第29話 確執
真琴は動きを止め、震えるスマートフォンを見つめる。
その表情から感情を読み取ることは難しかったが、画面に表された人物に良い印象を持っていない事は確かだった。
——でも確か、勘当されたって話じゃ……。
真琴と出会った際、実家に戻ることを提案したときに、さらっとそう言われたことを覚えている。そんな人間から電話がかかってくるとは思えないが……。
「……出なくていいんですか?」
痺れを切らしそう声をかける。しかし真琴からの反応はなかった。
「真琴さん?」
「あ、ああ。すまない、出ないよ」
ようやく悠人の呼びかけに気づいた真琴は、素早く通話拒否ボタンを押し、元の位置にスマートフォンを伏せて置いた。
しかし間髪入れずに、それはまた震え始める。
「……」
「……」
他人の家の事情にあまり首を突っ込むものではないとわかっているが、少しぐらい介入していい立場を手に入れたはず。悠人は勇気を出して再度問いかけた。
「何か緊急の用事とかじゃないですか?」
「……わかった、出てみるよ」
そう言って、真琴はその場で電話に出た。
「……はい、真琴です。……すみません、出先にいたもので。……はい、事実です。……え、いやちょっと——」
取引先の人とするような事務的な会話。そして何か一方的に告げられて切られた様子を見て、父だと聞いていなければ親子の会話とは間違いなく思えないなと素直に思う。
「はあ……まったく……」
溜息をつきながら、真琴はスマートフォンを机に置いた。
「ど、どうしたんですか……?」
悠人が問いかけると、彼女は困ったように薄笑いを浮かべ、
「いや、どうやら元カレと別れたことが実家の耳に入ったようでね。学生の時から家族ぐるみの付き合いだったから、まあ怒り心頭で。とりあえず実家に帰ってこいってさ。ほんと、一方的なのは変わらないね」
最後には悪態をついた。
「実家には勘当されたって言ってませんでしたっけ?」
「あー、まあ、状況としてはそれとさして変わらないんだけどね。なんというか、信じられないほど折り合いが悪いんだ、特に父親と」
「なるほど……」
「あと勘当された言った方が拾ってくれそうだなって」
「最悪のネタバラシ」
まあまんまとそれに引っかかったのでその作戦は大成功だったわけだが。
「それで、実家には帰るんですか?」
「そうだね、大変不本意ながら諸々説明しなければならないから、帰らざるを得ないかな」
非常に不服そうな顔で肯定の意を表する真琴。
悠人は両親との仲は悪くなく、実家に戻ることは苦痛でもなんでもないので、どれほど折り合いが悪いのか想像すらできない。
でもせめて、少しでも力になりたいと思うのは、彼氏だったら許されるはず。
「……ついていきましょうか? 同棲するなら挨拶もしないといけませんし」
縁が切れていないのであれば、挨拶をしないというわけにもいかない。
緊張はするだろうが、いずれかはすること。それが少し早まるだけだ。
けれど真琴は、いい顔をしなかった。
「その申し出自体は非常にありがたい。けれど身内のごたごたに君を巻き込みたくないんだ。ただ勘違いはしないでくれ。君のことを両親に紹介したくないとか、そういうわけじゃないんだ。ちゃんと状況が整ってから紹介したいというか……」
「わかりました。大丈夫ですよ、信じて待ってますから」
力になれないのは悲しいが、秋津家の問題と真琴が言い切るのであれば、これ以上悠人が首を突っ込むわけにもいかない。
「ただ、その代わりといってはなんですが、ご両親がどんな人か教えていただいても?」
とはいえそれぐらいは知る権利があるはずだ。
今までを聞く勇気を持てなかった質問も、関係性に名前がつくことによって話を聞きやすくなる。もちろん限度あるだろうが、これも仲が良くなった証拠だろう。
「そう、だな。うん、あまり楽しい話ではないが、必要な話だ。聞いてくれるかい?」
「もちろんです」
悠人の承諾とともに、真琴はポツポツと話し始めた。
◆
「……うちの家は、まあ、あまり自分で言いたくはないが、それなりに裕福でな。今思えばかなりいい暮らしをさせてもらってた」
