第12話 朝から
「おはようございます。起きてください、真琴さん」
「あと十時間……」
「日に日に伸びてますよ。昨日は九時間だったじゃないですか」
悠人の一日は真琴を起こすところから始まる……のではなく、実際は真琴を起こす一時間前、つまり朝六時から始まっている。
真琴を起こさないようにスマートウォッチのアラームで起床し、自分の身支度を整えた後は朝食の準備をする。
一人の時の朝食は本当に雑で、とても人様に出せるような代物ではなかった。とはいえ急に朝食らしい朝食を作ることは難しいので、トーストにスクランブルエッグ、そしてベーコンのような簡単なものから試していっている。
その準備を終えるとちょうど真琴を起こす時間になっているから、真琴に声をかける。けれど簡単には起きてくれないので、定期的に声をかけていくしかない。
なんとか真琴を起こし洗面台に送り、悠人はその間に作った朝食をテーブルに並べる。一人で暮らしていた頃は朝食でテーブルにお皿を並べるなんてことはしなかったため、その時と比べると随分と人間らしい生活を送るようになったと思う。
そう感慨に耽っていると、顔を洗った真琴がリビングに戻ってきた。まだ眠そうだが、今日はギリギリ歩けている。酷い日はこちらに戻ってこれないくらいだ。
「おはよう……」
「おはようございます。朝ご飯できてますよ」
「うん……いつもありがとう……」
眠い目を擦りながらも、真琴はお礼を欠かさない。どんなに眠くともその言葉だけは忘れないのだ。
その言葉を聞くだけで頬が緩んでしまうし、明日からも作ろうという気になってくる。
——ちょろいなあ、俺。
今日は比較的目が覚めているため自分で食べているが、本当に脳が起きていない時はまともに食事ができないため、悠人が隣に座って食べさせている。もはやここまで来ると介護に近いが、まあそれもそれでいいかと思ってしまう自分がいるのが怖い。
しばらく一緒にいて思うが、真琴は非常に食べるのが綺麗で丁寧だ。
寝ぼけていても所作がいちいち綺麗で様になっていて、なんというか——育ちの良さを感じる。
とはいえ踏み込みすぎな気がしていて、実家のことなどは聞けていない。彼氏に同棲を解消されたら、実家を頼るのが一般的な気がするのだが。
そのワードすら一度たりとも聞いたことがないので、気がかりではある。
「どうした……?」
そんな悠人の視線に気づいたのか、真琴が眠そうに問いかけた。
聞こうとは思ったが、朝からそんな話はしたくないので、なんとなくで誤魔化す。
「いえ、朝から綺麗だなって思って」
「ふふ、当たり前だろう……」
いつか聞ける時が来ればいいなと思いながら、悠人も自分の食事を進めた。
◆
食事を終えると、それぞれメイクや着替え等の準備に向かう。
洗面台は一つしかないため最初はどうやって使うか頭を悩ませたが、結局真琴が鏡の前でメイクをし、悠人がその隙間から寝癖を直すという形に落ち着いた。悠人がメインで使う必要なんてどこにもなかったのだ。
「見辛くないかい?」
けれど真琴は、毎朝そう聞いてくる。どれだけ怠惰でも、どれだけ寝起きが悪くとも、感謝と気遣いを忘れない。それが真琴だった。
その真琴を自ら手放すなんて元彼はよくそんな勿体無いことができるなと思いつつ、
「大丈夫ですよ」
そう笑顔で返した。手放してくれたおかげで、今自分の隣に真琴がいるのだ。逆に感謝しなくてはならないかもしれない。
それぞれ鏡の前での作業を終えると、あとは着替えだ。
もう一緒にお風呂も入った仲なので着替えくらいどうってことないのだが、一つのラインとして別々の部屋で着替えることにしている。というより、真琴が気にしなさすぎるので悠人がそうした。
「着替え、見たくないのかい?」
「見たいです」
即答である。
「けど、見たらしたくなっちゃうので」
悠人が素直にそう言うと、真琴は壁掛け時計に目をやった。
「一発くらいならいける気がするけど……」
「……いやそういう問題じゃないですから」
真琴の誘惑に負けないようになんとか理性を保つ。というかこの人もこの人だ。朝から誘わないでほしい。
「でも、朝してから出勤する背徳感、味わってみたいと思わないかい?」
「……」
断らないといけないことは頭ではわかっている。だが、身体が否応なく反応してしまう。
そしてそんな扇状的な視線と声で誘惑されて籠絡しない男はいない。
悠人はゆっくり真琴に近づき——気づけば強く抱きしめていた。
「ん……。ふふ、君のそういう欲望に逆らえないところ、私は好きだよ」
「逆らえるわけないじゃないですか……」
そして二人は、時間が許すまで身体を重ねた——。
◆
平日の朝から盛るなんていう非常識なことをしても、悠人と真琴は社会人。そう簡単に休むわけにはいかない。
それなりに激しい行為を重ねた後でも、二人は平然とした顔でそれぞれの職場への道を歩いていた。
「どうだった?」
そう揶揄うような声音で放たれた真琴の言葉に、
「……最高でした」
悠人はそう答えるしかなかった。
事実、時間的にも内容的にも制約のある行為ではあったが、逆にそれが興奮材料となり、いつもよりも盛り上がった気がした。
「ハマりそうで怖いです」
「はは。私はいつでも付き合うよ?」
「真琴さん、俺に甘すぎますよ」
「それ、君が言う?」
そんなことを言い合っているうちに、区役所の前に着いてしまう。真琴の会社はここの十字路を左に行ったところにある。
「じゃ、また後で」
「はい、また後で」
手を振って、真琴の背が小さくなるまで見送る。
そして振り返り、ゆっくりとその足を区役所に向けた時だった。
「——っ!」
突然視界が揺れ、まともに立っていられなくなる。
すぐそばにあった手すりになんとか寄りかかり、症状が落ち着くのを待った。
目を閉じて、ゆっくりと呼吸をする。
次第に揺れるような感覚は治まり、手すりなしでも立てるようになった。
——なんだったんだ、今の……?
とはいえ、ただの目眩だ。少し疲れたのだろうと自分を納得させ、悠人は自らの職場に向かった。
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