第10話 友達に
気づけば午後五時になっていた。後十五分で終業時間。昼休憩もあったはずだが、何を食べたかさえも覚えていない。始業から終業まで、凪とのことを思い返していたらしい。
悠人は大きくため息をついた。
——もう一ヶ月経つんだぞ……。
それだけ時間が経ち、真琴との出会いがあったのにも関わらず、凪と接して仕舞えばこんなものだ。せっかく脳みその端の方に追いやったことも、懇切丁寧に全て思い出してしまう。
結局そのまま十五分が経ち、就業時間を迎えた。当然残る気にもならないので、悠人はさっさと退勤する。仕事は何も進んでいないが構わない。一刻も早く、この職場から離れたかった。
しかし、その背中に掛けられる声がひとつ。
「片桐さん!」
後ろを振り返れば、小走りで駆け寄る凪の姿があった。
「……赤塚さん」
「駅までご一緒していいですか……?」
不安気な顔で聞いてくる凪に悠人は、
「いいよ、帰ろうか」
そう答えるしかなかった。
◆
「今日はなんか、ずっと上の空でしたね」
青砥駅までの帰り道。悠人は凪の意図が掴めないまま、肩を並べて歩いていた。
「あー、バレてた?」
「それはもう。二回声かけてようやく反応あるって感じでしたもん」
「あれ、そうだっけ」
「そうですよ。なにか考え事ですか?」
「んー……」
一日中あなたのことを考えてました、なんて言えるわけもないので、言葉を濁したくなる。
だが、ここで逃げていたら前と変わらないのではないかという考えが悠人の頭をよぎった。言うべきことを言わずに濁したせいで、後悔したのではないかと。
後悔しない生き方をすると誓ったのだ。だったら、ここで逃げるべきではない。
「赤塚さんのこと、考えてた」
「私のこと、ですか……?」
凪は少し面食らったような表情になる。それもそうだ。振った男にあなたのことを考えていたら一日に上の空になってしまいましたと言われたのだから。
「そう。朝話しかけてくれたじゃん? あれなんでかなーとか」
「すみません、迷惑でしたか?」
「そんなことはないよ。でも久しぶりだったからびっくりして」
本当のことを一から話す気はないが、驚いたことは事実だ。充分理由は立つだろう。
少しだけ間が空いて、凪が話し始める。
「……どの口がと思われるかもしれませんが、本当にこのままでいいのかなって思ったんです」
「とういうと?」
「私たち、いろいろあったじゃないですか」
「あったね、いろいろと」
「気まずい思いもしたと思うんです」
「お互いにね」
「だからなんとなく避け合って、関係性を元に戻そうと、ただの職場の同僚に戻そうとしてるなって、思ったんです」
凪の言っていることは正しかった。
友達以上に親しくなってしまったが、それ以上の関係に発展することはなかったのが今の悠人と凪だ。その男女の行き着く先は、基本的には全てをフラットに戻すことだろう。
親しかった頃は戻ってこないが、これ以上仲がこじれることもない。学生ではなく社会人で、かつ同じ職場の同僚という立場であれば、それを選ぶ他ない。
だから悠人はそうした。そうせざるをえなかった。そうしないと、心がもたなかったから。
「でも、それってもったいないとも思ったんです」
凪は言い切った。
「だってせっかく仲良くなれたのに。お友達になれたのに。それを自分から手放すのは、やっぱりもったいないと思うんです。だから、話しかけました」
凪の言うことも一理ある。
基本的に告白がうまくいかなかった男女の辿る道は疎遠一択だろう。なにせ気まずい。
けれど悠人と凪は同じ職場。完全に疎遠にはなれないし、仕事上どうしても話さないといけない場面もある。
当然お互い大人だからその線引はできるだろうが、きっとぎこちないだろう。
けれど友達になってしまえば、その気まずさは解消される。
だからそうありたいと、凪は言っている。
「赤塚さんの言いたいことはわかるよ」
悠人は一呼吸置いて、凪の方を向いた。
「でもそれは、振った側の論理だ。振られた側の気持ちは考えられてない」
そう、凪の言っていることは、振った側に都合が良い意見なのである。
振ったけれど、気まずくなりたくないから友達になりたい。
振られた側のことは一切考慮されていない、素晴らしく自己中心的な考えだった。
けれど凪は、そんな悠人の視線を正面から受け止めていた。
「わかってます、私に都合がいいことくらい。でも、それでも私は、片桐さんと友達になりたいんです」
もはや論理も何もない、感情で訴えかけてくる凪に、悠人は若干の懐かしさを覚えていた。
——ちょっと前も、こういうことあったな。
比較的論理立てて喋る悠人に対して、感情で訴えかけてくる凪。結局その圧に負けて、凪の言う通りになってしまうのだ。
けれど悠人は、凪のそんなところが好きだった。
「……我儘だね」
「それは片桐さんが一番知っているはずですけど?」
「それもそうだ。でも、少しだけ考えさせてほしい」
「もちろんです。……待ってます、私」
悠人も気持ち的には前向きでいる。凪と友達としてやり直すこと自体になんら抵抗はないし、ここからワンチャンスと狙っているわけでもない。
とはいえ、やはり心の整理が必要だった。それに、一人でああだこうだと考えるより誰かに相談したほうがいい。前回は誰にも相談せずに一人で勝手に答えを出して失敗した。そこから学ばなくてはならない。
少し前までなら、誰にも相談できなかった。けれど、今は一人、思い浮かぶ顔がいる。
その人に会うため、悠人は帰路を急いだ。




