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後悔に苛まれていたら、年上のダウナー系お姉さんを飼うことになりました。  作者: 紙木 侑


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第24話 感情

 そして迎えた金曜日。


 夕食を終えた二人はいつも通りソファで横並びに座っていた。


 一週間もこの家に居座ればその光景も慣れたもので、非常にリラックスした気持ちで臨めている。

 結局月曜日から金曜日まで、悠人は凪の家から出勤し、凪の家に帰宅した。


 さすがに家を出るタイミングや退勤するタイミングはずらしたが、さっきまで同じ職場で働いていた人と同じ家に帰ると言うのは、なんだか不思議な気分だった。


 ほとんど同棲と言っても差し支えない生活を送っており、凪に真のことを話す心理的ハードルはかなり低くなっている。


 だから悠人は安心しきって彼女に全てを話した。もちろん濁した部分もあるが、凪も大人だから察するだろう。


 凪がどういった反応をするか、正直賭けの部分があったが、心のどこかで彼女がマイナスの反応をしないという期待もあった。そしてそれは、現実のものとなる。


「じゃあやっぱり、しばらくうちにいましょうよ。帰りたくなったら帰ればいいし。あ、それとももういっそここに住み着いちゃいます?」


 凪はそう、カラッと言ってのけた。


 ——やっぱりすごいな、赤塚さんは。


 悠人を問い詰めるわけでもなく、非難するわけでもなく、あまつさえ悠斗の身さえ案じて、冗談で場の空気すら軽くしてしまう。


 こんなに都合良いことがあっていいのかと思ってしまうほど、凪は優しかった。この優しさに甘えられるなら、どれだけありがたいことか、わからない悠人ではない。


 でも、だからこそ。

 このまま彼女の優しさに溺れてはいけない。


「……ありがとう、赤塚さん。でもさ、赤塚さんはどうして俺にそこまでしてくれるの?」


 それは凪の家でお世話になる時から、ずっと頭にこびりついていた疑問。

 これもまた、悠人が聞かなければいけない問いだった。


「……」


 いつか来る問いだと思っていたのだろう。凪は心の準備をするかのように、口を噤んだ。

 本当は、この家に来た時に聞かなければならなかった質問だ。


 けれど、これを聞いたら、決定的に関係が変わってしまうような気がして。

 今までの二人でいられなくなるような気がして。

 行く先もなかった悠人は凪に頼るしかなかった。


 だから結局ここまでずるずると引っ張ってしまったけれど、いつか向き合わないといけないもの。それが今日だったというだけの話。


 そして、口を閉ざしていた凪が言葉を発した。


「……私、今からかなり身勝手なこと言いますけど、いいですか?」


「いいよ。何を言ったっていい」


 その返答に安堵したのか、凪は一瞬笑みを浮かべて、ゆっくりと言葉を綴り始めた。


「私、片桐さんのこと振ったの、後悔してるんです」


 彼女の独白は、そんな衝撃的な一言で始まった。


「片桐さんのことを振った時の私は、かなり感情的に動いていました。どうしてこんなにアピールしてるのに告白してくれないんだろうって。付き合いたかったら自分から言えばいいのに、傲慢ですよね」


 自嘲気味に笑った凪は続ける。


「同じ職場で、下手したらあと何十年も一緒に働くかもしれないんだから、慎重になって当然なのに。学生気分のまま恋愛してたんだろうって、今は思います。後悔し始めたのは振ってから一ヵ月位経った時ですかね。片桐さんと仲良くしていたあの期間がすごい楽しかったみたいで、なんか寂しくなっちゃって」


 ——それは随分と、自分勝手な話だな。


 口には出さず、ただ黙って凪の言葉を聞く。


「もちろん、自己中心的すぎることはわかってたので、この気持ちを片桐さんに伝える気はありませんでした。でも、あの女の人と歩いてるのを見ちゃったんです。それでいてもたってもいられなくて、また声をかけるようになりました」


