カスミのあがき
カスミと遥。
二人の決着がついた夜のリビングは、静かだった。
窓の向こうに広がる夜景が、薄くガラスに反射している。テーブルランプの橙色の光が、落ち着いた温もりでソファを照らし出す中、遥さんは、ソファの端に腰を下ろしていた。
深紅のランジェリー。乱れた様子は微塵もなく、背筋はすっと伸び、組んだ脚の先まで——余裕という言葉を体現するような佇まいだった。
片手を軽く頬に添え、ただ静かに、カスミを見つめている。
怒っているわけでも、嘲笑っているわけでもない。
ただ、見ている。
それが——何より、残酷だった。
一方のカスミは、床に落ちた上着に手を伸ばすこともできず、脚を閉じることもできないまま固まっている。
彼女へ向けられた遥の視線は、裁きの言葉よりもずっと重く、静かに、彼女のプライドの残骸を踏みしめていた。
遥の勝利は、叫ばれるでも宣言されるでもなく——ただ、空気の重さの変化としてそこにあった。
オレは遥をじっと見つめるあゆむの膝の上で、息をするのも忘れたまま、表情を固めたカスミさんをみていた。
砕けた人間って、こんな顔をするんだ、と——どこか他人事のように、そう思った。
「……ねえ、あゆむ」
オレは小声で、あゆむの耳元に囁いた。
「二人って……ああいう人たちなの? 普段から?」
あゆむは何か思う事があるのか、少しの間、黙っていた。
それから、短く、「ああ、そうだ」、とだけ言った。
「……遥は今、あんな感じで澄ましているが、遥もカスミも二人とも本質は一緒だ。
二人とも、目的のためには手段を択ばず、手段の為には目的を選ばず、その手段のためには そもそもの目的も忘れる悪いクセがある……」
あゆむの言葉は短かったけれど、セクシーなポーズをとって,挑発するようにカスミを見つめる遥をみると、なんだかなんだかずっしりと胸に落ちてきた。
オレにはまだ、遥さんのエロテックなポーズの意味が全部がわかるわけじゃなかったけど、でも二人が人の迷惑考えずに知り合いの家でストリップ合戦のような事をしたのを思い出すと、なんとなく、体でわかる気がした。
――そもそも、二人とも他人の家で、恥ずかしげもなくランジェリー姿で居るのを見ると さもありなん、だけどね。
「しかし、あいつらはココを誰の家だと思ってるんだ?
遥に至っては、あんなポーズで挑発するとは悪ノリにも程があるぞ……」
遥をみながら顔をしかめるあゆむの言葉に、オレはただ黙って頷くしかなかった。
だが、当の遥はそんな小言などどこ吹く風。
「あゆむ。 アタシの事をジッと見てるけど、もしかして、そういうこと?」
彼女はカスミを一瞥、悪戯っぽい笑顔をうかべると、いつの間に奥にあるオレたちの寝室に入り、ベッドに潜り込み深紅の何かを散らすと、白いシーツの上にその肢体を横たえた。
「けっこう、アタシもイケルでしょ? あゆむ。 男になった事だし、コレを見てムズムズしてこない?」
遥はベッドの上で、しなやかな曲線を描くように横向きに寝そべり、片手を枕に添え、もう片方の指先を喉元に這わせる。
ふわりと広がる深紅のフリルが、豊満なヒップのラインをなぞり、そこから伸びる白く滑らかな脚は、無造作ながらも計算し尽くされた角度で重ねられていた。
そして、シーツの上に散ったバラの花びらが、彼女の髪と同じ鮮やかな赤で、その白すぎる肌を刺すように彩っている。
そして何より、一番デインジャラスな秘所をさりげなく見せる完成された誘い。
冗談か本気か分からないけど、遥さんのそのポーズは あゆむを、そしてこの部屋の空気を完全に支配しようとする、毒を含んだ誘惑そのものだった。
自分にはこんな恥ずかしいポーズは死んでも無理だな、これは……。
「……貴様、自分がどれほどの重罪を犯しているか理解しているのか?
