第30話 実家
『申し訳ない……。こんなことになるとは……』
土曜の夜十時。電話越しに申し訳なさそうな声で話すのは真琴。
今日中に帰れなくなったという連絡をもらってからさらに数時間後、ようやく通話できる時間を確保できたらしく、こうして電話をかけてきたというわけだ。
「俺は大丈夫ですが……真琴さんこそ大丈夫ですか? なんかすごい疲れた声してますけど……」
『大丈……夫ではないね。ほんとに疲れたよ。うるさいんだ、父親が』
その迷惑そうな声音からよほど詰められたのだろうと想像する。
『それでその……本当に申し訳ないんだが、明日こっち来れるか……?』
「いいですよ」
『え、即答? 結構大変なこと頼んでると思うんだけど?』
まあ確かに、いきなり実家に呼び出されるというのは中々ない展開だろう。ましてや折り合いが悪いと聞いているのであれば尚更だ。
けれど悠人に、躊躇する心はなかった。
きっと今までであれば、うだうだと考えて、悩んで、行かないという選択肢すら取っていたかもしれない。
だが、凪と真琴との経験を得て、それが自分の一番悪いところだと、後悔を生み出す原因だと理解した。
であれば、まずは行動するのみ。
それが後悔しないための、悠人にとっての近道だ。
「挨拶が少し早まったと思えば楽勝ですよ」
カッコつけていると言えばそれまでだ。見栄も張っているし、不安に思う気持ちもある。
だが、ここで引くわけにはいかない。それだけの話だ。
『悠人くん……』
「ただまあ、一応経緯は聞かせてもらっても?」
『もちろんだ』
少し間を置いて、真琴は喋り出す。
『まあ変な話、売り言葉に買い言葉というか……。元カレと別れたことに対して、どうしてあんないい子手放すんだとか、あの子と別れたらもう結婚できないぞとか、今からでも寄りを戻すことできないのかとか言うものだから、頭に来てね。もう次の人がいるし、その人と近々同棲するし、結婚もすると言い切ったんだ』
いつもはあんなに冷静な真琴が、父親を前にするとこんなにも情緒が乱れるのかと、悠人は意外に思う。
にしても少し思い切りが良すぎる気はするが。
とはいえ、悠人としてはその宣言をされても困ることはないし、真琴がその気でいてくれていることが嬉しいし、父親の前でそう言い切ってくれたことが何より誇らしかった。
頬が緩むのをなんとか堪え、話の続きを聞く。
『そしたら血相変えて「どこの馬の骨だそいつは、連れて来い!」って騒ぎ出して……』
「俺そんなところに飛び込むんですか? 殺されません?」
緩んだ頬が引き締まっていく。
即答はしたものの、父親がそんな状態のところに訪問して生きて帰って来れるだろうか。
明らかに殺気立っている将来の義父のもとに突撃する娘の彼氏とかもう死亡フラグ(物理)しか見えない。
——というか、今の話を聞く限り、娘を心配するに父しか見えないけどな……。
それが行き過ぎてしまっている節こそあるが、そこまで悪い父親には見えなかった。
だからこそ、悠人は殺されるのかもしれないが。
——まあ、いつかわかることか。
『君なら大丈夫だよ、悠人くん。私が保証する』
「真琴さん……!」
『……最悪、骨は拾ってあげるから』
「真琴さん!?」
◆
そして翌日、悠人は真琴の実家があるという世田谷の地に足を踏み入れていた。
真琴から指定された住所は、高級住宅街のど真ん中。いかにもお金持ちという家がずらっと並んでいて、階級の差をまざまざと見せつけられている。
「えっと……真琴さんの家は……」
不審者だと思われないように堂々としつつ、真琴が送ってくれた位置情報を頼りに歩くこと数分。
「……え、ここ……?」
閑静なの住宅街の一角に、周囲の家とは明らかに雰囲気の違う家が立っていた。周りの家も充分立派なのに、それを軽々と上回っている印象だ。
無機質なコンクリート打ちっぱなしの外壁に直線的で洗練されたデザイン、大きなガラスと、黒い金属の門が、どこか近寄りがたい印象差を与えている。広い敷地には手入れの行き届いた木々も植えられており、本当に個人の家かと確認したくなるほど、静かな威圧感を放つ邸宅だった。
「庶民が入って良い場所じゃなさすぎるだろ……」
——というか、この立地にこの敷地、とても一代じゃ築けないよな…?
