カスミのゲンザイ 格の差
オレは、あゆむのヒザの上にのったままカスミの話を聞いていた。
一分、あるいは数秒。
カスミさんがキリのいい所少しだけ語り終えた後、リビングを支配したのは あまりに重く、湿り気を帯びた沈痛な静寂だった。
倉庫の絶望の底で、少女としての光を奪われ、尊厳をズタズタに書き換えられ、暴力の果てに「ただの肉のアナ」へと作り替えられてしまった犠牲者。
オレにとって、ソレはあまりに忌まわしく恐ろしい話だった。
何時、その立場に行くとも限らないもの……。
「あゆむ おねがい……」
そう思うと、オレは無意識のうちに、ヒザの上にのったままあゆむにキスをして、慰めてもらっていた。
――あゆむの存在がクチビルやカラダに触れる手の感触から伝わってゆき、自分の中の恐怖がうすまっていいくのがわかる。
「……」
カスミさんの、今にも何か言いたそうな冷たい視線がチクチクささる。
けど、今は、今だけはこうしていたかった。
あの聞いてしまった恐怖を忘れたいから。
「まったく、この二人とも熱いよね。……こんな話を聞かされた直後だってのに、自分たちの世界に入っちゃってさ」
ズカズカと近寄ってきた遥は小さく溜息をつき、横目でオレを呆れるような視線で見つめ、
「でも、わかるよ。女のコなら……怖いもんね。自分もいつかあんな風に『モノ』にされちゃうんじゃないかって思ったら、誰かに縋って自分がまだ人間だって確かめたくなるのはさ」
遥の言葉は、同情というよりは冷徹な分析に近い響きを含んでいた。
彼女らしい、さりげない優しさだった。
「あゆむ このままで居させて……」
「好きにしろ」
オレの声に無言でうなずくあゆむ。
その声なき言葉に甘えるように、オレはさらにお願いするようにあゆむの胸に顔を埋める。
「こんな時に何回もキスをせがむって、アナタは何を考えてるの?」
だが、その逃避を許さないように、氷のような声が鼓膜を叩いた。
カスミさんが、そう言うと、コブシをゆっくりと にぎり始める。。
その動作一つで、リビングの空気は再びピンと張り詰めた。
「きょうこちゃん、私が話しているのは、単なる残酷な物語じゃない。
詩織さんという女性の悲劇、一人の女性の尊厳が徹底的に破壊された『現実』を話しているのよ」
カスミはそう言うと、あゆむの腕の中で震えるオレを ゴミを見るような冷ややかな眼差しで見下ろし、強い口調でさらに言葉をつづけた。
「それをあなたたちは……まるで三流のSM凌辱ホラーでも鑑賞しているような気分で聞いているのかしら? 凄惨な地獄を安全な場所から覗き見して、その『恐怖』を自分たちの愛を盛り上げるための、安っぽいスパイスにでもしているつもり?」
彼女の指が、不機嫌そうに自分のワンピースをトントンと規則正しく叩く。
その音は、死刑執行を待つ秒読みのようにも聞こえた。
「詩織お姉さまが凌辱されるという、身の毛もよだつような他人の絶望を聞かされて、
――あぁ怖かった、だから今は抱きしめて……。そんなふうに、誰かの尊厳の残骸を、自分たちの熱愛を美味しくするための『調味料』として消費する。……その浅ましさ、吐き気がするわ。
――きょうこちゃん。 アナタには、海くん みたいな調教が必要じゃないの?」
カスミさんが吐き捨てられた辛辣な言葉は、愛の温もりに逃げ込んでいたオレの背筋を氷の刃でなぞるように凍りつかせる。
カスミさんがいうのは正論だった。
あゆむに何度もキスをせがみ、甘えていたオレは返す言葉もなく、ただあゆむの胸に顔を埋めることしかできなかった。
「……カスミ。 アンタはきょうこを「あさましい」とか言ったけど、それをどの口から話しているの? そもそもアンタはソレを言えた義理なの?」
だが、その重苦しい断罪を切り裂いたのは、カスミを一瞥した遥の地を這うような低い声だった。
彼女の声にリビングの温度が、一瞬で氷点下まで叩き落とされた。
「ど、どういう事よ?」
遥はゆっくりと動揺をかくせないカスミさんの正面に回ると、彼女の瞳をじっとみつめ、
「カスミ。アンタはさっき、『海くん みたいな 調教』って言ってたよね?」