その視線、その肢体、すべてが私の理性を蹂躙する『確信的テロ』だ。
これ以上、私の理性が壊れる前に、さっさとそのベッドから降りろ!」
あゆむが顔を引きつらせ、吐き捨てるように、けれど、どこか毒気を抜かれたような声でつぶやくと、
「どうでしょ? 偶然よ偶然、考えたら負けよ。
――こんなポーズを一度やってみたかったのねぇ。 言われなくてもベットはスグに明け渡すわよ」
遥はそう言うけど、誘うような、それでいてすべてを翻弄することを楽しんでいるような、不敵で艶やかな笑みをその唇に湛えていた。
――あゆむの言う通りだ。
遥さんの、このポーズを見て確信した。
この女たちは、人の家だろうがなんだろうが、自分のやりたいことを好きなようにやる人たちだ。
そのためには、「目的のためには手段を択ばず、手段の為には目的を選ばず、そもそもの目的も忘れる」、という、まさに自分勝手の極致、木戸あゆみの妹分とはよく言ったものだよ……。
今回はカスミさんが、海くんの事で隠し立てしてるのを聞き出すのが目的だった筈なのに、完全に目的と手段が逆転してるよ。
「……二人ともスゴイ人だね……。 もしかして、あゆみさん もそんな感じだったの?」
思わずそう呟くと、フッ、と、あゆむが小さく鼻で笑った。
「ああ、そうだ。 だが彼女は更に凄かった。 彼女が深紅のランジェリーを身に着けると、リビングの空気が変わる。
ただ露出しているんじゃない。その紅は、まるで彼女の誇りそのものを纏っているかのように見えた。
そして、彼女が背筋をピンと伸ばし、不敵な笑みを浮かべてそこに立つだけで、夜の静寂がすべて彼女の支配下に置かれるんだ。都会の夜景も、部屋の灯りも、すべては彼女という主役を引き立てるための小道具に過ぎなくなる」
「……」
「その姿は、淫らというよりは……そう、冷徹なまでに気高い令嬢さだった。
視線ひとつで場を統べ、抗うことすら許さない。 全てはあゆみの中心に世界が回り始める、そんな感じだ。 其の美の為には、すべての行為が許されていた」
でも、オレの中では、あゆむのその言葉を聞いた瞬間、彼女のとんでもない光景が広がっていた。
(……空気が変わるって、すべての行為が許されていたって、そういう……?)
オレの想像の中で、深紅のランジェリーを纏ったあゆみは、ただそこに立っているだけで、物理的な「圧」を周囲に撒き散らしていた。
それは、高貴な令嬢などという生易しいものではない。まるで暴君だ。
フリルが波打つ派手なランジェリー姿のまま、彼女は仁王立ちになり、周囲の人間を文字通り「威圧」していた。
その圧倒的な存在感と、有無を言わせぬ態度の前では、部屋の空気さえも物理的に重く、息苦しくなっているように感じられる。
そして、その「圧」に気圧された周囲の人々は、恐怖と困惑に顔を歪め、ボロボロと涙を流しながら、這いつくばるようにして対応に追われている。
彼らにとって、ランジェリー姿の彼女は、美しい憧れの対象などではなく、ただただ迷惑千万で、理不尽な暴力を振るう災害のような存在だった。
場を支配しているのではない。恐怖で蹂躙しているのだ。
ウデを組むあゆみを中心に世界が回っているのではなく、彼女という「嵐」に全員が巻き込まれ、泣き寝入りするしかないのだ。
地雷女……、違う。
爆発物が自分で近寄ってくる浮遊機雷のような、あゆみは近寄らなければ地雷とは違う、向こうの方から常に移動・漂流して爆発物がやってくる機雷女、そんな恐怖の存在だったのだろう。
機雷に接触し、轟沈した無数の被害者が目に浮かんだ。
(……うん、絶対に近づきたくないタイプだよな。 もっとも自分は無謀にも突っ込んでいったのだけど……)
オレは、想像の中の被害者たちに同情しながら、現実の遥とカスミを見つめ、複雑な心境で乾いた笑いを漏らすしかなかった。
視線の先では、勝利を収めたはずの遥が、何時のまにか、さっきまでの「余裕の淑女」の仮面を脱ぎ捨てていた。
さっきまでの「完璧な淑女」の振る舞いはどこへやら?
