第6話 お人好しと遺失物
「それで、失くした場所にあてはあるんですか?」
「ん、あると思うかい?」
「聞いた俺が馬鹿でした……」
記憶飛ばすほど飲んで潰れていたのだ。どこで失くしたかなんて真琴が覚えているわけがなかった。
「せめて最初に入った店とか覚えてないんですか?」
「うーん確か青砥駅の近くの飲み屋だった気がするんだよな……」
「青戸って結構飲み屋あると思うんですけど……」
葛飾区青戸。それが悠人の住む街であった。地名は「青戸」、駅名は「青砥」の変な街である。
勤務先である葛飾区役所まで徒歩十分。駅前は栄えてこそないが最低限生活に困らない程度に店はあり、日暮里まで電車で十分ほどと交通の便も意外と悪くない。家賃も都内にしては抑えられている。
就職を機に一人暮らしを始め、早くも四年目に突入した。職場に近すぎることも最初はどうかなと思っていたが、慣れれば問題ない。たまに窓口対応した区民をスーパーで見かけるのと、災害などの緊急時に真っ先に呼ばれる人員として名簿に連なってるのがネックだが。
ただそんなのは些細なこと。毎日通勤が十分で済み、満員電車にも揺られないことが一番のメリットだと悠人は思っている。
「昨日は仕事帰りにそのまま飲みに行ったんですか?」
「そうだね。会社は立石なんだが、今再開発中でお店あんまりないだろ? だから青戸まで来て飲んでたんだ。そこまでは覚えてる」
立石という街は青砥駅の一つ隣の駅——京成立石駅にあり、ここもまた葛飾区役所の最寄りとなっている。青砥駅、京成立石駅、お花茶駅、この三つの駅からそれぞれ十分くらいの立地にあるのが我らが葛飾区役所なのだ。
そして立石は現在、駅の高架化と再開発の工事を行なっており、駅周辺の店の多くが立ち退いた。そのため飲み屋なども減少し、今は青戸の方が賑わっているらしい。
「とりあえず交番でも行ってみますか」
「そうしようか。だが、身分証明書がないから私じゃ受け取れないな」
「……そしたら俺に委任状書いてください」
◆
結論から言えば、交番に真琴の財布はなかった。遺失物届だけ書いて、肩を落として駅前に戻ってきたというわけである。
これでまた振り出しだ。真琴もさぞかし落ち込んでいるだろうと様子を伺ってみるが、本人は全く意に介してないらしい。もっと焦ってもおかしくはないはずなのに、真琴は異様に落ち着いていた。
「今更なんですけど、クレジットカードとか止めなくて大丈夫なんですか?」
「ああ、それなら心配ない。持ってないから」
「持ってない?」
「ああ、持ってない」
「……そんな社会人がいるんですか?」
「いるんだなこれが。目の前に」
現代においてクレジットカードを持っていない人間がいるということに悠人は驚きを隠せなかった。もちろん様々な事情で持てない人はいるだろう。
ただ目の前にいる真琴は一般的な会社員だ。審査も通るはずだし、持たない理由のほうが少ない。
「まさか金融機関のブラックリストに……!?」
「載ってないから安心してくれたまえ。ただ単に怠惰すぎて私に向いていないんだよ。そもそも作るのが致命的に面倒くさいだろう? あれは」
「まあ、言わんとすることはわかりますけど……。けど怠惰な人間こそ、全ての支払をクレカ一枚で済ませてしまったほうが楽なのでは?」
「……でもほら、今回みたいに財布ごと失くすかもしれないし。そしたら元も子もないじゃないか」
「大の大人が酔っ払って財布とスマホ失くすほうが珍しいですから……。というかその様子だと、スマホも大して必要だと思ってませんね?」
「連絡が取れればいいと思ってる」
「やっぱり……」
真琴の浮世離れしているような雰囲気はここから来ているのかと少しだけ納得する。今までよく生きてこられたものだ。
「そしたらあんまり急いで探す必要ないんじゃ……?」
「まあ私一人だったらね。ただ今回は君がいる。君に、私が本当に秋津真琴だと証明しなければならないからね」
「……なるほど」
真琴が普段はやらないことを自分のためにやってくれているという事実だけで、なんだか浮き足立ってしまう。
「でもその調子だと、マイナンバーカードも作ってないですよね?」
「もちろん」
「免許証は?」
「あるわけない」
「パスポートも?」
「ないね」
「もしかして保険証だけですか……」
「そうなる」
悠人は頭を抱えた。本人確認として一点で済むものを真琴は何一つとして持っていない。というか、もう本人と証明できる書類がない。今までどう過ごしてきたか全く予想がつかないが、とりあえず。
「……マイナンバーカード作りに行きましょう。俺付き合うんで」
「お、公務員直々の同伴か。ありがたいね」
とにかく今は、真琴の財布とスマートフォンが見つかることをただ祈る悠人だった。
