第11話 帰宅後、即
一日中考え事をして後悔と向き合ったからか、頭に靄がかかっているような感覚に襲われ、心労もかなりのものがあった。
その痛みを真琴に癒してもらおうと、悠人は真琴の帰りを今か今かと待っていた。玄関で。
——我ながらこれはどうかと思うが。
まるで本命の子とうまくいかなかったからそのフラストレーションをキープの子にぶつけるクズ男のようなムーブ。というか、ほぼそれだ。
そう頭ではわかってきても、真琴が好きに使ってくれと言った以上遠慮はしない。それが二人の契約のようなものだから。事実、同居を始めてからも遠慮はしなかったし、遠慮をしようものならそれを見抜かれてしまっていた。
だからきっと、帰ってきてすぐ襲うというのも許されるだろう。
一八時を過ぎて少し経ち、玄関の鍵が開く音がした。真琴にはもう合鍵を渡している。当然、飲み過ぎて外で失くさないことを約束して。
「玄関でお迎えなんて、まるで犬みたいだな……、っ!?」
そんな軽口を叩く真琴の口を、悠人は唇で塞ぎ、そのまま貪るようにキスをした。
「ちょ……まっ……」
口が少し離れるたびに真琴の口から言葉が溢れるが、そんなのお構いなしに悠人はキスを続ける。
「んんっ……」
真琴は次第に抵抗を諦め、悠人の動きに合わせるように舌を絡めていく。
そのまましばらく続けたところで、真琴がポンポンと二回悠人の方をタップした。存分に楽しめたので、大人しく唇を離す。
「はあ……はあ……せめてお風呂に入らせてくれないか? 仕事終わりはさすがに……」
当然悠人としては真琴がお風呂に入っていようが入ってまいが構わないのだが、真琴は気になるらしい。とはいえ、そのまま待っているのも面白くない。
「じゃあ一緒に入りましょう」
「——君は馬鹿か!? というかお風呂でも絶対するだろう!?」
「そりゃもちろん」
「そんな純粋な目を向けるなあ!」
「いいからほら、行きますよ」
そう声をかけ、悠人は右手で真琴の肩を支え、左手を真琴の膝の裏に入れた。
「え?」
真琴に抵抗する隙すら与えず、そのままいわゆるお姫様抱っこの形へと持っていく。
「〜〜〜っ!?」
悠人の腕の中で声にならない声をあげる真琴。落ち着き払った普段とは違う、慌てふためく姿はなんとも可愛らしかった。
「お、おろせ! 行くから! 自分の足で歩くから!」
「ダメです。どうせ逃げ出すでしょう」
「信用がなさすぎる!」
平日家に帰ったら最低限の動きしかしない真琴のどこを信用できようか。だったら運んだほうが早いというのが悠人の結論だ。
「というか君ヒョロそうなのになんでそんな簡単に持ち上げるんだ!」
「こういう時のために鍛えてますから」
「もっと有効活用しろよお!」
なおも腕の中で暴れる真琴だったが、悠人が洗面所へ向かって歩き始めると諦めたのか少しずつ大人しくなっていった。
「もうお嫁に行けない……」
「俺がもらうんで大丈夫です」
「言ったな!? 言質取ったからな!?」
なんで軽口を叩き合い、二人は洗面所に到着した。真琴が怪我をしないようにゆっくり降ろし、その場に立たせる。
「お風呂入る前から疲れた……」
「これからもっと疲れることするんで安心してください」
「できるか!」
「ほら、服脱がしますよ。バンザイしてください」
「うう……もういっそ殺してくれ……」
なんて言いつつ、素直に従う真琴だった。
◆
「それで、なにかあったのかい?」
結局風呂場で二回、ベッドで一回行為を重ねてから、二人は夕食の食卓を囲んでいた。当然料理をするのは悠人。真琴に「散々やったあとにご飯作るとか正気の沙汰じゃない」とありがたい言葉をもらったが、こんなのはただの気合だ。やれないことはない。
「なにか、とは」
「なにかはなにかさ。それがあったから君はあんなことしたんだろう。結構恥ずかしかったんだからな」
「でもなんだかんだ意外とノリノリだった気が……」
「うるさい」
照れながら拗ねる真琴はなんともいじらしく、もう少しからかいたくなってしまうが、ここはなんとか我慢。
「なにもなくても、俺はあんなことするかもしれませんよ?」
「まあ別にそれはそれで構わないが……。いや違う、こんな話をしたいんじゃない。なにがあったか言うんだ、早く」
「それ前提なんですね……」
もうすでに見抜かれてしまっているようなので、ここで隠しても仕方ない。悠人は今日あった出来事を、一から真琴に話した。
◆
「なるほどね……。それは、心中お察しするよ」
真琴は悠人の話を、時折苦い顔をしながら聞いてくれた。自分の身に置き換えて聞いたのだろう。数年間同棲した恋人と別れて一ヶ月後に友達に戻ろうなんて言われたと思うと、今回の自分の案件が可愛く見えるくらいには心的ダメージがでかそうだ。
「それで、私をそのストレスの捌け口にしたと」
「……おっしゃるとおりです」
「はは、別に責めてるわけじゃないさ。というか、そういう時のために私がいると思ってくれていい。これからも存分に使ってくれ」
なんて堕落に誘う言葉を、真琴は平気で口にする。それに抗う気力も矜持も、今の悠人は持ち合わせていない。その言葉に、甘えるしかなかった。
「それで、友達に戻るのかい? いや、戻りたいのかい?」
