第14話 本当の欲
「君は本当にお人好しだね」
あとは寝るだけという状態で、悠人は真琴に今日の顛末を全て話した。
シングルのベッドに二人並んで寝るのは少し狭いが、真琴となら気にならない。
「私ならクソ◯ッチ◯ねって言ってぶん殴ってるね」
「一つのセリフの中に二個も伏字あるのやめてください。コンプラどこ行ったんですか」
「コンプラなんか知るか! 職場でもうんざりしてるんだぞ!」
確かに昨今必要以上に求められてる気がするが、それはそれ。凪関連になるとどうも真琴のあたりが強くなる。
「どうして赤塚さんにだけそんな口悪くなるんです?」
「そんなの行動原理が気持ち悪いからに決まってるだろう。振ったくせに友達に戻りたいとかほざくことができるのかわからないし、挙句君の優しさに甘えて泣き出すって。この世を舐めてるとしか思えないね。反吐が出るよ」
とにかく凪の思考回路が気に食わないらしい。確かに自分勝手だなと思わなくはないが、わがままの範疇じゃなかろうか。
「というか君も君だぞ。こんだけ舐めた態度取られたら普通怒るだろう」
「すみませんその怒る?っていうのどうやってやるんですか?」
「これがあまりにも大切にされなかった人間の末路だというのか……」
怒ることができないというと少し大げさかもしれないが、悠人は気付いたら怒りの感情を表に出すことが苦手になっていた。
何かにムカつきもすれば、イライラもする。けれどいざそれを表に、それも人に向けようとしてもうまくできない。例えそれが相手の非しかなくても。
明確なきっかけを憶えていないが、恋愛しているうちにこうなってしまったのは確かに事実だ。
「私には怒っていいからな……」
「あんまりないタイプの許しだ」
いざそういった場面になっても自分が真琴に怒っている場面を、悠人は全く想像できない。
だがそもそも、怒ることができないこと自体、そんなに不都合だと思ってない。
「怒れないってそんなに悪いことですかね? だって怒らないんですよ? 安定した関係性という観点から見れば悪くない気がするんですが」
悠人の苦し紛れの反論に真琴は、
「いや悪いだろう」
そう即答した。
「確かに短期的な視点で見たらそれは円満なカップルだ。でも他人と他人の付き合いだぞ? 衝突が起きて然るべきだろう。片方の我慢で成り立っている関係なんて、長期的に見たらどう考えてもうまくいかない」
「う……」
正直思い当たる節がいくつもある。悠人の感覚では、大体二年。二年は言いたいことが言えないような間柄でも何事も無く関係が続くが、悠人が疲れるか、疲れた悠人に怒り出す相手がきっかけで別れる。そんな恋愛を何度も繰り返していた。
「……仰る通りで」
「まあそうなってしまったことはどうしようもないし、なかなか改善もできないだろうから、君の代わりに私が怒ろう」
「ええ……?」
そう宣言すると、真琴は並んで寝転んでいた悠人の足をガシガシと蹴り始めた。
「いた、痛いですって。赤塚さんに怒ってるんですよね? 俺には怒ってないんですよね!?」
結構強めに蹴られているので悠人への怒りも半分くらい入ってそうだ。さすがに痛いので、なんとか話しかけて気を逸らしたい。
「じゃ、じゃあ俺はどうやったら怒れるようになると思います?」
「え? そんなの——そんなの……んん……?」
どうやら難題だったらしく、いつもは頭のキレる真琴が珍しく頭を悩ませる。おかげさまで脚への攻撃も止んだ。
「とりあえず私に怒ってみる、とか?」
「何を理由にですか?」
「普段の怠惰すぎる私生活とか……」
「それも込みで真琴さんと一緒に暮らすことを決めたので、それに怒るってなるとちょっと話違ってきますよね」
「ああうんそれはそうなんだが……私が言うのもあれだがあの私見て怒らないって相当だぞ……」
「本当に自分で言うのもですね……。でも、マジでしょうがないなあくらいにしか思ってないですよ」
「懐が広すぎる。私それが原因で振られてるのに」
真琴の前だから気を使っているのではなく、悠人は本心からそう思っていた。生活の主導権をこちらが握ることができるので、むしろ楽とさえ思っている。
事実、真琴と暮らすのは心地が良い。人と暮しているのに、まるで一人の時と変わらないペースで生活ができている。悠人にとってこんなにありがたいことはない。
とはいえこのまま怒ることができないのは困るので、悠人は一つ提案をした。