◆
「ありましたね」
「あったな」
交番を出た後、青砥駅近くの居酒屋を巡った結果五軒目くらいで目当てのものは見つかった。
幸い中身も何一つなくなっておらず、真琴の生命線である健康保険証も無事だった。
「店長がいい人でよかったですね。でも、覚えられるほど飲んでたって一体なにしたんですか真琴さん」
「それを覚えてたらこんな苦労はしてないさ。そんなことより」
真琴は健康保険証と名刺を悠人に手渡した。
「改めて、秋津真琴だ。これなら少しは信用できるだろう?」
真琴が差し出した健康保険証には、『秋津真琴』の文字。
そして名刺には『秋津真琴』の文字と——立石に本社を構える玩具メーカーの名前があった。
「まあさすがに……ってガチガチのエリートじゃないですか! こんなもん出されたら信用するしかないですよ!」
「お、たまには職歴も役立つもんだね。改めてよろしく頼むよ、悠人くん」
「こちらこそ……」
家での真琴とバリバリ働いている真琴はどうしても結びつかないが、少なくとも適当に生きているだけで入ることのできるような会社ではない。
今はただギャップがすごい人という認識でいよう。でなければ処理できない。
「さて、財布もスマホも見つかったことだし、お酒を買って帰ろうか」
「懲りないですね……」
「君の家でたくさん飲む分には構わないだろ?」
「まあ、その後の身の保証はしかねますけどね」
「睡●か……悪くないな……」
「少しは躊躇ってもらっていいですか?」
そんな軽口を叩きながら、二人は青砥駅のスーパーに足を踏み入れた。
カートにかごを乗せ、二人で並んで歩く。こんなことをしていると、まるで同棲しているみたいだ。まあ、これからするのだが。
期間限定ではあるが、二人であの家に住むことになるのであれば、色々とやらなければいけないことがある。
必要なものをかごに入れながら、悠人は口を開いた。
「引っ越し先見つけるにしても、一旦俺の家に住民票移さないとですね。多分そっちのほうが色々楽です」
「それはそうだが……いいのか?」
「大丈夫ですよ、うち二人入居可能な物件なので」
「そういうことじゃなくてだな……。そこまでする義理が君にはあるのかって話だ」
「あーそういうことですか。まああるかないかで言ったら……多分ないですね」
「じゃあなんでそこまでしようとするんだい?」
「だってほら、マイナンバーカード作りづらいじゃないですか」
「……なんだって?」
真琴は怪訝な顔で聞き返した。
「真琴さんに身分証明書を持ってほしいんですよ、一旦。でもすぐ作れるのはマイナンバーカードだけだし、作ったとしても前の住所に行っちゃうし。だったら葛飾に住民票移して葛飾区民としてマイナンバーカード作ったほうが都合がいいよなって……」
真琴の今後のことを考えれば、ここで身分証明書となるマイナンバーカードを作っておくことのが得策だ。本人に任せていたら絶対に作らないだろうし、自分も巻き込んでしまえば動かざるを得ないので悠人としては大真面目に一石二鳥だと思っている。
だが、それは真琴には理解されないようで、
「君、お人好しすぎるよ」
などと憐れみの目を向けられた。
「尽くしすぎとはよく言われます。気がついたら相手の気がどんどん大きくなっていって、手のつけられないモラハラ女になってることとかよくありましたね」
「私も大概だが君も大概だな……」
こっちとしてはただ相手に喜んでほしいだけなのになにを勘違いしているのだろうと、悠人はいつも思っていた。とはいえ、この性格をやめられるわけではない。それを受け止めてくれる人を探すしかないのだ。
「まあでも、そういうことならお言葉に甘えさせてもらうよ」
「そうしてください。月曜って休めますか?」
「ん、突然休んでも問題ないくらいは働いているから大丈夫だよ」
「じゃあ一緒に役所に行きましょう。俺も休むので」
「言ったそばから……。でもこれ、いちいち断ってたらキリがないんだろうな、きっと」
「お察しの通りです。諦めてください」
「もはや怖いな……」
若干引き気味の真琴を横目に、悠人は上機嫌でカートを押した。真琴は引きながらも、自分の世話焼きを享受してくれている。ただただ一方的に受け取るだけじゃないだけで、悠人の足取りは軽くなる。
「そういえば、前はどこに住んでたんですか?」
「あー、押上だね」
「いいとこ住んでますね……」
「まあ職場にも近かったからね。これからはもっと近くなるが」
押上から立石までは電車で十分ほど。
「そうですね。そうすると墨田区役所だから……本所吾妻橋か。近くていいですね。そこで転出の手続きが終わったらその足で葛飾区役所に行きましょう」
「ああ、うん……もう君に任せるよ……」




