第4話 後悔と後悔
深夜二時。眠気はとうの昔にどこかに消え去り、浴室からシャワーの音が聞こえる中、悠人は缶ビールを少量ずつ飲んでいた。
あのやり取りの直後、真琴がお風呂に入りたいと言い出したのだ。
断る理由は当然ないが、その間におやすみなさいと寝られるほど豪胆な性格もしていない。
女性のお風呂は長い。それは人類共通だと思った悠人はその間に真琴の衣類をコンビニまで買いに行き、ついでに酒やツマミ、それと念の為に避妊具を買ってきていた。
それなりにゆっくり買い物をしたはずだったが、真琴はいまだお風呂から出ていない。故に悠人は、ツマミを片手に一杯引っ掛けていたというわけだ。
「これからどうしたもんか……」
酒に酔って帰ってきたのにも関わらずまた酒に手を出すくらい、悠人は考えることが山ほどある現実から逃げていた。
なんせまだ失恋からの後悔に整理をつけられていない。悠人は心がぐちゃぐちゃのまま、訳のわからないことに首を突っ込んでしまったのだ。
けれどそれを後悔しているかといえば、していなかった。確かに考えることは増えてしまったが、あそこで真琴を置き去りにするより何倍もマシだと今でも思っている。
「とはいえ、だよなあ……」
土日は何も問題ないと悠人は踏んでいた。どうせ予定はないし、ずっと一緒にいればいい。
問題は平日だ。真琴の口ぶりでは、平日は仕事をしているらしかった。当然悠人も仕事がある。起きる時間も帰る時間もきっと違うだろう。
二人でどう生活していくか、そこを詰めないと今後なりたたくなってしまう。
昔から考えすぎる癖がある悠人は、起きてもいないことに頭を悩ませていた。起きていないことをいくら考えても仕方ないということはわかっているのだが、いくつになってもやめられないでいた。
「はあ……」
「溜息をつきながら晩酌とは、粋なことをしているじゃないか。ご一緒していいかな?」
そんな声と一緒に現れたのは、お風呂上がりの真琴。ドライヤーで乾かしきれなかったであろう毛先を濡らし、悠人が用意した上下グレーのスウェットに身を包んでいた。
「晩酌にしては、夜が更けすぎてる気がしますけどね」
悠人はそう言いながらも、冷蔵庫から冷えている缶ビールを取り出して真琴に手渡す。
真琴は悠人の隣に腰を下ろしながら礼を言い、ビールを受け取って一気に呷った。
「……うん、やっぱり美味しいね、お酒は。特にこの時間に飲むお酒は格別だ」
そう言いながらビールを飲む真琴の横顔を、悠人はぼんやりと眺めていた。いや、惹きつけられたと言った方が正しいかもしれない。
恐らくすっぴんのはずだが、素顔が故に一つ一つのパーツがより際立ち、化粧時よりも素の美しさが際立っていた。肌なんてすっぴんとは思えないほど綺麗で透き通っている。
「……どうしたんだい?」
視線に気づいた真琴が、優しい声で問いかける。
「いや、綺麗な顔してるなって思って」
そう馬鹿正直に言ってしまうくらい、綺麗な顔をしていた。
「ふふ、そう素直に褒められると悪い気はしないね。……それはそうと、一つ質問があるんだ」
「なんですか?」
「どうしてあの公園のベンチで、私を見捨てなかったんだい? 君としてはそっちの方が安全だっただろうに」
「拾われたあなたが言いますか、それ……。まあ、色々理由はありますけど、真琴さんが『一人にしないでくれ』って言ったのが一番の理由ですかね」
悠人がそう言うと、真琴はこちらに向けていた目を少しだけ大きく開いた。
「……私、そんなこと言ってたのか?」
「言ってましたね、割と鮮明に覚えてます」
「そうか……そんなことを……」
苦笑いしながら頬を人差し指でかく真琴。
——この人も照れるんだな……。
その顔を見ながら、悠人はそんなことを思った。掴みどころがない人が照れるというのは、なんだか珍しいものを見た気分になる。
居た堪れなくなったのか、真琴は話題を悠人のもの戻した。
「君も相当酔ってたじゃないか。なにかあったのかい?」
言おうかどうか迷ったが、真琴相手に隠す意味もないと思い悠人は口を開いた。