勝利を収めたはずの遥は、ソファに深く身体を沈め、もはや隠そうともしない行儀の悪さで脚を投げ出していた。
「……はぁ、疲れた」
そんな声が聞こえてきそうなほど、彼女の纏う空気は「かったるさ」に支配されている。
手にした扇子をパタパタと、どこか投げやりなリズムで動かし、火照った肌に風を送っていた。
薄紅色のランジェリーから大胆に溢れた肢体も、遥さんにとってはもはやどうでもいいことらしい。
床に散らばったバラの花びらも、ドラマチックな演出というよりは、片付けるのが面倒なゴミのようにさえ見えてくる。
――そもそも、こんなに花びらをまき散らして、一体だれが掃除するんだよまったく……。
そんなオレの思いを知ってか知らずか、遥さんは薄暗いランプの光を浴びながら、彼女は少しだけ不機嫌そうに、それでいて全てを見透かしたような虚ろな瞳でチラリとカスミを一瞥。
その視線には、追い詰められた敗者への慈悲もなければ、勝利の昂ぶりもない。
ただ、この後に続く「面倒なこと」を早く終わらせろと言わんばかりの、ひどく冷めた熱量だけが、重苦しく室内に漂っていた。
一方のカスミさんの眼は完全に死んでいなかった。
床に落ちた上着に手を伸ばすこともできず、脚を閉じることもできないまま固まっているが、表情を邪悪にして目の奥にはマダ微かに炎がともり、まだ反撃の牙は折れてないように見える……。
――さすが、往生際の悪さは極意姉妹の一人という感じだろうか?
「お姉さまならどうする?」
敏感なオレの鼓膜が、カスミの小さな呟きをとらえた。
独り言のように漏れたその言葉が、リビングの空気をわずかに変えると、カスミはゆっくりと顔を上げた。
そこにあったのは、さっきまでの崩れた様子が嘘のように消え、残ったのは——計算でも演技でもない、何か別の火種。
「そうよ……あゆみお姉さまなら、きっと諦めない。 きっと、こうするはず……」
それは、覚悟を決めたように低く、静かな声だった。
カスミはそう言うと、ソファから遥の使っていたベッドへと足早に移り、膝をつきながらゆっくりと体を傾ける。
カスミのランジェリーの深紅が夜のランプに揺れて、その動作一つ一つが意図的に、しかし自然に、男の視線を引き寄せる角度を作っていく。
遥さんのグラビア風とは違う——実戦で身に着けてきたような、百戦錬磨の風格が漂う男の本能をダイレクトにわしづかみにする誘いのポーズだった。
そして彼女は、まるで問いかけるように、上目遣いであゆむを見た。
「抱いても、いいのよ?」
カスミの言葉に、リビングが凍った。
一気に部屋の温度が下がって、自分の背中に冷たいものがぬけてゆく。
「……あゆむは、渡さない……」
オレは無意識のうちにそう呟いていた。
カスミをじっと見つめながら、あゆむの膝の上で、思わず彼の腕をぎゅっと握りしめる。
自分も脱いで、ランジェリー姿になってベッドに横になれば——カスミさんにだって負けないかもしれない。
――ううん、負けるわけには行かないっ!
