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カモメが飛ぶ日  作者: Tohna
苦闘の始まり
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第42話 復讐のバイアス

 横浜クルセイダーズのGM室。園田は狂気にも似た執念で、ガビアータ幕張の直近三試合の映像を、コマ送りにしながら睨みつけていた。


「甘いんだよ。山際も、あの日向というガキも。……そして須賀川、貴様もだ」


 アズール西宮戦で尹が見せた魂のヘディング。あれは園田にとって、自身の権威への反逆以外の何物でもなかった。

 

 一度放逐したはずの「落ちこぼれ軍団」が、自分を無視して輝き始めている。その事実が、かつて「ナントの天才」と称えられたプライドを泥靴で踏みにじる。


 園田はデスクの電話を取り、低く、濁った声で命じた。


 翌日、早速保阪翔馬を監督から更迭。


 恣意的な補強失敗による成績悪化の責任を取らされた。

 

 園田のプラン通りだった。そして子飼いの高橋を昇格させた。


 矢継ぎ早に手を打つ園田。


 今度は試合そのものに介入しようとした。


「……ああ、オレだ。次の幕張戦、主審は誰になる。……そうか。奴なら『話』が通じるな。それから、横浜のサポーターの一部に『煽り』を入れろ。当日はただの試合にするな。戦場にするんだ」


 園田が仕掛けたのは、判定への不当な介入(バイアス)と、スタンドからの心理的圧迫だった。審判委員会の重鎮に顔が利く立場を利用し、ガビアータに対して判定が「厳しく」なるよう目に見えない外圧をかける。同時に、ネットの掲示板には、


「ガビアータのサポーターが横浜の街を汚している」という捏造された悪評を流布させ、両サポーターの間に抜き差しならぬ殺気を持たせた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「日向さん、横浜戦のチケット、完売です。でも……SNSの様子が少し変なんです」


 マーケティング部長の比良が不安げに山際と日向の目前にタブレットを差し出した。画面には、横浜の過激なサポーターがガビアータのフラッグを燃やすような挑発動画が拡散されていた。


「カモメボーイズの祐誠君たちが黙っていないだろうね。これはスポーツの熱を超えている」


 日向はいつもの飄々とした顔を崩さなかったが、その視線は鋭い。


「園田さんはフットボールを壊してでも、僕らを屈服させたいらしい。山際社長、これはただの戦略じゃありません。僕らも『覚悟』を決めないと」


 山際は中肉中背の体を小さく震わせ、拳を握った。


「園田君……。君はそこまで堕ちたのか」


 試合当日。

 

 三ツ沢公園球技場は、異様な熱気に包まれていた。


 横浜クルセイダーズのサポーターは、園田に煽られた悪意を爆発させ、ガビアータの選手バスが到着するや否や、罵声と紙屑の嵐で迎えた。


「トモ、落ち着け。これは罠だ」


 須賀川監督が、色をなして窓の外を睨む中野を制した。


「スカさん、あいつらやりすぎだ。尹への差別的な幕まで出てるぞ!」


 尹は無言だった。ただ、その瞳には西宮戦以上の深い静寂が宿っていた。


 キックオフの笛が鳴る。


 横浜の攻勢は、まさに「暴力」に近い激しさだった。


 園田の息がかかった主審は、横浜の深いタックルには目をつぶり、ガビアータが正当な競り合いをすれば即座に笛を吹いた。


「ふざけんな! 今のがファールかよ!」


 前半十五分、中野が完璧にボールを奪ったはずのスライディングに、イエローカードが提示される。


「中野、下がるな! 集中しろ!」


 キーパーの粟尾が叫ぶが、判定の不公平さは誰の目にも明らかだった。


 ベンチの須賀川は、テクニカルコーチの飯生と視線を交わした。飯生は微かに頷く。


「プランBです、須賀川(スカ)さん。判定に文句を言っても変わらない。審判の『癖』をデータとして利用するしかない」


 須賀川はピッチへ向かって、大きく腕を回すサインを送った。


「徹底した『アンタッチャブル・ビルドアップ』で行くぞ!」


 相手に体を触れさせないほど細かく、かつ高速なパス回し。判定が厳しいなら、物理的な接触を極限まで減らす。


 データ派の飯生と、現場主義の須賀川が磨き上げた「嫌がらせ」のような究極のテクニックだった。


 翻弄される横浜。園田がGM席で舌打ちをする。


「高橋! 何をやっている、もっと激しく行かせろ!」


 ベンチに座る高橋実は、園田が怒鳴っているのを知ってか知らずか、ピッチ上の美しいパス回しに目を奪われていた。


(……これが、ガビアータか。俺がいた頃とは、全く違う。これが、須賀川のサッカーなのか?)


 高橋の心の中に、園田への忠誠心とは正反対の、純粋な敗北感が芽生え始めていた。


 後半三十五分。


 横浜の執拗なマークに遭っていた尹が、囮となってディフェンダーを引き連れてサイドへ流れる。


 中央に空いた一瞬の空白に、二列目から飛び出したのは村雨だった。


「そこだ!」


 町島がスタンドで叫んだ瞬間、村雨のシュートがネットを揺らした。


主審は一瞬、オフサイドの旗が上がらないか線審を見た。だが、あまりに完璧な飛び出しに、笛を吹く名分が見当たらない。


 一対零。


 そのまま試合は終了した。判定のバイアス、観客席の罵声、園田の影。そのすべてを、ガビアータは「フットボール」という正攻法で粉砕したのだ。


 試合後、園田は狂ったように審判控室へ向かおうとしたが、その行く手を高橋が阻んだ。


「園田さん、もうやめてください」


「退け、高橋! 貴様、誰に口をきいている!」


「……私は、あなたの『道具』になるために監督を引き受けたんじゃない。フットボールを汚すのは、もうたくさんだ」


 高橋の目は、かつてないほど澄んでいた。


 勝利に沸くガビアータのロッカールーム。


「尹、最高だったぞ」


 山際が尹の肩を抱いた。尹は、スタンドにいた木下祐誠らカモメボーイズの熱い歓声に応えるように、穏やかに笑った。


「島さんたちに、勝ち点三のプレゼントです。……日向さん、ツイキャスで自慢してもいいですか?」


「ああ、もちろんだ。でも、マッチーをいじるのはほどほどにね」


 日向の冗談に、選手たちが爆笑する。


 ガビアータ幕張は、この勝利で確信した。


 どんなに汚い謀略を仕掛けられようとも、自分たちを信じ、地域を信じれば、道は拓けるのだと。


 そして、日向の頭脳には、すでに次なる「親会社からの自立」という壮大なプランが描き出されていた。

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