 凪の独白が概ね真琴の予想通りで、思わず苦笑いしそうになる。女の勘というものは恐ろしいものだ。

 そしてこの後何を言われるか、さすがの悠人でも想像がついた。


「私、片桐さんのことが好きです。虫のいい話だとわかってます。でも、よければ、私と付き合ってほしいです」


 想像できたからこそ、何を答えるか、その準備が悠人にはできていた。

 悩む素振りすら見せず、悠人はその言葉を口にする。


「ごめん、俺、好きな人がいるんだ」


「……はい」


「その人は一人じゃ何もできなくて、でもそんな人だからこそ、隣にいたいと思う人なんだ」


 そしてさらに言葉を重ねる。 


「だから、俺は今から、その人のところに行かないといけない」


 凪に気持ちを伝えられたことで、自分がしなければならないことを自覚できた。


 ——いや、本当はわかっていた。


 分かっていたのに、それからすらも逃げていた。


 そんな人間に、真琴と会う資格があるのかどうかわからないが、それでも会いに行かなければならない。


 それが今悠人が果たすべき義務で、後悔しないための最善手だった。


「そう、ですよね! いやーわかってはいたんですけど、思ったよりきますね!」


 明らかに取り繕っている態度で、凪は明るい声を出す。


「赤塚さん……」


「私は大丈夫ですから! 片桐さんは早くあの人のところに行ってください! 私は大丈夫、ですから……」


 凪の目からポツポツと水滴が落ちる。


「あれ……? なんで、どうして……。泣かないって、決めてたのに……!」


 その涙を何度も拭うが、拭えば拭うほど溢れて止まらないようだった。

 けれ悠人はこの涙に何もできない。何もしてはならない。


「赤塚さん、この一週間本当にありがとう。赤塚さんのおかげで何とか立ち直れた。本当に感謝してる。でもごめん、俺は今、赤塚さんに何もしてあげられない」


 傍から見れば、利用するだけ利用して去っていく最低の男だ。恩を仇で返すような卑劣な行為とさえ言える。

 悠人は確かに凪に助けられ、凪がいたからこそ、真琴の元に行くという決断ができた。


 彼女のことは恋愛的に好きだったし、正直告白されて嬉しくもあった。今でも人間としては好きなので、このまま流されてもいいんじゃないかという思いが一瞬過ぎったことも確か。