「あ、じゃあ言葉で怒らせてみてくださいよ。悪口とか。それだったら怒れるかもしれないですよ」
「こんなに良くしてもらってる人に嘘でも悪口なんて言えないよ」
「いやあくまでロールプレイですから……変なところで真面目だなこの人」
真顔で真琴に拒否され、見事に打つ手がなくなった。
俺は一生このままなのだろうか……。
困ってはいないが、喜怒哀楽の一つが欠けるというのはなんだか複雑な気分だ。
そう思った時、ふと真琴が口を開く。
「……暴力を使ってみるのはどうだろうか」
「は?」
真琴が訳のわからないことを言い出すので、悠人は意図せず間抜けな声を出した。
「いや、やっぱりその二つってセットになるって事なる事多いだろ? だから暴力が怒るという行為のトリガーになりうる可能性があるかなって……」
「本当は?」
「君に殴られてみたいなって……」
「やっぱり!」
というのもこの真琴の殴られたい願望は以前から耳にしていた。行為中に「叩いて欲しい」だの「首を絞めて欲しいだの」言われることがあったからだ。
悠人は言われるたびに断っていた。倒錯的すぎるので勘弁してください、と。
あとは、多分——止まらなくなってしまうから。
「とりあえず試しに、ね? 自分を変えたいんだろう?」
「都合良い言い方して! 騙されませんよ!」
「むー……」
真琴は頬を膨らませながら目で訴えてきた。かわいい。
しかしその顔に騙されてはいけない。心を強く保てと、自分に言い聞かせる。
「そんな可愛い顔してもダメですよ」
「ちっ」
誇張ではない本気の舌打ち。かわいくない。
しかし、どうすればいいかと聞いたのは確かに自分だと、ベッドの上でぶつぶつ言っている真琴を見ながら悠人は思った。どうしようもない案とはいえ、試さずに却下するのは案を求めた側としてどうなのだろうか。
そんな悠人の逡巡を見抜いたのか、真琴が身体を寄せて耳元で囁いた。
「ね、悠人くん……倒錯的なこと、してみない……?」
そんな言葉と共に蠱惑的な表情をされたら、
「……ちょっとだけですよ」
そう答えるしかないだろう。
「よしじゃあさっそく私の顔を叩いて胸ぐらを掴みながら『いい加減にしろこのブス』って言ってみようか」
「いきなりハードル高くない?」
レベルが十段階として最初から七、八レベルのものをやらされる気分だ。
「何を言う、まだまだこんなの序の口だぞ」
「俺はこれから何をやらされるんだ……」
悠人はこの案を承諾したことをもう後悔していた。真琴の目が怖い。
「よしじゃあいってみよう〜!」
「え〜……」
当然悠人自身は乗り気でないが、ノリノリでテンション高めな真琴が正直馬鹿みたいに可愛いので、渋々という程で付き合うことにした。
◆
真琴は叩かれやすいように座り直し、悠人は真琴を叩くための気持ちを作っていた。
——なんだこの状況……。
——いやダメだ、冷静になったら終わりだ。
——俺はDV彼氏、俺はDV彼氏……。
とても素の状態ではできないので、なりきることは難しくともメンタリティだけは真似していきたい。そうすれば叩ける気がする。
彼らはなぜ暴力を振るうのか。それ結局従わせたいというところに行き着くのだろう。使うのが気に食わない、言う通りにならないのが気に食わない——理由は多くあるだろうが、着地点はそこだ。
基本的に女性は男性に力で敵わない。そして暴力は振るうこと自体は簡単だ。当然やってはいけないことだが、腕一つあれば誰でもできてしまう。さらに一度振るえば心理的ハードルも下がり、エスカレートしていくのだろう。
——うん無理だな、これ。
全然無理だった。そこまで想像したはいいが、彼らの気持ちが全くわからないことに気づいた。
そもそも自分と彼らのメンタリティは真逆。真似をするということ自体に無理があった。真琴の喜んだ顔が見たいからという動機の方がはるかにやる気になる。最初からそうすれば良かった。
「……よし、行きます」
今度こそ覚悟を決めて真琴に向き直る。
「うん、来てくれ」
対する真琴は満面の笑み。この真琴を叩くのは気が引けるが、これも真琴のため。弱く叩いたら怒られそうだと思い、大きく振りかぶって強めに真琴の頭を叩き、間髪入れずに、
「いい加減にしろこのブス」
と思ってもないことをできるだけ感情を乗せて言った。
「……」
「……」
二人の間に沈黙が流れる。
——やりすぎたか……?