そうつぶやいた彼女の瞳には、さっきまでの呆れたような色は微塵もなく、獲物の喉元を狙う肉食獣のような鋭利な光が宿っていた。
カスミの顔から血の気が引いた。
「そ、それは……ただの言葉のアヤで……」
「言葉の綾で、海くんの調教ね……」
遥は低く繰り返した。感情を圧縮したような、静かな声だった。
それがかえって、怒鳴り声よりずっと恐ろしかった。
「アンタ、自分が今、何を口滑らせたかわかってる?」
カスミは後退りしようとして、ソファの肘掛けに腰をぶつけた。
逃げ場はない。遥の視線が、まるで凍てついた氷みたいに、彼女をその場に縫い留めていた。
「海くんの事を知ってるのは……詩織から聞いたのよ。詩織が感情をころしてあのコを勉強をしていた、と。 けれど、表情はとても苦しそうで、あれは自分も苦しんでいた——、と…」
「詩織から聞いたから知ってる、ねぇ……。」
遥はもう一度、オウム返しに言った。今度は、ひどく静かに。
その瞬間、何かが音もなく崩れた。
遥の表情から、怒りの熱が消えた。残ったのは、もっと冷たい何かだった。軽蔑でも憐憫でもなく——完全な、拒絶だった。
「詩織を知ってるけど、自分からは『調教』とは言わないの、自分のやる事を『指導』という美辞麗句で飾り立てるんだよ。 気が付いて無かった?
ーーそれに、話した本人が、自分の事をどうやって客観的にみるのよ?」
遥は、真実を突きつけ、伏し目がちに呟くとさらにつづけた。
「そもそも詩織が悲劇のヒロイン? 尊厳を奪われた犠牲者? ……笑わせないで!
彼女はソレだけじゃないって事を自分が一番よく知っているはずじゃないの?カスミ。
その『詩織』という女があのバール事件の後、何をしていたのかを……」
遥さんは、吐き捨てるように言った。
その瞳には、かつての親友に向けられていたはずの情愛は微塵も残っていない。
代わりに煮え立っているのは、深い疑惑と、憎悪の色だった。
「そ、それは……ただの「みんなで あの子のお勉強の手伝いを……」」
遥の追及に、カスミさんの動きが止まる。
唇が震え、言葉を探すように視線が宙を泳いだ。
しかし遥は待たなかった。
ほんのわずか口角が愉悦にゆがむ。
「みんなでお勉強の手伝い?
ーーやっぱりあんた何を隠してるわよね?」
遥のワンフレーズ。それだけで、カスミさんの喉がひくりと鳴った。
「で、でも……! 詩織さんの身に起きた事は、本当に、耐えられないくらい辛い事だったじゃない! 私はただ——ただ、あのひとの力になりたかっただけなの。ただそれだけよ。 自分はそれを手伝っただけなのよ。 もう何もないわよ、信じて……! 遥……」
遥の追及に、カスミさんの動きが止まる。
唇が震え、視線が泳いだ。絞り出すような声で言葉を継ごうとするたびに、それはどこかで空回りして、言い訳の形すら成さない。
誰の目にも明らかで、骨まで透けて見えるような弁解だった。
遥の前では、何一つ通らない。それはカスミさん自身が、一番よくわかっているはずだった。
それでも——彼女はまだ、諦めていないのが目から分かる。
そして、追い詰められた獣のように、その目が、一瞬だけ鋭く光った。
「これなら信じてもらえるわよね?」
彼女の声が震えている。しかしその震えは、恐怖だけではなかった。
カスミさんは震える指先をワンピースのジッパーにあてると——ザっ、と、一息に引き下ろした。
上着が、音もなく床へ落ちた。
「この姿になったら……もう、これで私が何か隠してるように見えるの!? 遥?」
露わになったのは、薄手の深紅のランジェリー。
夜のリビングの照明が、彼女の豊満な曲線を艶めかしく縁取った。
「お願い……信じて。私はただ、詩織さんの無念を晴らしたかっただけなの……」
カスミの言葉は遥へ向けられていた。
しかし、その潤んだ瞳は——ゆっくりと、静かに、あゆむの方へと流れていた。
口では赦しを乞いながら、視線だけが別の獲物を探していた。
縋るような声。助けを求める、傷ついた女の目。
しかしその瞳の奥の奥に、一瞬だけ、計算の色が光った気がした。
オレには、カスミが何をしているのか、は、わかった。
わかった上で、どこか現実感がなかった、弁解はもう、どうでもよかったのだ。