 だが悠人は凪か真琴か、選ばなければならない。

 今ここで首を縦に振れば付き合うことができる凪か、ここで飛び出したところで付き合えるかどうかなんて全くわからない真琴か。


 けれど悠人の中で、答えはとうに決まっていた。悩む余地なんてなかった。


 行動に移せなかったのは、自分の心の弱さ故。


 ここでの居心地の良さを言い訳に、決断を下すことから逃げ続けていた。


 だがそれももうここで終わり。


「だから赤塚さん、俺はもう行くよ」


「……どこにですか」


「真琴さんのところ」


「っ……。片桐さんをそんなにボロボロにした人のところにですか」


「そう」


「……」


 真琴に関してもう取り繕うことはないので悠人は淡々と答えるが、そんな悠人に対して凪は押し黙ってしまう。


「……」


 悠人も掛ける言葉を持ち合わせていないから、必然的に沈黙が流れる。


「じゃあ、行くね」


 ここで止まっていても仕方がないと、悠人がそう口にして立ち上がったその時。


「っ、待って!」


 悠人の腕が、凪によって掴まれる。


「待ってください……!」


「……」


 悠人のことを引き止めた凪は、焦ったように言葉を紡ぎ始めた。


「やっぱり私にしましょう、ね? その人とは付き合えないかもしれないじゃないですか。でも私なら、確実に付き合えますよ?」


 ——そういうことじゃない。


「聞き分けもいいですよ! 片桐さんがされて嫌なことは絶対しませんし、逆に片桐さんがしたいことは何でもやります」


 ——そういうこと求めているわけでもない。


「あ、家事もできます! 私が全部やりますよ、片桐さんは何もしなくていいです」


 ——それ以上は何も言わないでほしい。


「……あ、あと私、結構可愛いと思うんです。胸は小さいけど……。でも最低限はありますし、充分楽しめると思います」


 ——それ以上言われたら、俺は。


「同じ職場だから駅からにはなりますけど一緒に通勤もできますし……ほら、悪くないでしょう?」


 ——言わなくていいことを、言ってしまうから。


 そこが、我慢の限界だった。


「だったらなんで! あの時振ったんだよ! なんで、今なんだよ……っ!」


 言わずに去ろうと心に決めていたことを——本音を、悠人はぶちまけてしまった。


 こんなださくて情けない本心なんて見せるつもりはなかったのに。


 久しぶりに発露した感情はうまく抑えが効かず、コントロールもできない。


「あの時振られなきゃこんなことになってないんだよ。俺は真琴さんに出会ってないし、今赤塚さんの家にもいない。全部丸く収まってたはずなんだよ」


 今まで堰き止めていた気持ちが一気に溢れだす。


「それを今更……今更好きだのなんだの言われたって、納得できるわけないだろ!」


 そこまで言い切って思わず咳き込む。感情に任せて大声出すなんて久しくやっていないから喉がびっくりしたらしい。


 おかげで幾分か冷静になって視界が開け、隣にいる凪の顔が見えた。


 その顔は恐怖でも悲哀でもなく、なぜか驚愕に近い表情をしていた。理由はわからなかったが、とりあえず謝罪が先だ。


「……ごめん、大きな声出して」


「いえ! こちらこそすみません、変なこと言って。でも、少し嬉しかったです」


「え?」


「片桐さん、普段から感情を抑えてるように見えたから。人に怒れないとも言ってたし。だから、私には感情を見せてくれるんだって、私には怒ってくれるんだって。それだけ心を許してるってことですよね?」


 今までの悠人は、ここで怒ったら関係が壊れてしまうのではという恐怖から、怒るべき場面でも自分の感情を押し留めていた。


 けれど今、悠人は凪に怒ることができた。言いたいことを言うことができた。


 今までであれば我慢して流している場面のはずなのに、彼女相手に自分の気持ちを表現できている。


 それは確かに、悠人が凪のことを、怒っても関係が崩れない人間だと信頼している証拠だった。


「そう、か……。そうかもしれない」


「じゃあ、親友になりましょうよ」


 凪は悠人の双眸を捉え、微笑みながらそう言った。


 先ほどまで取り乱していたとは思えない、柔らかい笑み。


「親友、って……」


 突然の展開に困惑する悠人。


 先程までお互いに感情剥き出しで話していたはずなのに、凪はいつの間にか憑き物が落ちたような顔をしている。


「だってほら、お互い自分の想いを曝け出して、もう隠すことなんて何もないと思うんですよ。片桐さんは私に怒ることができたし、私は片桐さんのこと信用してるし。だから逆に、ならない理由ないですよね?」


「そんなことはないと思うけどな……」


 ——相変わらず無茶苦茶なこと言い出すな、この子は。


 気丈に振る舞ってるだけかもしれないが、凪はいつも通りの明るさで悠人にその提案を持ちかける。


「そうです。だから、なりましょう」


 凪はそう言って、悠人を掴んでいた右手を離し、そのまま握手を求めるように空中に差し出した。


 悠人はその手を見つめる。


 正直迷いはあった。


 好きだった相手と親友になれるのか。真琴と付き合えたとしてその後の凪との付き合い方はどうすればいいのか。


 考えることは山ほどある。


 けれど、凪と親友になることで前に進むことができるという予感はあった。だったら、それに乗るしかない。


 後悔しないための選択を。


 ——いや、この選択を後悔にしないために。


 悠人はゆっくりと、差し出された手を握った。


「……わかった。改めてよろしく、赤塚さん」


 悠人の承諾の言葉に、凪は嬉しそうに目を細める。


「はい、よろしくお願いします!」


 そうして悠人は一週間過ごした凪の家を後にした。

 色々あったが楽しくもあったので、寂しさも募る。


 凪にはこの一週間、本当に助けられた。

 彼女がいなければ、立ち直るのにもっと時間がかかっただろうし、もしかしたら立ち直れなかったかもしれない。それくらい凪の存在は大きかった。


 けれど悠人は、凪ではなく真琴と一緒にいることを選んだ。

 もちろん真琴が拒絶する場合だってあるだろう。選ぶのは彼女なのだから。


 それでも悠人は真琴に会わなければいけなかった。会って気持ちを伝えなければ、凪に顔向けできない。


 自分の凪への想い、凪から自分への想い、そして自分の真琴の想いを胸に、悠人は駆け出した。

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