しかし悠人の心配は杞憂に終わる。
「……いい! 最高だよ悠人くん!」
そこには満足げな笑みを浮かべる、いつになく嬉しそうな真琴がいた。
「痛すぎず痛くなさすぎずちょうどいい加減で、言葉は少し辿々しかったが声がいい! 将来性バッチリだ! 君加虐の才能あるよ!」
「いらないんですけど……」
妙にテンションが高い真琴とこれでよかったのかと考えている悠人——二人の間には確かな温度差があった。しかし、手段はさておき真琴がこれだけ嬉しそうにしてくれていること自体は、悠人にとっても嬉しかった。
真琴と出会ってからかれこれ一ヶ月ほど経ったが、これほど喜んでいる真琴を見るのは初めてだ。
こんなにうれしそうな真琴を見ていると、定期的にやってもいいかななんて気持ちになってくるから困る。
——いや、それじゃ真琴さんの思う壺だ。
思考をリセットして、悠人は真琴に話しかけた。
「満足できましたか?」
「大満足さ! でもあれだな、うん、少しムラムラしてきた。
「はい?」
なにを言い出すかと思えば、真琴は恥ずかしそうな素振りすら見せず、真顔ではっきりとそう言いきった。
「だってそうだろう?被虐は私の性癖だ。それが刺激されたら興奮するに決まっている。君は違うのか?」
「……違いませんね」
淡々と語る真琴に悠人は肯定せざるを得なかった。こういうことを恥ずかしがる様子を見せずに言えるところを、大変好ましく思う。
だってそれは、こちらもアクセルを踏むことができるということだから——。
「……真琴さん、さっき叩いた時なんですが——」
「興奮した、だろう?」
悠人が言うはずだった言葉を、真琴は確信めいたトーンで奪った。
「なんで——」
「正直言うとね、前からそうなんじゃないかと思ってたんだ。でもそれが今日確信に変わったよ。私を叩いた時の君の顔は、叩かれた時の私と同じ顔だった」
そう、悠人は日常生活で暴力を振るう人間を理解できないとしておきながら、真琴を叩くということにどうしようもない興奮と快楽を覚えていた。
これが、今までひた隠しにしてきた悠人の性癖。
「我慢していたんだろう?」
優しい口調で問う真琴に悠人は白状した。
「……歯止めが効かなくなりそうで怖かったんです。だから真琴さんの誘いを断るのは本当に大変でした。こんな一歩間違えたら犯罪の性癖を受け止めてくれる人なんて、居ないと思っていましたから」
「私がいるよ」
「……!」
「私は君の全てを受け入れる。最初に言っただろう? 私の体を好きに使ってもらって構わないと」
その声は優しくて温かくて、全てを包み込んでくれるような声音だった。これに逆らえるわけないと思ってしまう、そんな声。だから悠人はそれに甘えるしかなかった。甘えたかった。
「……多分手加減できなくなると思います」
「構わないさ。君の全てをぶつけてくれ」
二人は少し見つめ合った後、そのまま唇を重ねた。二、三度啄むようにキスを重ね、少し口が離れたことを合図に、今度は舌が絡み合うキスに移った。
普段のキスはこのまましばらく舌を絡ませ合い、お互いに満足したところで先に進む。けれど今日は違った。
悠人は手持無沙汰だった右手を真琴の首元へ持っていき、そのままゆっくりと首を絞め始めた。
「ん……」
真琴の口から声が漏れる。
気管を潰さないように、手前に少しスペースを空け頚動脈を圧迫しながら徐々に力を加えていく。当然その間も口を蹂躙し続ける。
しばらく続けたところで限界が来たのか、真琴は悠人の腕を二回タップした。しかし悠人はそれを無視。
「……!」
もう一段階強く手に力を込め、5秒ほどさらに締めてから手と口を離した。
「っはあ……はあ……。最初から、容赦ない、ね……」
息も絶え絶えに、瞳を潤わせながら甘美的な表情の真琴が訴える。そんな顔で見られたら、止まれるはずがなかった。
「……だから言ったでしょう。ほら、続きです」
そう言いながら、悠人は真琴を押し倒す。
「……はは、どうなってしまうのかな、私は——」
その言葉を皮切りに、二人は深い深い夜に堕ちていった。