遥の論理には敵わない——それを悟った瞬間、言葉が通じないとわかった瞬間に、カスミさんは別の何かに切り替えたんだ。
言葉ではなく、体で。理屈ではなく、熱で。男であるあゆむを狂わせる事ができれば、この場の空気ごとひっくり返せると、そう計算したのだろう。
理屈じゃなく、色仕掛けで空気ごと塗り替えようとしている。そういう戦い方が、世の中には存在するのだと——頭では理解できた。
でも、目の前でそれをやられると、思っていたより、ずっと生々しかった。
これが、女の武器、というやつなんだろうか。
天使にされた元男のオレには、どうやっても真似できそうにない手段だった。
カスミさんをじっとみて、そうおもった。 どんな きょうき より強い必殺の武器だと。
「お願い……信じて。私はただ、詩織さんを助けたかっただけなの……。この姿を見てもまだ、私が嘘をついていると思う?」
カラダを武器にした カスミの潤んだ瞳が、するりとあゆむへ流れた。
上目遣い。赤く染まった頬。睫毛の縁に、今にも零れそうな涙。
完璧だった。
怖いくらい、完璧だった。
「……」
だが、あゆむを見てみると、カレは何も言わない、ただカスミを見て、ただ表情を強張らせているだけだった。
まるで、古い仲間が駄々をこねるのを見るような視線で。
どうやら、あゆむはカスミには全く無関心な感じだろう。 自分も一安心。
肝心の遥は——何も言わなかった。
ただ、静かに真っ直ぐカスミを見ていた。
その瞳の中に、もう何も残っていなかった。怒りも、悲しみも、かつてそこにあったはずの情愛も。あるのはただ、乾いた、透明な——終わり、だけだった。
カスミの「女」を使ったなりふり構わない抵抗。
リビングの空気が異質なエロティシズムに染まろうとした瞬間、遥はフッと自嘲気味に笑った。
自嘲めいた、薄い笑いだった。
「……なるほど。言葉が通じない相手には、同じ土俵に上がるしかないってわけね」
遥の声は、驚くほど平坦だった。熱も、怒りも、何もなかった。
そのまま迷いなく、遥は自身の上着のボタンに手をかけた。
堂々とした態度に、誰も、声を出せない。
「遥、ちょっと何を……」
カスミの息が止まるのが、わかった。 そしてオレとカスミが息を呑む中、遥は静かに服を脱ぎ捨て、上着が、ソファへ無造作に放られた。
「コレで満足?」
そこに現れたのは、カスミの扇情的な赤とは対照的な、漆黒のレースに包まれた肢体。
ガーターベルトとストッキングを身につけた、挑発的で、かつ揺るぎない自信に満ちた姿だった。ガーターベルトとストッキングが、夜のリビングの照明の下で、静かな光を帯びている。
遥は脱いだことなど最初からどうでもいいとでも言うように、腕を胸の前で固く組んだ。
――その立ち姿には、羞恥の欠片もなかった。あるのはただ、誰の侵入も許さない、鋼のような静けさ。
それは息をのむほどに自信にあふれ、エロティシズムとは全く無縁な姿だった。
「脱げば許される。脱げば同情してもらえる。……アタシだって脱げるわよ」
そして、氷のような視線が、再びカスミへと向けられた。
「これで、同じね?」
遥は微塵の羞恥も見せず、氷のような視線を再びカスミへと向けた。
「でもね、カスミ。 半裸になったからといって、あなたの犯した『卑劣』が消えるわけじゃないよ」
一歩。また一歩。
「むしろ、そうやって自分の身体まで利用して、自分を『悲劇のヒロイン』に仕立て上げようとするその性根……」
遥は一歩、また一歩と、半裸のカスミに近づいていきます。
「それこそが、一番『あさましい』って、まだ気づかないの?」
カスミを侮辱するようにポーズをとる遥。
深紅と漆黒が、リビングの照明の下で対峙していた。
同じ「脱ぐ」という行為を選びながら、カスミのそれは「逃げ」、遥のそれは「侮蔑」。
同じ女性でも全く脱ぐという意味が違っていた、まるで自分の価値観を表すように。
遥とカスミ、二人の揺るがぬ自信とゆらゆらと壊れてしまいそうなプライドを表しているようだぅた。
重苦しく、それでいてどこか現実離れした熱を帯びたリビング。
深紅のランジェリーで「女」を武器に縋り付こうとするカスミと、それを嘲笑うかのように黒いレースの壁を築き、冷徹な威圧感を放つ遥。