そう思い、あゆむのヒザの上から降りようとした、その瞬間だった。
「カスミが望むなら、あたしも徹底的にやるわよ」
一拍の沈黙の後、遥が静かに口を開いた。
遥はチェストの陰で刹那の早業で黒いレースの下着に着替えると、
妖艶なポーズをとってベッドへと歩み寄り、カスミが選んだ戦場に、自ら足を踏み入れる。
そして——先ほどの「格の違い」を見せつけた時と同じ、揺るぎない表情のまま——ベッドの上に寝そべり、惜しげもなくその肢体を伸ばした。
黒いレースのブラジャーと、それに合わせたガーターベルト。漆黒のストッキングが、ランプの灯りの下で静かな光を帯びている。
「えっ……」
そしてオレは、次の瞬間——思わず目を見開いていた。
遥の彼女の一番大切な秘奥の場所に、本来あるべきものが無かったからだ。
ガーターベルトの下、ストッキングに包まれた脚の付け根——そこには、何もない。
ただ妖艶な太ももがみえるだけ、つまり彼女は隠すつもりが、最初からなかった。
「……」
その姿に、オレは言葉を失った。
これは——本気だ。
演技でも、脅しでも、駆け引きでもない。
男に本当に抱かれても構わない、自分の大切なモノをあゆむに差し出しても構わない。 その決死の覚悟、それを遥は言葉ではなく、この一点で静かに示していた。
「あゆむ、好きにしてもいいよ」
遥は、静かにそう言うとベッドの上で肢体を伸ばしたまま、カスミを見た。
怒りでも嘲りでもない、ただ静かな眼差しで。
その目が言っていた。
——お前とは、覚悟が違う、と。
「――ッ!」
一方の妖艶な表情のカスミを見ると——彼女のショーツは、まだそこにあった。
カスミは、「抱いても、いいのよ?」と言いながら、本当に抱かれる準備はしていない。
男の視線を引き寄せながら、でも最後の一線だけ決して手放さない。
それがカスミの「誘い」の本質だった。
実戦で身に着けてきた手練れの誘惑——でも遥の前では、その薄っぺらさが、残酷なほど透けて見えた。
「さあどうする、カスミ。まだ続けるつもり?」
彼女の声は、自身に満ちあふれ ベッドの上でもまったく揺らがなかった。
遥は王者のように揺らぎない強い瞳で、負け犬のように視線を泳がせるカスミをみつめる。
2人の勝負は既についていた。
「………」
オレは、あゆむの腕の中で、遥とカスミの二人の成り行きをぼんやりと見ていた。
——なんで、カスミさんは遥に敵わなかったんだろう。
ずっと引っかかっていたことが、ここに来て、ようやく形になった気がした。
カスミさんの誘いは確かに上手かった。
いろんなコンパに参加して実戦で磨いてきた、男の本能を直接わしづかみにするような手練れの誘いだ、遥さんのグラビア風とは違う、もっとダイレクトな武器だった。
でも——あゆむは、微動だにしなかった。
なぜか。
カスミさんは、ショーツを脱いでいなかった。
本当にあゆむに抱かれてもいいと思っていなかった。リップサービスだけで自分が傷つくつもりも、リスクを取るつもりも、最初からなかったハズ。
男の視線を引き寄せながら、でも自分だけは安全な場所にいた。 それがカスミの誘惑の本質。
でも遥は——ショーツを脱いでいた。
本当に抱かれても構わない、傷ついても構わない、自分のヴァージンを捧げてもかまわない。
その覚悟を、言葉ではなく体で示していた。
それは、自分が傷つくことを、いとわない本気の覚悟。
カスミさんのそれは、うわべだけだった。遥さんのそれは、本気だった。
だから——あゆむの心には、何も響かなかったんだ。
(……じゃあ、今、もし自分が遥さんと、あゆむを取り合うことになったらどうなるの……)
オレは、思わずそんなことを考えていた。
自分は——本気になれるだろうか。
遥さんみたいに、傷つくことをいとわずに、全部さらけ出せるだろうか。
ううん、しなきゃ、ダメ。
本気には本気で勝負しないと、勝ち目も何も有るわけがないもの。
オレはそう思うと、あゆむの膝からそっと降り部屋の隅のチェストへと向かった。
たしか——あゆむが以前、「きょうこ、もしお前が身につけたくなったら着て見ても良いぞ」と言っていたランジェリーが、引き出しの奥にしまってあったはずだ。
引き出しを開けると——あった。
薄い生地の、ちょっと大人っぽいやつ。 所の話じゃない。
このランジェリーは、暗い引き出しの底で、元の持ち主のようにまるで獲物を待つ獣のように艶やかな毒気を放っていた。
視界を刺すショッキングピンクの薔薇は、指先で触れれば溶けてしまいそうなほど薄く、けれどその黒い縁取りは、肌を縛り上げるような露骨な官能を予感させた。
華奢なストラップを指に絡め、その頼りない重みを感じるだけで、まだ見ぬ熱い視線に晒されているような錯覚に陥ってくるような危険なランジェリーだった。
これはどんな男も確実に落とせる、そう思うほどの 禁断の服装だった。
オレは、その姿を想像してみた。
自分でも、けっこういけてるような姿が目に浮かぶ。
――でも、やっぱり恥ずかしいよ……。
リビングでランジェリーを身に着け、あゆむの目の前でカチコチになる姿が目にうかんできた。
やっぱだめじゃん……。
オレは、となりにあった深紅のベビードールに手を伸ばす、
これでも十分派手だけど、最初のものよりはおとなしいものだ。
(………でも、これで遥さんに勝てるの?)
