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トナラー  作者: 津嶋朋靖


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 最初僕は、健吾は佐伯先輩の下の名前だと思っていた。


 しかし、先輩の名刺にあった名前は『佐伯貴史』。


 では健吾とは誰だ?


 しばらく無言だった佐伯先輩が、ようやく口を開いた。


「令斗。あの女に……富和(とわ)に、会ったのか?」


 富和? それって……


「富和? それは、このコペンの持ち主を『健吾』と認識するあの女の人のことですか?」

「そうだ」

「あの人、富和という名前なのですか?」

「知らなかったのか?」

「さっき会った時、彼女から自己紹介がなかったので。その……富和さんから僕は、健吾という人と間違えられました」

「そうか」


 先輩は、特に驚いている様子はなかった。


「どうやら彼女は、人の顔を見分ける事ができない障害があるようです。だからコペンの持ち主を、健吾という人と識別していた。そのために、さっきまで僕は健吾は先輩かと思っていました」

「違う! 俺は健吾じゃない」

「ええ。それはさっき名刺を見たので分かりました。それで、健吾って誰なのです?」

「俺も知らないんだ」

「知らない?」

「コペンは、俺の知り合いからタダで譲ってもらった」


 タダ? じゃあ格安とか言っておいて、本当はタダで譲ってもらった車で僕からは金を取ったのか。


 まあ、今はその事は置いておこう。


「では、その知り合いが健吾ですか?」

「いや、そいつも健吾じゃない。おそらく、健吾はそれより前の持ち主なのだろう」

「それで、先輩はいつ知ったのですか? このコペンを、富和という女性が追い回している事を?」

「半月ぐらいしてからかな。外出先の駐車場に停めていると、いつも横に白いカムリが停まるようになったのは。元オーナーに問い合わせたら、この車を持っていると変な女に付きまとわれると」

「それを知っていて、僕に売りつけたのですよね? 自分が富和さんから逃れるために!」

「怒るなよ。それに、おまえだって良い思いができただろう」

「はあ? 良い思い? 何を言ってるんです?」

「富和って良い女だろ。だから、健吾のふりして良い思いを……」


 この男……最低だ。富和さんの誤解につけ込んで、そういう事をしていたのか。


「良い思いどころか、僕たちはさっき富和さんに殺されかけたのですけど」

「え? ああそうか。従姉妹といるところを見られたんだな。富和はコペンに他の女が乗っているのを見ると凶暴化するんだ」

「なんだって?」

「だが、大丈夫だ。数日経てば、富和はきれいさっぱり忘れるから」

「忘れるって?」

「そういう障害も持っていると元オーナーが言っていた。とにかく、富和は凶暴化しても数日経つと忘れるから、それまで逃げていればいい。警察なんか呼ぶと面倒な事になるからやめておけよ」

「先輩。警察を呼ばれると何か困る事でもあるのですか?」

「いや……別にないけど……警察なんか呼んだらいろいろと面倒だろ」

「ところがそうもいかないのですよ。吉部を殺したのも、富和さんらしいので」

「なんで? 吉部は関係ないだろ?」

「本来なら無関係でした。だけど、吉部は駐車場に停めてあったコペンを蹴っ飛ばしたのですよ。その事で富和さんの怒りを買って」

「それで、殺したというのか?」

「はっきり殺したとは言っていませんが、車で引きずり回したと言っていました」

「そうか。それで刑事を呼びたかったのだな。おい! という事は、ここに刑事を呼ぶのか?」

「それは電話をしてみないと分かりません」

「俺はもう帰る。警察に電話するなら、俺がいなくなってからにしてくれ」


 そう言うと、佐伯先輩は新城さんをヤリスに乗せてパーキングエリアから出ていった。

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