「……変わらないな……」
二人の半裸の女が対峙する異様な光景を、ソファの端で腕を組んだまま静かに見ていた男がいた。
あゆむだ。
カスミが期待していたような「男としての情欲」に溺れた眼差しを微塵も見せていない。熱は彼の瞳のどこにもなかった。
あるのは、すべての手札を読み切った賭博師のような、——あるいは古いなじみの分かり切ったウソを見るような、さめきった光だった。
空気は動かない。
もはや、カスミの敗北は決定していた。
「……少し、疲れちゃった……」
カスミは力なくそう呟くと、重力に抗うのをやめたかのようにソファーへ腰を下ろした。
だが、その瞳にはまだ諦めきれない執念が宿っている。
彼女はあゆむの視線を繋ぎ止めるべく、ゆっくりと、扇情的にその脚を左右へと開いていった。
「まだその色仕掛けで抗うつもり? ――いいわ、売られた喧嘩は最後まで買ってあげる」
遥は冷ややかに言い放つと、今度は自ら奥にあるベッドの向うと、その上で横たわった。剥き出しの肌をさらけ出し、カスミを挑発するように艶然たるポーズを取る。
「コレが色気よ。……アンタのそれは、ただ毒々しいだけよ」
「ッ……」
吐き捨てられた屈辱に、カスミの表情が歪む。
対抗するように彼女はさらに肢体をくねらせ、なりふり構わぬ誘惑のポーズで、自分という存在をその場に刻みつけようとした。
「……少し、うずくの……」
カスミは掠れた声でそう漏らすと、ソファーの背もたれに深く体を預けた。
あゆむの視線を無理やり引き寄せるかのように、両膝を大きく左右へと割り、剥き出しの太ももを月光に晒す。震える指先は自らの腿をなぞり、行き場のない熱をぶつけるように、さらに深く、挑発的な「誘い」の形をなした。
それはもはや、誘惑と呼ぶにはあまりに悲痛な、敗北を目前にした女の悪あがきだった。
「ねえ、あゆむ……。こんなに、熱いのに……見てくれないの?」
上目遣いに向けられた瞳には、涙に似た潤みが浮かんでいる。
しかし、対峙する遥の冷徹な笑みと、あゆむの凍てつくような静寂が、彼女の露出した肌を、この場の空気よりも冷たく叩いた。
深紅のフリルが揺れる。
必死に扇情的なポーズを重ねれば重ねるほど、その場の「異様さ」だけが際立ち、彼女の価値観そのものが足元から崩れ去っていく。
言うまでも無くあゆむは動かない。
オレを膝に乗せたまま、ただ沈黙を保っている。
「あゆむ、どうするの?」
オレがあゆむの耳元でつぶやくと、あゆむはため息交じりに、
「二人ともあの性格だ、止まるわけはない。こうなったら気がすむまでやらせるしかないな……」
というと、遥とカスミ、二人の成り行きを見守り始めた。
「憐れね。そんなふうに自分を安売りして、何が残るっていうの?」
遥の容赦ない追撃が負けを認めないカスミに飛ぶ。
カスミは屈辱に唇を噛み締めながらも、止まることができなかった。今ここで脚を閉じてしまえば、自分のすべてが否定される。
――その恐怖に突き動かされ、彼女はさらに腰を浮かせ、狂おしいほどに過激な姿勢で「女」を誇示し続けてゆく。
「……見てられないわね。その下着、泣いているわよ」
吐き捨てるような遥の声が、熱に浮かされていたリビングを氷点下まで引き下げた。
「アタシが、そのランジェリーの着こなし方を教えてあげる」
遥は呆れたように首を振ると、一度寝室へと姿を消す。
数分後、再び姿を現した彼女の姿に、カスミの動きが止まった。
そこあったのは圧倒的な存在感。
遥が身に着けたのはカスミとまったく同じ「深紅のランジェリー」。
しかし、遥が身に纏っているのは、繊細なリバーレースが肌の白さを芸術品のように引き立てる、気高くも優雅な一着だった。
同じ下着、同じ色、同じ「脱ぐ」という行為。
だが、カスミのそれが男の情欲に媚びる「卑屈な赤」だとしたら、遥のそれは自らの誇りを誇示する「女王の赤」だった。
「同じ下着を選べば、私に並べると思った? 勘違いしないで。エレガンスはポーズの過激さで決まるものじゃないの」
遥はスッと背筋を伸ばし、リビングの真ん中に立った。