もちろん警視総監となればすごい立場だ。でもきっとなるには自分の実力はもちろんそれなりの家柄も必要になってくるはず。ただの一般人がなれる地位ではないだろう。
そう考えると、真琴の父親は元々由緒ある家の生まれで、この土地で生まれ育ち、その父に見合うような家柄の奥さんを娶ったということになる。
つまり真琴は、良い血筋と良い血筋のサラブレッド——スーパーエリートお嬢様なのだ。
だから普段のだらしなさの中にも品があり、元々のスペックの高さからバリバリ第一線で働けるというわけだ。真琴の生態の謎だった点が線で繋がったような感覚。
だからきっと、真琴が怠惰ではなく真面目に人生を全うしていれば、今の比にならないくらいのことを成し遂げていたはず。
まあ、そんな真琴は真琴ではないし、そんな真琴とは出会わないし、そんな真琴のことは好きになることもないのだろうが。
とはいえ、今まで魚の小骨が喉に引っかかるような感覚だったものが解消されて、悠人としては晴々とした気分だ。
しかし、新たな問題も発生する。それは、これだけ立派な身分を持った真琴とただの一般家庭出身の悠人の結婚が認められるかということだった。
恐らく、真琴の元カレはほとんど許嫁のようなようなもので、家族で仲良くしていたということだからそこそこの家柄のはず。だからこそ、真琴の父親は怒っているわけで。
その代わりに連れてくるのがスーパー庶民の地方公務員、片桐悠人なのだから、なかなかクリアするハードルが高い。せめて国家公務員だったらなと思ってしまう。
けれどこれ以上お出しできるものはないのでこの身一つで勝負するしかない。
改めて気合いを入れつつ、着いたら真琴に連絡入れることになっていたので、メッセージアプリ到着したと伝える。
——インターホン押さなくて済むのは正直助かるなあ……。
そんなことを思いながら数分待つと、重金属の門が音を立てて開き、中から真琴が現れた。
「すまない、待たせた。そして重ねてすまない、急に呼び出してしまって」
出会い頭、真琴は申し訳なさそうに謝罪した。
そんな真琴に、悠人は気にする素振りを見せないし、実際気にしていなかった。
「挨拶がちょっと早まっただけなので大丈夫ですよ」
「そう言ってもらえると助かる」
「でもそれはそれとして、俺本当にここの敷地跨いでいいんですか? 庶民が足を踏み入れたら抹殺されるみたいなシステム導入してませんか? 大丈夫ですか?」
「君は何を言ってるんだ……?」
「だって今まで来たことある家で一番立派な家だから……そういうのあるかなって……」
「あるわけないだろう……。ほら、行くよ」
悠人の杞憂すぎる心配を軽くあしらってから歩き出した真琴の背を追いかけ、悠人は未知の地に立ち入った。
——そもそも敷地に入ってからしばらく歩かないと玄関にたどり着かない家ってなんなんだよ……。
悠人にしては至極真っ当なこと考えながら、前を歩く真琴の後ろをおっかなびっくりついていき、ようやく玄関に到着した。
その玄関は余計な装飾は一切なく、大きな木製の扉と、その脇に埋め込まれた間接照明が落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
足元には黒いタイルが敷かれ、扉の横には小さく表札が掲げられている。
「さ、上がってくれ」
真琴がドアを開けると、そこには外の静かさが嘘のように、広々とした玄関ホールが広がっていた。
「ひっろ……。俺の部屋ぐらいありません? これ」
「……気のせいだよ。ほら、あっちがリビングだ」
触れられたくないのか、悠斗のボケを軽くあしらって真琴は先に進んでしまう。
——というか、今まで実家の玄関ほどの部屋に住ませてたのか。
——真琴さん、ほんとに俺で大丈夫ですか? その、階級的に。
真琴がそんなこと気にするわけがないのだが、ここまで差があるとさすがに心配になってくる。
悠人の実家だって東京二十三区に持ち家のマンションなのだから決して悪くはないし、むしろ恵まれている方になるはず。けれどこうして本物を見ると、上には上がいるのだと改めて実感させられる。
——両家顔合わせで竦む両親がありありと目に浮かぶな……。
両親のことを気の毒に思いつつ、今まで履いたどんなものよりもふかふかで履き心地の良いスリッパを履いて、悠人はいざ、真琴の両親が待ち受けるリビングへ足を進めた。