オレは上の空で考えを巡らせようとした瞬間。
「きょうこ」
あゆむの低い声が、後ろから静かに落ちてきた。
「……何をしようとしてるんだ」
「え、あの、その……」
オレは振り返って、思わずランジェリーをぎゅっと胸に抱きしめた。
あゆむは、呆れたような、でもどこか優しい目でオレを見ていた。
「セクシーランジェリーは冷える」
「で、でも……」
「お前、生理中のはずだったよな」
オレの顔が、みるみる熱くなった。
そうだったよね、あゆむにケアしてもらったんだから、カレが知らない訳は無かったんだよね……。
「っ……そ、それは……」
「生理中は体を冷やすのは良くない。 そういうもの着るなとはいなわい。着たいなら着るのは、体が戻ってからにしろ」
「……うん、そうするね……」
「じゃあ、戻しておくぞ」
あゆむはそう言うと、オレの手からそっとランジェリーを取り上げ、ランジェリーを慣れた様子で畳むと引き出しに戻した。
「それに」
あゆむはオレを優しい視線で見つめながら、そのまま頭に大きな手をそっと置いた。
「お前は、そんなものを身につけなくても——そのままが一番かわいい」
「……っ」
オレは、返す言葉を完全に失った。
顔が熱い。耳まで熱い。
うしろで遥さんの「あらあら」という声がした気がしたけど、今はそれどころじゃなかった。
——ずるい。
こんな言い方をされたら、張り合う気持ちが、全部どこかへ消えてしまうじゃないか。
「……もう、ずるいよ、あゆむ。 あゆむの為にあの一番派手なランジェリー着るつもりだったんだよ……」
オレはそのまま、あゆむの胸に顔を埋めた。
「そうか。………アレは一番のお気に入りだった……、それをお前に気に入って貰えて何よりだ」
あゆむはそれ以上言うと、何も言わなかった。
ただ、オレの背中に大きな手を回して、静かに引き寄せてくれた。
その温もりだけで——十分だった。
しばらくそのままでいると、あゆむの視線が、ふと動いた。
オレの頭越しに——カスミへ。
「……カスミ」
あゆむの声は、さっきまでの優しさとは打って変わって、静かな重さを帯びていた。
「お前も素直になれ。素直になれば——今よりずっと可愛くなれるんだ、昔はもっとかわいかった」
カスミが、わずかに眉を動かした。
「昔はもっとかわいかったって何よ、急に——」
あゆむは、「だが」、と言葉を短く区切り、カスミをまっすぐに見た。
「内側のラビアの右がわにホクロのあるお前の昔からの悪い癖がそれを邪魔してる。
カスミ、お前は非常に理性的で、清楚、あるいは仕事に対してストイックに見えるが、一度火がつくと、誰よりも情熱的で献身的になり、より強い刺激、より危うい状況を求めてしまうんだ」
「………」
「そして、 最後に追い詰められるたびに、素直になる代わりに牙を剥く——それがお前の変わらない昔からの一番の問題だ」
一瞬の沈黙。
「……な」
カスミの顔から、血の気が引いた。
「な……なんで、それを——」
カスミのカラダが、震えた。
支えきれなくなった体が、ベットの上へと崩れ落ちそうになった——その寸前。
カスミは、笑った。
「……あは」
乾いた笑いだった。涙の跡が残ったままの顔で、彼女は笑っていた。
「あははは……そう。そうなのね、あゆむ君」
笑いが、静かに止まった。
崩れ落ちていたはずの肩が、ゆっくりと持ち上がった。潤んでいたはずの瞳から、涙の色が引いていった。代わりに浮かんだのは——諦めでも、絶望でもなかった。
もっと、確信した何かだった。
「全部、吐けばいいのね。全部の隠しごとを無くせばいいのよね!?」
