第15話 転機
真琴と一緒に暮らすようになってから、約一ヶ月が経過した。
特に大きな事件もなく、つつがなく暮らしている。
家事全般を悠人が引き受け、その分、悠人は真琴を好きな時に好きなようにできる。朝だろうが昼だろうが夜だろうがお構いなし。最後までしなくたって構わない。
そんな悠人と真琴でしか成り立たない同居生活にも慣れてきて、今日も今日とていつも通りの一日が始まる。
悠人は真琴が起きる時刻の一時間前に、スマートウォッチのアラームで起床する。朝は強い方だが、今日はやけに眠かった。けれどこのまま二度寝というわけにもいかない。
「——」
体を起こす前に、悠人は隣で寝ている真琴を見つめた。
——ほんと、綺麗な顔してるよな。
一ヶ月毎日見ていても、ふと目に映る真琴の美貌には未だに慣れない。そんな真琴に、最近は自分の欲という欲をぶつけている。今まで誰にも見せることが無かった——見せることができなかった醜い自分を。
あの日以降、悠人と真琴の行為は少しずつアブノーマルなものになっていった。普段は要求しないことを要求したし、その全てを真琴は笑顔で許容してくれた。真琴は悠人の身も心も全て受け入れてくれている。
今まで本当の意味で誰にも受け入れてもらえなかった悠人にとって、こんなに嬉しいことはない。
だから自ずと、こんな考えが浮かんでくる。
一生を添い遂げるならこの人だ、と。
都合が良すぎると思ってしまうくらいに性格も性癖も相性が良く、何より互いを互いに信用し切っている。そんな相手を好ましく思わないはずがない。
問題はどう先に進むかだ。今の二人の関係性に、もう世間一般の普通は通用しない。故に二人だけの答えを探し出さなければならない。
——いやダメだ。うだうだ悩むのは止そう。
思考の波に呑まれそうになったのを、悠人は無理やり中断させた。凪の時と同じ轍を踏むわけにはいかない。何よりも大切なのは、考えるよりも行動すること。敢えて何もしないという停滞は、何も生まない。
——朝……は向こう寝ぼけてるからな。今日の夜か。
仕事から帰ってきたら気持ちを伝えようと決め、悠人は気持ちを入れ直した。
「……よし」
そう口にしながら立ち上がった時だった。
「……っ!?」
激しい立ちくらみが悠人を襲う。視界の端からじわじわと黒い膜が滲み出し、自室の景色が水のように揺れる。キーンと耳の奥が鳴り始め、自分の鼓動だけがはっきりと感じられた。
まともに立っていられなくなり、頭を抑えながらゆっくりとベッドに座る。投げ出されていた真琴の手をすがるように握り、その手の温もりだけが悠人を現実に繋ぎ止めていた。
一分ほどそのままでいると、ようやく滲んでいた視界が色彩を取り戻した。動いても大丈夫なことを確認し、悠人はゆっくりと立ち上がる。
——今のは酷かったな……。
ここ最近、確かに立ちくらみは続いていたが、今日のは今までの比ではなかった。睡眠不足も影響しているかもしれない。連続して立ちくらみが起きていることに多少の不安はあったが、朝の支度をしなければならない。
普段より動作を少しゆっくりにして、悠人は準備を始めた。
◆
しかし時間が経過しても、脳の奥が揺れるような感覚が続いていた。動く度に視界がぐらつき視点が定まらない。明らかに今日は少し様子が変だった。
——うーん、今日は休むかな……。
有給休暇は残っているし、幸い急ぎの仕事もない。朝食を作り終えたところで、悠人休む決心をした。朝食を食べて寝よう。
そう考え朝食を盛り付けた皿を持ち、真琴を起こそうと動き出した、その時。
視界が大きく揺れた。
「……!?」
先程の立ちくらみが些末に思えるほどの強烈な目眩。気づいたときには、重力に引かれ身体が傾いていた。何かに捕まる暇もなく、手に持っていた皿が床に落ちてパリンという大きな音が鳴る。
——真琴、さん……。
意識が途切れかけているというのに、悠人はなおも真琴を呼ぼうと地面を這いつくばってベッドに向かおうとする。
その思いが通じたのか、皿が割れて大きな音がしたからかはわからないが、真琴が悠人の元へ駆け寄るのが見えた。
——なんだ……パッと起きることもできるじゃん……。
「悠人くん! 悠人くん——」
そこで悠人の意識は限界を迎える。遠のいていく意識の中で、悠人の名前を呼ぶ真琴の声だけが脳内にこだました——。
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