第17話 別れ
スーツ姿のまま、真琴は話し合いの席に着いた。重苦しい空気が二人の間を流れ、悠人は真琴が話し始めるのをただ待つことしかできなかった。
「……」
「……」
真琴はテーブルに置かれたコップで喉を潤し、ゆっくりと口を開いた。
「……まずはすまなかった。倒れるほど頑張らせてしまったのは確実に私のせいだ。申し訳ない」
そう言いながら、彼女はテーブルに頭がつきそうなくらいに深々と、頭を下げた。
「そんな、真琴さんが謝るようなことじゃないですよ! 倒れた俺の体調管理がなってなかっただけですから……。だから、頭を上げてください」
当然悠人は倒れたことを真琴のせいだと思ってないし、むしろ自分のせいとすら思っている。だから謝られる筋合いがない。
「君はそう言うと思ったよ。でも私がいなければ君は倒れなかった。これは事実だろう?」
「違います。真琴さんがいてくれるだけで俺は元気をもらえてました。一人でもきっといつか倒れてましたよ」
真琴は自分の非を譲らなかったし、悠人も彼女の非を頑なに認めなかった。
「……平行線、だね。まあこうなるとは思っていたけど」
彼女はそう呟き、さらに言葉を続けた。
「だからもう決めてきたんだ」
「? 何を、ですか……?」
「この家から出ることさ」
「……え?」
一気に血の気が引いた。
真琴が出て行く? この家から? どうして? なんで?
「ここまでしないと、君は頑張り続けてしまうから」
その疑問に答えるように、真琴は悲哀の笑顔を浮かべて言葉を紡いだ。
彼女の言葉を聞いても、悠人は納得できなかった。そうですかわかりましたと、言えるわけがない。
「そんなこと——」
「あるんだよ」
反論しようとしても、真琴に遮られてしまう。もう話し合いの余地もないくらいに。
「君は私がいる限り手を抜けない。だからきっとこれからも無理をしてしまう。私はそれが嫌なんだ。君が倒れるところを見るのは、もう嫌なんだよ」
「……!」
そこで悠人は一つ、自分が大きな勘違いしていることに気づく。
——違う、真琴さんは何も俺のことを拒否してるんじゃない。
——心配、してくれてるんだ……。
真琴の今にも泣き出しそうな表情と声音が、その事実を悠人に告げていた。
彼女が自分のことをただ拒絶しているのであれば、悠人はいくらでも食い下がるつもりでいた。
けれど今にも泣き出しそうな真琴のことを見ていると、とてもそんな気にはなれない。
どれだけ自分のことを想ってくれているかわかってしまうから。
「だから君と一緒にいたくないとか、そういうわけじゃなくて……。いや、これは言い訳だな。とにかくもう決めたことなんだ」
真琴は決して悠人のせいにはしなかった。
この家を出て行くのは自分の都合だから責めたければ私を責めろと言わんばかりの態度。彼女は自ら悪者になろうとさえしていた。
悠人としては当然真琴と離れたくはない。彼女への気持ちを自覚してしまったし、これからももっと仲良くなっていきたいと思っている。
けれど、どこまでも悠人を気遣う真琴の姿を見て、こちらのわがままを通す気にはなれなかった。
だって彼女は、今まさに悠人のために行動しようとしてくれている。それを無碍にする事はできなかった。
「真琴さんはこれからどうするんですか」
了承せずに質問したのは、悠人の最後の抵抗だった。
「マンスリーマンションを近くに借りたよ。運良くすぐ入居できるところがあってね」
そう言いながら真琴は手元のスマートフォンを操作し、そのマンションの位置情報を悠人に送ってきた。それを見ると、確かにここから十分ほどの場所にある物件。仕事帰りにも行ける距離だ。
「たまには様子を見に来てくれよ。合鍵を規約上作れないが、基本家に居るだろうからいつでもさ。多分、酷い状態になってるから」
「そんなこと言われたら俺毎日行っちゃいますよ」
悠人の本気か冗談かわからない戯言に、
「それじゃ意味ないだろ。数日に一回とかにしてくれよ」
真琴は言いながら苦笑いをした。
「家事は大丈夫そうですか」
「…………なんとかするよ」