その声は、もう震えていなかった。
次の瞬間、カスミは躊躇いなくショーツを足首まで引き抜いて、無造作に放り投げ、止める間もなく あゆむの目の前のソファーにズカズカと歩をすすめ、ドカン座ると——挑発するように、その脚を大きく割り自身の最も秘められた場所を見せつけた。
「――こういう事よね?」
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カスミの自分の秘所をあゆむの目の前に晒しだすという、だれも予測できないだろう蛮行にオレは息ができなかった。
あゆむと遥は何故かネタを知って居る手品を見るように、冷めた目をしてるけど……。
「アンタが、そこまで詳しく知ってるってことは……そういうことじゃないッ!」
カスミは勝ちを確信したような歪んだ笑みを浮かべたまま、露わになったその場所を自ら指し示した。
あゆむの指摘通り、そこには小さな、しかしはっきりとしたホクロがあった。
「アタシを抱いたことがある、って——自分から白状したようなものよ?」
「ねえ、遥」
今度は表情を変えない遥へと、その笑みが向けられた。
「あゆむ君がどうしてこれを知ってると思う? 答えは簡単よ。コイツも、アタシを『買った』男の一人だからよ。清廉潔白なフリしてジャッジ気取ってるけど——中身はアタシの身体を貪った、ただの獣じゃない!」
オレは息を呑んだ。
あゆむの腕を、さっきより強く握りしめていた。
追及されている張本人のあゆむは、一瞬だけ、測りかねるような笑みを浮かべる。
ソレの表情の意味はオレはうかがい知れないけど、あゆむがカスミのカラダを貪ったケダモノじゃ無い事だけは確信した。
けど、カスミはあゆむの表情が変わったことを見逃さなかった。
畳み掛けるように追及を続ける。
「さあ、どうなの、あゆむ君? あの夜の感触、まだ覚えてるんでしょ? このホクロにキスしながら、アタシに愛を囁いたのは——誰だったかしら……!」
これで終わりにできる。そう確信した顔だった。
しかし——あゆむは動かなかった。
あゆむはウデを組みながら、脚を開いたカスミを、ゴミを見るような目で見下ろしたまま——微動だにしなかった。
「……必死だな、カスミ」
聖者のように静かな声だった。
「そこまでして俺を巻き込みたいか」
あゆむはゆっくりと身を屈め、カスミを無感情な目で見下ろしたまま言った。
「残念だったな。お前の言う通り、俺はそのホクロがあるのを知っている。だが——この体が見た訳じゃない」
「どういう事?」
カスミの笑みが、僅かに揺れた。
確定した勝ち筋が潰されたような、そんな表情だった。
「お前たちが三人で家出をしたとき、ホテルに三人で泊ったはずだ。その晩——お前は裸で眠るあゆみに逆さ向きに抱き着き、彼女のそこを舐めていた」
「えっ……」
「そしてお前の秘所を、目を覚ましたあゆみの鼻先に近づけて、『お姉さま、私のもお願い』と言って自分のものを舐めさせた。
……ーーと、聞いている」
恥ずかしそうに話したあゆむは、一拍おいて続けた。
「あの夜、身も世もなくよがったのは誰だったか……思い出させてやろうか?」
カスミの笑みが、凍りついた。
居直るつもりだった。道連れにしてこの事態を切り崩すつもりだった。
なのに——晒したのは自分だけだった。武器にしたはずの身体が、今この瞬間、ただの醜態に変わっていた。
「………そんな……」
脚を開いたまま、カスミは虚空を見つめた。
長い沈黙だった。
「カスミ。 もうアンタの負けよ、いい加減に負けを認めなさい」
