俺たちモブは、そうやって物語を支えるんだ。
「光ってる」
ぽかんとした顔で、主人公のヒロインが言った。
「誰だろう、あの人」
「あんな子、うちの課にいたかな」
イケメン課長も戸惑った顔を見せている。
物語上、課長は自分の部下であるアイビーのことを知っているはずなのだが、おそらくはアイビーが短時間ですっかり変貌を遂げてしまったことで気付いていないのだろう。
「……あなた」
アイビーがヒロインを指差した。
「安芸島晴香さん」
「は、はい」
突然謎の女に名前を呼ばれたヒロインが返事をする。
「なんでしょうか」
「あなたね、顔の彫りが浅すぎるわ」
「えっ」
「いくら万人受けを狙ったヒロイン像って言っても、あなたのルックスは浅すぎる。それに合わせたかのように、あなたの行動も浅い。いいえ、幼いと言った方がいいかもしれない。とても社会人とは思えない稚拙な言動」
「えっ、えっ」
ヒロインが目を白黒させている。
当たり前だ。何を言われているのか、意味が分からないだろう。
「淡白なルックスに、ちぐはぐで幼稚な言動。そこに、私の認める美は無いの」
「君は、何を言ってるんだ」
ヒロインを庇うように課長が厳しい声を発した。
さすが、メインキャラの一人。それだけで場がぴしっと引き締まるような迫力がある。
「不破課長」
だがアイビーは課長の声にもまるで怯まなかった。
それどころか、その真っ赤な紅を引いた唇を挑発的に吊り上げて、課長を見た。
「あなたには翳が足りない」
アイビーは言った。
「な、なに」
「三十代後半から四十代だというのならともかく、あなたまだ三十前でしょう。その若さで異例の出世をしているからには、あなたはもう何人もの先輩や上司を跳び越えて、踏みつけにしてきたのよ。それなのに、あなたからはそういうことを平気でできる闇も狂気も感じない。そこにあるのは薄っぺらいデキる男像だけ。私の認める美はない」
「何を言ってるんだ」
ヒロイン同様、課長も何を言われているか分からないながらも、自分を否定されていることだけは伝わるのだろう、不愉快そうに眉を顰める。
「そもそも君は誰なんだ」
「私の基準において、あなたたちからは美を感じない」
アイビーの輝く身体の周りで、ばちばちと火花が散る。
「不合格よ」
その目が、狂気に輝く。
それを見て、俺も気付いた。
森井さんたちを吹っ飛ばしたあの力を、ヒロインたちにも放つつもりだ。
まずい。そんなことはさせちゃいけない。
俺は走った。
後ろで見ておけ、なんて言われたことはとうに吹っ飛んでいた。
物語を守る。それは、モブとしての本能のようなものだった。
俺はデスクを跳び越えて、倒れているおっさんの手からバンドをひったくる。
机から落ちたパソコンや倒れた椅子が、派手な音を立てた。
「アイビー!」
もうアイビーは、その狂気に満ちた力をヒロインたちに放つ寸前だった。
現実世界準拠の世界であんな非現実的な攻撃を食らったら、下手すればヒロインたちの命まで。
「やめろ!」
現実着を着ている俺の存在は、物語の登場人物には感知されない。
だけど、もはやメインキャラとモブの垣根を跳び越えてしまったアイビーには、俺が見えていた。
「また醜いモブが一人」
振り払うように腕を振る。
その途端、全身に電気が走ったみたいになって、俺の身体は硬直した。
「ぐぎっ」
「モブが、私の邪魔しないで」
冷たいアイビーの声。
その通り、俺はモブだ。だけどな。
「モブだから邪魔するんだろうが!」
闇堕ちしたモブを止められるのは、モブだけだ。
突っ込んでくる俺を見て、まだ動けることにアイビーは少しだけ意外そうな顔をした。
舐めるんじゃねえ。
俺たちモブが、何度痛い目に遭ってると思ってんだ。
それだけじゃねえ。
俺はな。
現実でも死にかけてきてんだよ!