「なんとかならない間でしたね……やっぱり毎日行かないとダメか……」
「だ、大丈夫だから! ちゃんとやるから、多分」
「不安だなあ……」
そんな、暗い雰囲気にならないためにしているにすぎない会話をしつつ、二人はお茶を濁す。ここで感情をぶつけたところでどうにもならないことを、悠人もそして真琴もわかっている。
だからこそ、今後の二人の関係に遺恨を残さないためにも、今はこの状態でいたい。この状態を演じていたかった。
けれど、それも長くは保たなくて。
「……」
「……」
再び流れる沈黙。お互い何を言うか、何を言うべきかを探っている。
けれど悠人は、何も言葉を発することができなかった。きっと口を開いたところで、真琴を困らせることしか言えない。ただただ黙ることしかできなかった。
その沈黙を破ったのはやはり真琴だった。彼女はいつもこういう場面で悠人を引っ張ってくれる。こんな場面でも真琴に頼り切りになる自分が嫌になりそうだ。
「さて、私はそろそろ行くとするよ」
「……」
「そんな顔しないでくれ。名残惜しくなるだろ。またすぐ会えるさ」
真琴は仕方なさそうに笑って席を立ち、玄関へ向かう。悠人はそれを重い足取りで追った。
追いたくないのに、追うしかない。見送りなんてしたくないのに、見送るしかない。
内心とは違う行動に胸が張り裂けそうになりながら、悠人は何とか笑顔を取り繕う。
「じゃあ、また」
「ああ、また」
その『また』がいつ来るのかわからないが、互いにそう口にした。真琴がドアを開け外に出るのを、悠人は静かに見つめていた。口を開いたらなんだか泣き出してしまいそうな気がして声が出せない。
——行かないで。
その想いが通じることはなく、ドアが閉まる音だけが部屋に響いた。
◆
悠人は真琴がいなくなった部屋で一人、何をするわけでもなく佇んでいた。
——こんなに広かったっけ。
元々彼女の荷物は少なかった。荷物をまとめるといってもバッグ一つ分くらいしかなくて、身軽な状態で彼女はこの家を出て行った。
だから物の量は変わっていない。けれどここには、真琴との思い出が全部残っている。出会ってからの全ての思い出がここに詰まっているのだ。
「でかいものだけ残して行っちゃってさ……」
真琴が悠人の家に住んでから出ていくまで約一ヶ月。
悠人にとってはもう彼女が家に居ることが当たり前になっていた。
朝は起こして、身支度を整えさせて、出社させて、ご飯を作って、洗濯をして、夜は一緒に寝て。仕事に行っている時以外はほとんど真琴の世話をしていた。彼女を中心に悠人の生活は回っていたのだ。
そんな彼女がいなくなって、悲しくないはずがない。寂しくないはずがない。
「……くそ」
悠人はその場にしゃがみこんで、うずくまった。
結局真琴に気持ちを伝えられていない。無理矢理伝えることもできただろうが、あの雰囲気の中伝えたところでどうにもならないことはわかりきっていた。
もっと前から自分の気持ちを自覚していれば。
もっと早く、自分という存在を真琴に打ち明けられていたならば。
この結末は、変わっていたかもしれない。
「……どうしてこうなるんだ」
凪の時と同じだ。気持ちを伝える前に、伝えるところではなくなってしまう。これを避けるために考えて動いてきたつもりだったが、完璧に同じ轍を踏んだ。
結局また自分のせいだ。
あそこで倒れた自分が悪い。
後悔を、失敗を活かせない自分が悪い。
あと一歩を踏み出せない自分が悪い。
自分が、自分が、自分が——。
そこで悠人はふらりと、気力なく立ち上がった。
この部屋にいると、真琴との思い出を嫌でも思い出してしまう。
玄関も、トイレも、洗面台も、風呂場も、キッチンも、ベッドも、全てに真琴との思い出が残っている。
そんな場所に、今にも崩壊しそうなメンタルでいられるわけがなかった。
少しでも真琴から離れたい。
もう何も考えたくない。
もう何も見たくない。
もう何もしたくない。
悠人は重い身体を引きずりながら、真琴との思い出が詰まった部屋を後にした。
少しでもいいなと思ったらブックマーク等々よろしくお願いします〜!




