第18話 消沈
そこから二日間、悠人は駅近くのネットカフェに逃げ込んだ。
ここなら真琴との思い出に触れることはないと、回ってない頭でなんとかひねり出した結果だった。ここ以外に行くあてがなかったというのが正直なところかもしれないが。
そしてこの二日間、悠人はネットカフェから一歩も出なかった。
個室すら尿意が限界を迎えたときくらいしか出ない、そんな生活。
風呂にも入らず、ただ寝て、空腹で寝られなくなったらフードを頼み、また寝る。
試しに漫画を読んだりアニメを観たりしてみたが、情報が目に入るだけで頭には何も入ってこなかった。それでもなにかしていないと真琴とのことを思い出してしまうから、それらを無理矢理読んで、無理矢理見た。
スマートフォンの充電はもうとっくにない。当然充電できる設備はあるが、充電する気が起きなかった。充電したところで、どうせ真琴からの連絡はない。だったら、充電する意味もない。
「もう二十六なのに何やってんだろうな……」
天井を見上げながら悠人はぼやく。職場には倒れた時点で連絡を入れてあるため今週いっぱい——今日までは問題なく休める。
図らずもこんな形で休養が取れてしまっているのは皮肉以外の何物でもないだろう。精神ばかりが擦り減って身体だけが元気になっていく。なんだか馬鹿らしくなってきた。
今年で二十六歳なんて全く実感が湧かないが、世間的に見れば『大人』なのだろう。その『大人』が人間関係——こと異性とのいざこざで寝込んで再起不能になるなんて、なんて滑稽な絵面だろうか。
もし自分の身に何もなく、他人がこの状況に陥っていたらなんと馬鹿なことをと笑い飛ばしてただろう。けれど現実は笑いごとではなかった。乾いた笑いなら出るが、とても笑い飛ばせるような心持ちにはなれない。
せめて凪だけなら、せめて真琴だけならまだなんとか耐えられたかもしれない。だがそれが二回、そして二連続だ。悠人の心はそれに耐えられるようにはできていなかった。
「……っ」
泣きそうになるのを何とか歯を食い縛って耐える。泣いたところで何も解決しないことはこの頭でもわかった。というより、こんなことで泣くなんてプライドが許さなかった。
だからといって解決に向かって何か行動できるほど悠人は強くない。今できることといえば、ただ時間が過ぎるのを待つだけ。時間が少しでも傷を癒してくれるのを待つだけ。
起きたら少しはマシになっていることを祈りながら、悠人は再び眠りについた。
◆
眠りから覚めた後、いよいよネットカフェに籠るのも限界になった悠人は、二日ぶりに外に出た。
時刻は十五時過ぎ。天気は快晴。五月なだけあって気温こそそこまで高くないが、悠人の心情お構いなしに降り注ぐ日差しが既にささくれ立っている神経を逆撫でする。
普段は気にならないはずなのにこんなに苛立ってしまうのは、余程余裕がないのだろう。悠人は一度そこで大きく深呼吸をした。
「……ふう」
ただの気休めだが、しないよりましだ。吐き出す息と一緒にこの溜まった気持ちも出ればいいのになんて思うが、そんな都合のいいことは起きない。
一度嘆息してから悠人は歩き出す。
とはいえ行くあてがあるわけではなく、家に戻る気にもなったわけでもなかった。実家に帰ることも考えたが、こんなボロボロの状態で帰ったら親に何を言われるかわからないし、心配させてしまう。
駅の周辺は真琴の思い出が多いため、駅から離れるように歩を進める。ここに越してきて以来、駅周辺と自宅と職場との往復ばかりで、こうして様々な場所に足を伸ばすことは初めてだった。
景色を楽しむ余裕こそないが、目に入ってくる情報が新鮮で多少気がまぎれる。気の向くままに歩き、駅周辺だけで飽き足らず、隣の駅の京成立石駅やお花茶屋駅にまで足を運んだ。駅前周辺を何も考えずに闊歩し、ただひたすらに歩いて歩いて、歩いた。それこそ、足が動かなくなるまで。
◆
「ここ、は……」
歩き疲れて座れる場所を探していた悠人は、いつの間にかの青砥に戻って来ていた。人と関わりたくなかったので店には入らず、座れる場所があるとすれば公園。そしてたどり着いたところは、皮肉にも彼女との思い出の中で最も印象が強い場所。
そう、二人が初めて出会った公園だった。
真琴のことを思い出すような場所を避けて歩いてきたつもりだったのに、結局はここに来てしまった。意識しないということで意識してしまったのか、初めからここに来るために歩いていたのか、悠人には判断がつかない。
この場所から離れることも考えたが、もう既に足が限界だったため、ここで休まないでいう選択肢はなかった。そして悠人は、あのベンチがある所まで歩く。
「……懐かしいなあ」
ここで彼女は酔っぱらって寝ていた。今考えると本当に危ないし、一番最初に声をかけたのは自分でよかったと心の底から思う。
ベンチにかかっていた砂を払い、腰を掛ける。
「ふう……」
その時の真琴はそれはそれは酒臭く、声をかけたことを一瞬で後悔した。
そこでふと思い出す。
「そういえば、警察呼ぼうとしたら止められたな……」
あれはなんだったのだろうと今更ながらに思う。酔っていながらもそれだけは明確に拒否していた。それがあまりに必死だったから、悠人は彼女の意志を尊重したが、そうするともう誘導が引き取るしか選択肢が残されていなかった。
常識的に考えれば、見知らぬ男に引き取れるよりは公的機関である警察呼んだ方が安全だ。酔ってはいても、それがわからないことで真琴ではあるまい。
にもかかわらず彼女は前者を選んだ。真琴が破滅願望者ではない限り、よほどの理由がなければそちらは選ばないだろう。もしかしたら真琴は悠人にとんでもない隠し事をしているのかもしれない。
「なんて、考えたところでな」
自嘲気味に笑いながらそう独り言ちる。それを確かめるためには、あまりにも精神的な距離が生まれてしまった。
うまく気持ちを伝えられた後でなら聞くことができたかもしれないが、今の状況で仮に聞いたとしても真琴は答えてくれないだろう。
そこで改めて実感してしまう。あれだけ距離を詰めたはずなのに、たった一度倒れただけでそれがリセットされてしまったことを。
「……」
真琴に想いを馳せながら天を仰ぐ。日は落ちたが、まだ完全には暗くなっていない空が眼前に広がる。
この公園に来てから結局真琴のことしか考えていない。こうなるのが嫌だったから、彼女との思い出が強い場所を避けていたというのに。そうしてまた得意の自己嫌悪に陥り、さらに自分が嫌いになる。
もう別の場所に行こうとして立ち上がりかけたその時。
「片桐さん……?」
砂利を踏む足音と共に現れたのは、赤塚凪だった。
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