骨折ヤカラモブの全身全霊を込めた体当たりで、アイビーはオフィスの床に倒れ込んだ。俺はその上に馬乗りになる。
「目え覚ませ、アイビー」
「この薄汚いモブのゴミが」
アイビーの身体の中で狂気が膨れ上がるのが分かった。
「私の身体に触ったな、何の個性も信念もないモブの分際で」
何と言われようが、俺は気にしなかった。
罵詈雑言には慣れてる。
俺は罵られ、殴られることで、読者をスカッとさせてきた底辺のナンパモブ。
それを仕事にしてきた人間だ。
何の個性も信念もない。それで結構。
俺たちモブは、そうやって物語を支えるんだ。お前の言葉くらいじゃ揺るがない。
「離せ!」
アイビーの絶叫。
それとともに、また蔓草のように電気が走った。
俺の身体を激痛が走り抜ける。
折れた腕が根元からもげたんじゃないかと錯覚するほどの激痛。
「いってえええ!」
いてえけど! 全治三十分!
俺は自分に言い聞かせた。
現実着を着ている俺の痛みは、正真正銘本物のダメージだったが、俺は全力で自分を騙した。
「全治三十分!!」
そう叫んで、アイビーの手首にバンドを叩きつける。
バンドは闇堕ちの力に反応するかのように、しゅるっと手首に絡みついた。
「離せええ!!」
アイビーが叫んだ。
細身のアイビーが俺の身体をはねのける。
俺はマネキンみたいに飛んで、床に叩きつけられた。
「うぐっ……」
もう声も出ない。
アイビーの人間離れした、どこにそんな力があったのか、というほどの力。
バンド一本じゃ足りねえのか。
俺は手探りで、床から誰かが落としたバンドを拾い上げる。
それならもう一本だ。
「美しくないっ!」
立ち上がったアイビーが、鬼のような形相で叫んだ。
「どいつもこいつも、ちっとも美しくないのよ! 中途半端で、画一的で、そこにまるで信念がない、そんなもの主人公の皮をかぶったモブじゃないの! 私が称賛する価値もない!」
違う。
それだけは俺にだって分かった。
アイビー、俺たちは知ってるはずだ。
物語の粗を見付けて否定することが、物語を紡ぐことに比べてどんなに簡単なことか。
そして物語や作者を見下せばまるで自分が何者かになれたような気分になるけど、本当は何者になったわけでもないってことも。
だから、お前は。だからお前は言ったんだろうが。
「どんなに美しくなく見えたって!」
俺は叫び返していた。
「そっから美しさを見付けるのが、お前だっただろうが!!」
美しさに絶対的な基準なんてない。
だから、美しさって実はどこにだって隠れているんだよ。
私が美しいと思ったものを、美しくないと否定することは誰にもできない。
俺にそう話してくれたのは!
お前だぞアイビー!
俺は左手に持ったバンドをかざすようにして突っ込んだ。
「モブが、知ったようなこと言うんじゃないわよ!」
「モブだからこそ知ってんだよ!!」
アイビーが発した電気が、まるでツタのように周囲に伸びるのが見えた。
周囲のパソコンから爆発が起き、黒い煙が上がる。
「きゃああ!」
「うわっ!」
オフィスに悲鳴が溢れる。
「アイビー!」
全身を突き抜ける痛み。
それでも俺は歯を食いしばった。
そのまま突っ込んでいく。
ぶっ倒れたっていい。アイビーにこのバンドさえ届けば。
止まれ、アイビー! 止まってくれ!!
俺の必死の形相を見たアイビーが、ふと目を細めた。
その瞬間、電気が弱くなった、気がした。
届いた。
俺の突き出したバンドが、アイビーのもう片方の手首に。
巻き付いた、と見えた瞬間、アイビーの力が弱まった。
「……B介」
微かに嗄れた、その声。
俺の知ってるアイビーの声。
厚化粧の奥の目が、悲しそうに俺を見ていた。
「あたし」
「アイビー」
「あのね、あたし」
「確保ぉっ!」
その声とともに、灰色の何かが俺とアイビーの間に割って入った。
現実着が、アイビーの頭から被せられていた。
「この女、とんでもねえ真似しやがって」
H川のおっさんが喘ぎながら言った。
「あんちゃん、お手柄だ」
俺は答えなかった。
アイビーの潤んだ瞳は、被せられた現実着に隠されて、もう見えなかった。