——やっぱりそうか。
日々の言動や所作からなんとなくではあるが、品や風格のようなものを感じていたのでその話には納得だ。本人は嫌がっているのがなんとも真琴らしい。
「母は所謂いいとこのお嬢様なんだが、別に世間知らずってわけじゃなくて、なんというか鋭い人だった。良くも悪くも私に無関心で、あまり干渉してくるタイプじゃなかったな。だから母とはそこまで折り合いは悪くない。連絡もたまに取る」
「なるほど。お義母さまとは今でも関係があるんですね」
「なんか気早い気もするが……まあいいか……。父は……そうだな、警察で……まあその、偉い人というか、なんというか……」
急に真琴の歯切れが悪くなる。そんなに言いづらいことなのだろうか。
「警察の偉い人なんですか?」
「…………警視総監」
「え?」
「警視総監なんだ、うちの父親」
「…………まじで?」
あまりの衝撃に、思わずタメ口が出てしまう。
だって警視総監だ。そんじょそこらの公務員とは格が違う。
悠人なんか塵になって吹き飛んでしまうくらいには霞む。
「残念ながらまじだ……。だからあまり人には言いたくないんだよ……」
「確かに……これは言いたくないかも……」
親が偉い人というだけで、なんとなく生きづらそうなイメージがある。
親の印象だったり、そんな親と比べられたり、確かにいい暮らしはできそうだが、それが子供にとって良いとは限らない。
そして悠人はそこで、公園で酔いつぶれた真琴が溢した思い出す。
『……警察は、やめてくれないか……』
——なるほど、だから……。
「あの発言はそういうことだったんですね」
「ん? どういうことだい?」
「真琴さん、公園で寝てた時、警察には連絡するなって言ったんですよ」
「そんなことを……。無意識レベルで刷り込まれているんだな……」
もしあそこで真琴を交番に届けていたら確実に父親に連絡が行き、真琴は怒られ、現場の警察官は委縮し、父親にも迷惑がかかるという三重苦になっていた。
「俺ファインプレーでしたね」
悠人の自惚れにも取られかれない言葉に、
「ああ、認めざるを得ないよ」
と真琴は苦笑いを返した。軽口で言い返せないあたり、本当にそうだったらしい。
「でも、そんな人が父親でどうして真琴さんはそんなふうに?」
「こんな人が父親だったからだろうな」
悠人の失礼な質問に真琴は間髪入れずに答える。
「というと?」
「さっきも言ったが、うちは母が干渉しない代わりに父が干渉してくる家だったんだ。だから幼少期からあれこれうるさくてね。厳格な父のようになりたくないと、反対に反対に生きていたら、こんなことになってしまった」
「逆反面教師的な……」
警視総監になるくらいだから、きっと相当に優秀な父なのだろう。だから娘である真琴にも自分のように生きてほしいという思いがあったのかもしれない。
その思いを抱くのはわかるが、それを押し付けるのは違うと悠人は思う。
「父の仕事ぶりは尊敬できたが、人間としては全く尊敬できないからな。意地でも言うことなんて聞いてやらない。実家には説明責任を果たしに行くだけだ」
珍しく真琴が子供っぽいことを言うので、彼女の中の幼さようなものを感じて、なんだか微笑ましい気持ちになってくる。
「何ニヤついてるんだ」
それが表情に出ていたらしく、真琴に睨まれてしまう。
「すみません、なんか可愛いなって思って」
「かわ……君の感性は謎だな」
「真琴さんには言われたくないですけどね。それで、いつ実家戻るんですか?」
「まあ来週の土曜かな。泊まりたくはないから、その日には帰ってくるよ」
「わかりました。じゃあ真琴さんが好きなもの作って待ってますね」
「お、それなら頑張れそうだ」
そして迎えた次の土曜日。
真琴は苦虫を噛み潰すような顔しながら、肩を落として家を出た。今週はずっとそんな調子だったので、心底実家に帰るのが嫌らしい。
休みの日に真琴がいないことは悲しいが、どうせ夜には会える。そう思い直し、溜まった家事に勤しむ。
けれど、真琴がその日、帰ってくる事はなかった——。




