第16話 伝えたかったこと
目を覚ますと、悠人の眼前には一面の無機質な白が広がっていた。
「……知らない天井」
思わずそう呟くと、悠人が寝ているベッドの左側から聞きたかった声が聞こえてきた。
「……気がついたんだね。おはよう、悠人くん」
「真琴さん……」
ベッド横の椅子に腰掛けた真琴はほぼ寝間着姿で、悠人のことを心配そうに見つめていた。その様子から察するに、仕事休んだのだろう。
——いや、俺が休ませたのか……。
「お仕事、すみません。休ませてしまって……」
「何、無問題さ。一日休んでもお釣りが出るくらいには働いてるからね」
負い目を感じる悠人に、真琴はさらっとそんなことを言う。けれど続けて、真琴は不思議なことを言った。
「それに謝るのは、私の方だ」
「? どういう意味ですか?」
いまいち意図が掴めなかったので聞き返したが、真琴はかぶりを振って答えなかった。その代わりに返ってきたのは別の言葉。
「ほら、目を覚ましたんだ。ナースコールを押して先生に診てもらおう」
そう優しい笑みを作って、真琴は枕元にあったナースコールを押した。
◆
「過労ですね」
ベッドに腰掛けた悠人に、主治医はそう告げた。
過労と言われても、悠人にはいまいちピンとこない。仕事は定時で帰れるし、プライベートもパンパンに予定が入っているわけでもない。
納得のいかない表情をしていると、主治医がまた口を開く。
「別に仕事だけが過労の原因ではないですからね。睡眠不足が原因にあげられることも多々ありますから」
「……あ」
そう伝えられ、ようやく悠人は原因に思い当たった。
「何か思い出しましたか?」
「……ここ一ヶ月ぐらい、睡眠時間が極端に短かった気がします」
真琴が来る前は一日六、七時間の睡眠時間を確保できていた。だが真琴が来てからは四、五時間の睡眠が多くなった。世の中のもっと忙しい人からしてみれば寝ている方なのかもしれないが、慢性的な運動不足や栄養不足も原因の一つなのだろう。
「あー、それでしょうね。できれば今週はもう仕事休んでいただいて。睡眠も多く取るようにしてください。あ、今日は念のため入院で。明日には退院できると思います」
医者は矢継ぎ早に言葉を並べると、悠人と真琴を残して部屋を出て行ってしまった。
「……」
「……」
互いに次の言葉を探している中での、重い沈黙。
次発した言葉で今後の流れが決まりそうな雰囲気の中、先に口を開いたのは真琴の方だった。
「さて、入院も決まったことだし私は帰るとするよ。今日からちゃんと寝るんだぞ〜?」
妙に明るいテンションの真琴。この暗い雰囲気を察してのことだろう。だから悠人もそれに合わせた。
「大丈夫ですよ寝ますって。真琴さんこそ俺がいないからって自堕落な生活送っちゃダメですからね」
「それは無理」
「無理なんだ!?」
そんな軽口を叩き合う。まるでそれがこの場の正解だと言わんばかりに、2人は何でもない雰囲気を取り繕った。
「じゃ、私は帰るよ。お大事にね」
「はい、ありがとうございます」
見なければならない現実から目を背けていることを互いに自覚しながら、二人はその場を解散することを選んだ。
◆
「……また伝えられなかったな」
同室の人間に聞こえないように独りごちて、悠人は溜息をつく。自分はつくづく運がないというか、ツイていないというか、そういう星の元に生まれた人間なのだと思い知らされる。
凪の時もそうだった。告白しようと決めた日に体調を崩し、想いを伝えられなかった過去がある。
今悠人はその凪の時と同じような状況にあった。告白しようとしたのに、それが頓挫してしまったという。けれどその前回と決定的に違うのは、それをすでに経験しているということ。
前回はその対応を誤り吐きそうになるぐらい後悔した。だからこそ、もうこういった後悔は二度としないと心に決めたのだ。