「……よくわからないというのが正直なところです。俺、どうしたらいいんですかね?」
「おいおい、丸投げか?」
「そもそも向こうの意図が読めないので……なにがしたいんですかね?」
この件に関する答えが出せないのは、凪の意図が全く読めないことが起因している。
どうして今更になって友達になりたいなんて言ってきたのか。
本当にそれだけなのか、はたまた違う意図が隠されているのか。
悠人には全く検討がつかなかった。
「あくまで推測でしかないが、考えられるのは二パターンくらいだろう。一つは、友達としてやり直したいという純粋な気持ちから。振った男に恋人として付き合うのは無理だけど友達として付き合ってくれと頼むなんて厚顔無恥なこと私にはできないがね」
「随分辛辣ですね……」
「私は脳内お花畑の女が嫌いなのさ。そして君の味方でもある。だから君に害を為す存在は大体敵だ」
「……」
真琴は冗談でもその場のノリでもなく、本心でそう言っているらしい。絶対的な味方というのはこれほどまでに安心感をもたらしてくれるのかと、今更になって思い知る。
「もう一つは後悔しているパターンだろうね」
「後悔、ですか? 振ったのに?」
振った側が後悔するとはどういう理屈だろうか。じゃあ振るなよ、と誰もが思うはずだが。
「まあ私も経験がないのでわからんが……。勢いで振ってしまって、少し経ったら自分のためにすごいいろいろしてくれたことを思い出して、最終的に街で信じられないくらいの美人と歩いていたのを見つけてしまって自分の気持ちに気づいた……みたいな?」
「……スルーしようかと思いましたけど今さり気なく自分のこと信じられないくらい美人って言いました?」
「言ったな。事実だし」
「傾国の美女に訂正してください」
「あ、そのパターンの訂正あるんだ。咎められるわけじゃないんだ」
事実を咎める理由がないし、実際国を傾けられるくらいの容姿を真琴はしている。訂正するほかない。
閑話休題。
「まあでも、その二つのパターンなら前者でしょうね。後者はちょっと考えにくいです」
「ほう。どうしてだい?」
「どうしてって……そっちの方が可能性高いなと思ったからですね」
「本当に?」
「……」
前者を選び、後者の選択肢を忌避した理由。感覚的なところではあるが、なんとなく自分でも察していた。けれどそれを口に出すのは、微妙に憚れられる。
「後者の選択肢は、自惚れているみたいで嫌なんだろう?」
まさに、図星だった。
「……だってどう考えても自意識過剰じゃないですか。そこまで自分のこと評価できませんよ」
痛いところを突かれて、思わず拗ねたような口調になってしまう。
「そんなことないと思うけどね? ただまあ、認めたくない気持ちはわかるよ」
真琴は続ける。
「だが、どちらかと決めつけるのはよくないな。両方を掛け合わせたパターンだってありうる」
自分で言いたくはないが、ここは覚悟を決めるしかない。
「……それはつまり、ワンチャンよりを戻せないかなとは思っているけど、最初からその程でいくのは気まずいから、まずは友達から始めよう、ってことですか?」
「よく言えたね、偉い偉い。私にはそんな図々しくて厚かましくて無礼で無神経で恥知らずなことできないが、そういうパターンだって考えられるからね」
「言ってることはさっきと一緒なのに何故かこっちの方が強く聞こえる……」
真琴が凪のような人間を好きじゃないことはよく伝わってくる。
そんな真琴だったが、手元に置いてあったコップのお茶で喉を潤すと、優雅に腕を組んで悠人を見据えた。
「いろいろ言ったが、最終的に決めるのは君だ。答えは出たかい?」
それは悠人もわかっていた。真琴には助言をもらいたかっただけ。そもそも前提として、答えがある問いではないのだから。
「……正直まだ出ません。でも、答えを出さずに有耶無耶にすることだけはしません」
凪に失礼というのもあるが、なによりその選択をしても自分のために何もならない。それが責任だと思うし、けじめでもあるはずだ。
「そうか。なら存分に悩みたまえ」
真琴は満足気に微笑みながら、悠人の頭をポンポンと二度撫でた。
若干子供扱いされている気がするが、事実真琴のほうが大人なので反論もできない。
「それじゃ私はそろそろ寝るよ」
「はい、おやすみなさい……。あ、真琴さん」
立ち上がった真琴に、悠人はなにか思い出したかのように声をかけた。
「ん、なんだい?」
「ありがとうございます。相談、乗ってくれて」
「……」
人の相談に乗ること自体、それなりの労力を必要とすると悠人は思っていた。だから当然、真琴が自分の相談に乗ってくれていることを露ほども当たり前だとは思っていない。
今、この場に真琴がいてくれることに、改めて感謝したくなった。
そんな悠人の感謝の言葉を受けた真琴は、一度は面食らった顔をしたが、やがて優しく微笑んだ。そして身をかがめて悠人に口づけをし、
「どういたしまして」
そう小声で呟いた。
「改めて、おやすみ、悠人くん」
「……おやすみ、なさい」
そのあまりに洗練された流れに、今度は悠人が面を喰らう番だった。
——これがメロいって言うやつだろうか……。
噂には聞いていた概念を間近で確認した悠人は、その言葉の意味を思い知ったのであった。




