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カモメが飛ぶ日  作者: Tohna
苦闘の始まり
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第43話 快進撃

 六月の梅雨空の下、カワアリには、独特の緊張感が漂っていた。


 エンペラー杯全日本サッカー選手権大会。


 プロ、アマ、そして学生が同じ土俵で戦うこの大会は、時に残酷な「ジャイアントキリング」の舞台となる。


 ガビアータ幕張の初戦の相手は、高校サッカー界の絶対王者、熊本の名門・肥後大津学園だった。


 スタンドの一角には、機能不全に陥った右目を細め、祈るようにピッチを見つめる横内実次の姿があった。


 八年前、同じエンペラー杯で高校生チームに敗北し、暴動に巻き込まれて負った傷。彼にとって、この大会は「誇り」を奪われた忌まわしい記憶そのものだった。


「横内さん、今日は最高の『上書き』をお見せしますよ」


 隣に座る町島が、タブレットの配信画面をチェックしながら力広く告げた。町島の横には、工務店の菜っ葉服を脱ぎ、ガビアータのポロシャツを誇らしげに着た島会頭も並んでいる。


 午後一時、キックオフ。


 肥後大津学園は、高校生離れしたフィジカルと、統制されたハイプレスでガビアータを襲った。


 プロの牙城を崩そうと目を血走らせる若者たちの勢いに、スタンドのカモメボーイズたちも一瞬、八年前の悪夢を思い出して静まり返る。


 しかし、今のガビアータは違った。


 センターバックの中野朝道が、地鳴りのような咆哮を上げてハイボールを跳ね返す。


「舐めるなよ! ここは俺たちの家だ!」


 中野の気迫に呼応するように、山口、赤羽も隙のないブロックを築く。須賀川監督が授けた、物理的な接触を極限まで減らす「アンタッチャブル・ビルドアップ」が冴え渡り、高校生の猛プレスを嘲笑うかのようにパスが回る。


 前半二十五分。日向GMが「最も効率的な攻撃」と称した形が結実する。

 右サイドを突破した眞崎稔が、十八番おはこのアーリークロスを供給。


 中央で待っていたのは、移籍報道を跳ね除け、今やチームの絶対的な象徴となった尹龍玄だった。


「決めるヨ!」


 尹の打点の高いヘディングがネットを揺らす。一対零。


 尹はゴール後、真っ直ぐに横内たちが座るスタンドへ向かって走り、胸のエンブレムを力強く叩いた。


 それは「もう、あの悲劇は繰り返させない」という、選手たちからサポーターへの無言の誓いだった。


 後半、肥後大津学園の捨て身の猛攻を受けるが、途中出場の湯川が電光石火のカウンターから追加点を奪い、二対零。


 タイムアップの笛が鳴った瞬間、横内は崩れ落ちるように椅子に座り、両手で顔を覆った。


「勝った……。本当に、勝ったんだな」


 八年間の呪縛が、選手たちの躍動によって解き放たれた瞬間だった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 高校生相手とはいえ、過去の呪縛から解き放たれたように、エンペラー杯での勝利は、チームに爆発的な勢いをもたらした。


 七月。酷暑の日本平で清水ブブノフの鉄壁を破り、続くホームでのさいたまユナイテッド戦では、須賀川の「5トップ」が再び炸裂して三点差の完勝。ガビアータ幕張は、開幕当時のもたつきを清算したばかりか、いつの間にかリーグ戦で上位グループに顔を出していた。


 さらに、若手中心で挑んでいるJSLカップ戦でも快進撃が続く。


「日向さん、選手たちのパラメーターが、僕の予想を遥かに超えて伸びています」


 オフィスで町島が驚喜の声を上げた。


「当たり前だよ、マッチー。彼らは今、自分のためじゃなく『誰かのため』に走っているんだ。データには現れない、最強のブーストだよ」


 日向はそう言いながらも、次の戦略——川島製鉄からの自立に向けた資本提携の資料を纏めていた。


 この時期のガビアータを支えたのは、須賀川監督による大胆な「ターンオーバー制」だった。リーグ戦は尹と眞崎を軸としたベテラン勢、カップ戦は村雨や矢澤、そして若手の湯川を軸とした構成。


 特に第二ゴールキーパーだった矢澤の成長は目覚ましく、尹から教わった「フォワードの心理」を活かしたポジショニングで、カップ戦での無失点記録を更新し続けていた。


「スカさん、俺、サッカーがこんなに楽しいなんて思わなかったっす」


 練習後、中野が須賀川に漏らした言葉は、チーム全員の総意だった。


 かつて園田GMに「ガラクタ」と呼ばれた選手たちが、今や日本サッカー界で最も輝く「カモメ」として、三つの大会を同時に駆け上がっていた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 八月、リーグはサマーブレイクを前にした前半戦最終節。


 対戦相手は、奇しくも保阪が不名誉な解任を遂げ、高橋実が暫定監督として指揮を執る横浜クルセイダースだった。


 園田は保阪前監督を更迭するために補強を怠った疑惑が明るみに出て、親会社NDFから事実上の追放処分を受けていた。


 審判に圧力を掛けた疑惑も囁かれたが、証拠不十分として不問に付された。


 試合直前、両チームが練習を行っている最中、横浜のベンチに座る高橋は、試合前、須賀川と日向に歩み寄り、深く頭を下げた。


「……ありがとうございました。あなたたちのサッカーが、僕の目を覚ましてくれました。今日は、小細工なしで戦わせてください」


 須賀川は無言ながら目礼で応えた。


 試合は壮絶な打ち合いとなった。横浜の意地、そしてガビアータの勢い。


 二対二の同点で迎えたアディショナルタイム。


 左サイドバックの関口が、日向から「残留の条件」として示された以上のパフォーマンスを見せ、タッチライン際を爆走する。


「これだ! 須賀川さんが言ってたのは!」

 関口のマイナスのクロスに、飛び込んできたのはセンターバックの中野朝道だった。

 打点の高い、咆哮と共に放たれたヘディング。


 ボールがネットを揺らすと同時に、スタジアムは震天動地の歓声に包まれた。三対二。

 この勝利で、ガビアータ幕張は暫定三位に浮上。


 誰もが信じていなかった「優勝」の二文字が、現実味を帯びて幕張の空に浮かび上がった。


 しかし、その狂乱の夜。日向は一人、社長室で山際と向き合っていた。


「山際さん。……そろそろ、次のフェーズです。僕が『裏切り者』になる準備はできていますか?」


 日向の瞳には、勝利の余韻ではなく、チームを永遠に守るための冷徹な決意が宿っていた。



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