なんて考えていたら、突然きれいな女性が飛び込んできた。
取るものもとりあえず家から駆け付けました、みたいなラフな格好だったが、モブとは一線を画す整った顔立ちをしている。
ははあ、この人がヒロインだな、なんて思っていると、彼女は真っ青な顔で俺たち怪我人モブ一同をぐるっと見まわして、それから「健司さん!」と叫んだ。
返事はない。
「健司さん!」
もう一度、悲痛な表情で叫ぶ。だけど、誰も返事しない。
おーい、健司さん、呼ばれてんぞ。早く返事してやれよ。
呻いたり唸ったりしながら、みんな同じことを考えていたと思う。
それでもやっぱり返事は無くて、女の人の顔色はどんどん悪くなっていく。
多分、これは恋愛ストーリーだろう。俺はそう当たりを付けた。
どうも、現場で働いていた恋人の健司さんとやらが事故に遭って、それで彼女は慌てて駆け付けたようだ。
「健司さん!」
返事なし。
多分、ここにはいないんじゃないかなー、健司さん。
明らかに名前の無さそうなモブ顔のやつばっかりだし。俺も含めて。
「健司さん!」
……しつけえな。
俺たちもとりあえず聞こえないふりをして、うんうん唸っていたが、だんだん心配になってきて、モブ同士ちらちらと目配せを交わし合う。
え? 俺たち、このままでいいんだよな。
お前、何か聞いてる?
いや、聞いてない。
そもそもこれってどういう話なの?
いや、急にここに行ってくれって言われて来ただけなんで……
だよな、俺も……
言葉にせずとも、そんな意思疎通がスムーズにできるくらいには、みんな困惑していた。
「健司さん!」
またヒロインが叫ぶ。
まさか俺、健司さんじゃねえよな。
いや、違うと思うけど……
でもほら、万が一ってことも。
突然現場に呼ばれていきなり名前はもらえんでしょ。
そりゃそうだよな……へへ……
そんな無言の意思疎通がなされ、そしてまたみんな痛そうに呻き声をあげる。
地獄のような時間は、十五分も続いただろうか。
このヒロインも大概だ。
確かに集められたモブは五十人近かったが、十五分もあれば全員の顔くらい確認できるだろ。
健司さんがここにいないって分かったら、さっさと次の行動に移れよ。
多分みんなそう思ってたと思うが、俺たちはモブ。
突然こんな展開を始めちゃうくらい追い詰められた作者さんへの同情とともに、沈黙を貫く。
「健司さん……」
自分の胸に両手を押し当て、ヒロインがつらそうに吐息を漏らす。
もしかして、「健司さん」しか日本語知らない設定の人かな?
七種類くらいのアクセントの違う「健司さん」で意思疎通ができちゃう人とか?
それともどっかの国の言葉で「ケンジサン」って「名前を教えてください」っていう意味だったりするとか?
なんて思ってたら、いきなり俺に声を掛けてきた。
「あの、すみません」
え、嘘でしょ。
「は、はい?」
「あの、桐山健司という人は、この病院に搬送されていないんでしょうか」
それ、俺に聞く?
病院の人じゃなくて?
今朝急遽招集された日雇いモブに?
「さ、さあ」
俺はうつむいて折れた右腕を押さえたまま、首をかしげる。
「分からないですね」
そう言うしかない。だって、本当に知らないし。
その名前自体、初耳だし。もし万が一この中にいたとしても分かんないよ。
なのに彼女は俺の前から動かなかった。
「そのお怪我……」
はい?
「やっぱり、あの事故で……?」
いや、どの事故よ。
まあでも、きっとそうなんだろう。話の流れからいって。
「ええ、まあ……」
曖昧に頷くと、彼女は「ああ」と天を仰ぐ。
「ひどい……」
は?
何が?
彼女は唇を嚙みしめて呟く。
「それじゃあ、ワクチンが届かないともうすぐここの全員が……」
ワクチン?
ちょっと待って。
状況が変わってきた。
あれ、これって恋愛ものじゃないの?
俺とヒロインの会話に耳をそばだてていたっぽい周囲のモブ一同も不穏な空気を察してかちらちらと目配せをし合う。
おい。これってまさか。
いやいや、急に思い付きでそんな展開にするか?