遥は、ベットによこたわり、黒いレースに身を包んだまま氷のような追い打ちをかけてゆく。
彼女の顔には一筋の光るモノが流れていた。
「カスミが必死に隠してきた『本性』も『身体』も、あゆむにはお見通しなのよ。
あゆむを誘惑して逃げ切ろうなんて、最初から無理な話。 もう諦めて海クンのことを正直に話して」
「判ったわ。 あの子のことを話せば良いのね、話せば……」
カスミは観念したように そう言うと、脚を開いたまま虚空を見つめた。
そして壊れた人形のように、ぽつりと、語り始め——
「とりあえず」
元のソファーに座ろうとしたあゆむが、遮った。
「まずはソコの場所をどけろ、そしてショーツを穿け、そんな不浄なものを私に見せるな」
感情のない声だった。欲望も、憐れみも、怒りすらもなかった。
まるで、路上のゴミを片付けるように言った。
「……不浄、ってそんな言い方しなくていいじゃない」
カスミの口が、微かに開いた。
掠れた声だった。しかし——その目の奥に、まだ何かが残っていた。
震える手がショーツを拾い上げながら、カスミはゆっくりと顔を上げ、ショーツ穿きながら、呟くように続ける。
「アタシは別に——悪いことをしたつもりはないもの」
「……何?」
遥の声が、一度下がった。
「だって、そうでしょ」
カスミの唇に、薄く笑みが戻った。
崩れかけた化粧の下で、その目だけが、まだ光っていた。
「社会を知らない子供に——大人の世界の、社会見学をさせてあげただけよ?」
カスミの言葉にリビングが、静まり返った。
「海くんだって、最初は嫌がってたけど……慣れれば、ちゃんとわかるようになるものなの。 詩織さんが教えてあげなきゃ、きっとあの子、あんな気持ちいい事を一生何も知らないままだったじゃない」
ソファーに座ったカスミは自分たちのやったことを美化していた。
悪意を、善意に塗り替えながら——それでも、肝心な何かを、まだ飲み込んでいた。
――最初は嫌がってたけど……慣れれば、ちゃんとわかるようになるものなの、 こんな感じの事はマトモナ事じゃある訳がないよな……。
絶対に口には出せないような、そんな事だよなぁ……。
「……だとしてもさぁ、ソレが何?」
だが、カスミのたどたどしい言い訳を一刀両断に切り捨てた遥の声は、低く、重くリビングの床を這うように響いた。
それは、彼女が心の底から抱いている、絶対的な「拒絶」だった。
遥はゆっくりかぶりを振ると、強い視線になり、
「アタシは、あの日詩織のやったことを、正義だって認めることなんて出来ないよ。
あの時彼女が、あの娘にしたことはただの凌辱。 どう言いつくろっても救いようのない、最低最悪の犯罪だよ」
と、迷いなく言い切った。
オレは遥の言葉にいやなイメージが湧き上がり、あゆむの腕の中で小さく肩を震わせていた。
「遥さん……詩織さんは何をしたの?」
あゆむのヒザの上の定位置に戻っていたオレの問いに、思う事があるのか遥は一呼吸を置くと、服を整えながらつかつかとオレたちに歩み寄り、言葉にほんの少し怒気をはらませながら言葉をつづけた。
「あの女が何をしたのかって?
きょうこちゃんが知りたいなら教えてあげる。 あの時、詩織たちがしたことは、ただの『教育』という名をかたった凌辱だよ。
――それも、自分よりか弱い抵抗のしようのない相手に向けたね」
遥の口調は冷徹で、感情を削ぎ落としたナイフのようだった。
その口調のまま、「始まりは、少し前の事なんだけど」、と遥は言葉を短く区切ると、
遥は、奥歯を噛み締めながら忌まわしい記憶を無理やり抉り出すように、子供の話を語り始めてゆく。