ただ立っているだけ。それだけで、場の空気を支配し、狂おしく身をくねらせるカスミが、ひどく滑稽で安っぽいレプリカのように見えてしまう格の違いだった。
「カスミ、これを見て。これが『女』というものの正しい扱い方よ」
遥は嘲笑を浮かべ、あゆむの目の前でゆっくりと髪をかき上げた。
その指先の動きひとつに、カスミが必死にさらけ出した肢体以上の色香と、抗いがたい威圧感が宿っている。
「………」
遥は、身悶えるカスミを冷ややかな一瞥で切り捨てると、迷いのない足取りで反対側のソファーへと向かった。
彼女が腰を下ろすと、まるでそこがバラの花びらが散らばる宮殿の玉座であるかのような錯覚さえ覚える。
背筋をすっと伸ばし、流れるような動作で脚を組み替える。その所作の一つひとつに、付け焼き刃ではない、育ちの良さと揺るぎない自尊心が宿っていた。
「……ポーズなんて、必要ないのよ。女の価値は、その内側から滲み出るものだから」
遥は優雅に肘をつき、指先を顎に添えて微笑んだ。
同じ深紅のランジェリーを纏いながら、遥の姿はどこまでもエレガントで、見る者の背筋を正させるような神聖ささえ帯びている。
対して、必死に脚を開き、獣のように喘いでいたカスミの姿は、どうしようもなく「下俗」に映った。
「う、嘘よ……そんなはず……」
カスミの顔から血の気が引いていく。
どれだけ肌を晒しても、どれだけ扇情的に振る舞っても、遥がただ静かに座っているだけの姿に勝てない。
自分を支えていた唯一の武器である「若さと色香」が、遥という本物の品格を前にして、安物のメッキのように剥がれ落ちていく。
「下品なアンタに……」
カスミの膝が、屈辱と敗北感で小さく震え始めた。
折れかけたプライドを必死に繋ぎ止めようと、彼女はあゆむに助けを求めるような視線を送る。しかし、視線の先にいる男は、依然として冷めた瞳でこの残酷な対比を眺めているだけだった。
静寂が、冷たい視線が、カスミの屈辱をさらに増幅させてゆく。
遥の圧倒的な品格を前にして、自分の必死な誘惑が安っぽく見えていたことを、カスミは認めざるを得なかった。しかし、その敗北感は、やがて煮えくり返るような嫉妬と憎悪へと変わっていく。
「……ハッ。何が『内側から滲み出るもの』よ。アンタ、ただ単に……そんな『下品な色香』なんて、逆立ちしても出せないだけでしょ?」
カスミは顔を歪め、吐き捨てるようにそう言った。
自分の優位性を唯一、証明できると信じている「男を溺れさせる、なりふり構わぬ誘惑」。それを否定された彼女は、自らその「下俗」を武器にして、遥を挑発したのだ。
「フフ……。そうかしら?」
遥は嘲笑を浮かべ、肘をついていた所作をゆっくりと解いた。
そして、あゆむから、そして崩れかけたカスミから、視線を逸らすことなく――次の瞬間、リビングの空気が一変した。
遥はソファーの背もたれに体を預けたまま、その長く白い肢体を大きく開き、ソファー全体を扇情的な「誘い」の舞台へと変えたのだ。
カスミが必死にさらけ出した、獣のような脚の開き方とは、次元が違った。
遥のその動作は、完璧に計算し尽くされたプロのグラビアアイドルのように、どこまでも美しく、そして抗いがたい官能を秘めている。深紅のリボンが揺れ、剥き出しの肌が、より一層、あゆむの瞳を捉えるように配置されていた。
「こっちの『色香』も……得意だけど? 貴女のそれとは、少しだけ……格が違うみたいね」
遥は指先を口元に添えたまま、カスミを射抜くような瞳でそう囁いた。
品格だけではない。カスミが唯一、自分の領分だと信じていた「扇情的な誘惑」さえも、遥は完璧に、そして優雅にこなしてみせたのだ。
カスミの全身が、嘘のように凍りついた。
自分が信じていた最後の武器さえも、遥の手によって、より輝かしく、残酷に叩き潰された。彼女はもう、言葉を失い、自分のすべてが否定されたという絶望の中で、折れかかっていたプライドが、完全に音を立てて砕け散るのを感じていた。
静寂がリビングを支配した。
完璧なグラビアのようにソファーに身を投げ出し、圧倒的な色香を放つ遥。対して、なりふり構わぬ醜態を晒し、呼吸を乱すカスミ。
遥の本物の色香の前にして、勝負はついていた。