だったら、悠人がやることは一つ。
退院したら真っ先に真琴に気持ちを伝える、それだけだ。
◆
退院の手続きは非常にスムーズだった。医者の往診も特に問題なく、そのまま会計に流されて支払いを済ませる。一人暮らしには少し痛い出費だったが、たくさん寝たおかげが入院前より明らかに体調が良いのでノーカンということにしよう。
入院していた病院から最寄りの駅まではバスで約十分程。しばらくバスに揺られると、段々と見覚えのある景色が見えてきた。一日しか離れていないはずなのに、なんだか随分と懐かしい感じがする。
買い物を済ませ家に戻ると、悠人な想定ほどは散らかっていない部屋が広がっていた。
畳まれてはいないが申し訳程度にベッドに乗せられている真琴のパジャマに、昨夜と今朝使ってだろうシンクに溜められた食器。
丸一日開けた割には綺麗なままを保っているように思えた。そのどれもに真琴の痕跡を感じて、なんだか口元が緩んでしまう。
そして悠人は、キッチンの横に割れた皿の破片が入ったビニール袋を見つけた。
「……片付けてくれたんだ」
割れた皿を片付けるなんてしたことがないだろうに、頑張って片付けてくれたのだと思うと、より一層真琴のことを愛おしく感じてしまう。
——怪我とかしなかったかな、大丈夫かな。
——でも捨て方はわからなかったか。
とりあえずといった様子でそこに置かれたであろうビニール袋を見て、これを手に持って首を傾げる真琴がありありと浮かんで、思わず笑みがこぼれる。
そこで悠人は改めて自覚した。
――やっぱり、好きだな。
自分の中で真琴への気持ちがどんどん大きくなっていくのを感じる。確かに真琴と一緒に住み始めてから睡眠時間が短くなったし、結果倒れてしまっている。しかしそれは、悠人の中では些細なことだった。そもそも、自分の体調管理がなってないのが悪いし、そんなものいくらでも調整できる。
毎日真琴の顔が見たい。毎日真琴の世話がしたい。そのためなら自分は何だってできると本気で思っている。
——ああ、早く帰ってこないかな。
気持ちを伝えたくてソワソワするなんて、人生で初めてだ。凪には悪いが、あの時凪と付き合わなかったのこのためだとすら思う。
一方的に想いを馳せて、悠人は真琴の帰りを今か今かと待った。しかし、十八時を過ぎても真琴は帰ってこなかった。
普段から残業は死んでもしないと豪語しており、定時退社がデフォルトの真琴。残業なら残業で連絡がくるはずなので、少し心配だ。
念のためメッセージアプリで連絡したが、既読がつかない。
とはいえ真琴も大人だ。何かあれば連絡してくるだろう。そう思い直し、悠人は彼女の帰りを再度持つことにした。
そして待つこと二時間。玄関のドアが開き、真琴の帰宅を知らせた。
悠人は主人の帰りを待ち望んでいた犬のように駆け寄り、
「おかえりなさい」
と満面の笑みで真琴を出迎えた。
「ああ、ただいま」
対する真琴は何だか浮かない顔をしている。疲れているのだろうか。
「大丈夫ですか?」
そう問いかけると、真琴は少し言い淀んでから、その問いには答えずに別の言葉を口にした。
「……話があるんだ」
「……」
嫌な予感がした。まるで首筋に氷の刃をそっと当てられたような感覚が悠人を襲う。その感覚を味わうのは二度目で、一度目は凪に振られるあの瞬間だった。
あの時の、既に相手の中では結論が出ているような雰囲気を真琴に感じる。
悠人は息を呑む。
正直聞きたくはない。当たり前だ。自分にとって都合の悪い結果を、誰が聞きたいのか。
けれど、ここで逃げる選択肢を悠人は持ち合わせていなかった。だってそれは、真琴と向き合うことから逃げることと同義だから。これから先も真琴一緒にいるのであれば、避けられないこと。
「……座って話しましょう」
だからそう、口にするしかなかった。