そうだよ。乱暴すぎんだろ。
いや、だけどよ。
そんな風に、彼女の台詞から薄々勘付いてしまった悪い予感と、それを信じたくない気持ちとが戦っている。
分かるぞ、お前らの気持ち。俺も同感だ。
そのとき。
「はい、それじゃ皆さんゾンビ化してくださーい」
疲れ切った天の声がした。
まじかよ。
これってパニックものなの?
ゾ、ゾンビ?
うつむいていた怪我人モブ全員が一斉に戸惑ったように顔を上げ、お互いに顔を見合わせる。
まるで全員が何かに操られでもしたかのようなその行動が異様に見えたらしく、ヒロインが息を吞んだ。
「まさかこれって。こんなに早く」
自分達の行動の、意図しない効果を目にした俺たちモブの判断は早かった。
今だ。彼女のこの台詞に乗っかれ。
「うあー……」
「ぐ、がぎ」
「うごごごご」
全員がおかしな声を上げ、よだれを垂らしながら立ち上がる。
「きゃああああ!」
ヒロインが悲鳴を上げた。
「やっぱり、もうみんなにウイルスが!」
そうなのか。俺たちにはウイルスが回ってるのか。
「ぐばばばば」
俺もそう呻きながら立ち上がる。
「いやああ!」
ヒロインが俺から距離を取る。
あれ、おかしいな。今日はナンパモブでもないのに、やっぱり女に嫌われてるぞ。
「みっちゃん!!」
突然、作業着姿のイケメンが駆け込んできた。
「健司さん!」
ヒロインが安堵の声を上げる。
「無事だったの!?」
「みっちゃんこっちだ、早く!」
健司キター。遅えよ。
「健司さんは大丈夫なの!?」
「僕のことより、早く外へ! この病院はもうだめだ!」
うあー、とか、うぼー、とか言ってる俺たちに背を向け、二人が走り去っていく。
お達者でー。
二人を見送る、俺たちモブゾンビの生温かい目。
その後だいぶ待たされて、皮膚が紫色に変わり始めた頃、ようやく物語世界を抜けた。
「……ったく、冗談じゃないよ、寺井君」
病院の外のベンチ。
俺は腐った皮膚を太陽に当てて殺菌消毒しながら、電話で苦情を言っていた。
「俺、これから人と会うって言ったじゃん。ゾンビ化はないでしょ、ゾンビ化は」
「すみません!」
電話の向こうで寺井君は平謝りだ。
「僕も恋愛ものって聞いてたんですけど……なんか作者さんが、ポイントが伸びないからゾンビものにジャンル変更しようと思い付いたらしくって」
「変えるのは作者さんの自由だけどさあ」
ああ、やっと皮膚の色が戻ってきた。
短時間のゾンビ化でよかった。皮膚が腐り落ちたりしてたら、今日中には治らないところだったぜ。
そんななりじゃ梨夏ちゃんに会えるわけないからな。
「現場に入っても、何の説明もないんだぜ。それで作者さんの天の声アナウンスでいきなり、ゾンビ化してくださーい、ときたもんだ。ちゃんと前振りがしっかりしてればなれるけどさ。何の説明もなしにいきなりゾンビになれるかって」
「それ、ひどいですねえ」
「とっさにみんなで演技したから、よかったようなものの。あれだぜ、本当のゾンビ化が始まったのってとっくに主要キャラがいなくなった後だからね? もはや何のために自分たちがゾンビ化させられてるのか、意味わかんなかったもん」
「ほんと、すみませーん……その作者さん、ブラックリストに入れときます……」
「頼むよ。いくらなんでもモブの扱いが雑過ぎるって言っといて」
そう言って俺は電話を切る。
健康な人間の顔色を取り戻すのに、あと二時間はかかりそうだ。
せっかくの退院祝いだってのに、やばい顔色で行ったら梨夏ちゃんを心配させちまうからな。
ちゃんと治さないと。
そんな事情があって、じっくりと肌を日光に晒していたら、待ち合わせのぎりぎりになってしまった。
というような諸々の事情を、梨夏ちゃんに言えるわけもなく。
「さあ、行こう。今日はうまいもの食うんだろ」
「はい!」
俺の言葉に、梨夏ちゃんは嬉しそうに頷いたのだった。