「……そうですね。この歳にしては非常にしょうもない失恋をしまして」
「ほう。聞いても?」
「告白のタイミングが遅すぎたんですよ。楽しさにかまけて綺麗に決めようとしすぎて、手遅れになりました」
口にしてしまえば、なんてことはない失恋話。タイミングが合わなかったなんて話はいくらでもある。それは理解しているはずなのに、後悔の念がいつまでも消えないのだ。
「まさか自分がこんな初心者みたいなミスするとは思ってなかったんですよ。でも今思い返せば当時の自分には確実に油断や慢心があって。そこがどうしても許せなくて、ずっと同じことを考えてるんです。なんでちゃんとできなかったのかって」
もう振られてから二週間も経とうというのに、悠人はいつまでも同じことを考えていた。寝起き、通勤中、仕事中、食事中、何をしていようと思考が反芻する。
「だからもしあそこでちゃんとしていたらって考えて妄想までしちゃうんですよ。ここまで来るとさすがに痛いですよね。だから耐えきれなくて、飲み会でヤケ酒をしてました。アホな話でしょう?」
友達に話しても、「次だよ次!」と言われるだけ。もちろんそれが悪いわけではない。その言葉も確かに悠人には必要だった。
けれど真琴は悠人の間抜けな話を目を逸らさずに聞いていた。茶化したり冷やかしたりせず、真剣に聞いてくれていたのだ。
それが悠人にはどうにも響き、心の奥がじんと熱くなるのを感じる。嬉しいと、悠人は素直に思った。
そして真琴が、ゆっくりと口を開く。
「……今の私には、君の話をアホな話と一蹴する資格はないな。君と私は、出会うべくして出会ったのかもしれないね」
「……どういう意味です?」
「じゃあ今度は、私の話をしようか」
真琴はそう言って、手に持っていたビールを口に運ぶ。一口、二口と飲み、テーブルに置いた。
「私、生活能力が皆無なんだ」
「……はい?」
前置きなのだろうが、あまりに突拍子のない発言に悠人は間抜けな声を出す。
「それはどんなレベルで……?」
「そうだね、家事全般ができないから生活水準が著しく下がって、一ヶ月もしないうちに部屋がゴミだらけになって足の踏み場がなくなるレベルかな」
「うわあ……」
この人が好き勝手暮らすと所謂汚部屋になるらしい。悠人はドン引いて言葉を失った。
「まあそう引かないでくれよ。これでも七年間、こんな私を好きでいてくれる彼氏がいたんだ。大学生の時に会った人でね、だらしない私をずっと好きでいてくれてた。このままいけば結婚すると、信じて疑わなかったよ」
誰かと付き合ってもせいぜい二、三年続くかどうかだった悠人には想像できない期間だった。それも二十代という、恐らく最も輝かしい時期においての七年間だ。重みが違う。
「だけどね、そんな彼にこの前『もう限界だ』と言われてしまったんだ」
「……」
「一気に血の気が引いてね。どうにかしようとしたが、もう何もかも遅かった。彼の優しさの上で、私は胡座をかいていた。彼が私のことをずっと好きだと、思い込んでいたんだよ」
真琴はそう言って、苦々しく笑った。その顔を、悠人は知っている。
様々な感情が脳内を駆け巡って、そんな顔しかできなくなってしまうのだ。
後悔して自分を責めて責めて責め続けて。その先に何もないとわかっているのに。
「……それは、耳が痛いですね」
「ふふ、お互い少しタイムリーすぎたね」
似たような後悔をして、同じ日にしこたま飲んであの公園に向かった。
少し出来過ぎかもしれない。
けれどそれはきっと運命と言って差し支えなくて。
互いに身を委ねるには、あまりにも適した理由で。
「……」
「……」
どちらからともなく、二人は口づけを交わした。
時刻は午前二時半。
夜はまだ明けない。
◆
「——君は、恋人を抱くように扱ってくれるんだね」
「……恋人としか寝たことありませんから。それしか知らないんですよ。嫌でしたか?」
「まさか。愛されてる気がして嬉しいよ」
「……あんま可愛いこと言ってると朝まで寝かしませんよ」
「ふふ、望むところだよ」




