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第19話:千年の冬の終わりと、琥珀色の微睡み


 外界との境界で凛々しく王妃としての威光を示したあの日から、精霊王の城には、より一層深く、甘やかな静寂が満ちていた。

 城の最奥、王の寝所に至る回廊には、リリアナの幸福感に当てられた精霊たちが放つ、琥珀色の柔らかな光が絶え間なく揺らめいている。


 アルヴィスは、真珠色の天蓋が垂れ下がる巨大な寝椅子に身を預け、その膝の上にリリアナをすっぽりと収めていた。

 彼は大きな掌で、リリアナの銀色の髪を幾度も、幾度も、宝物を検分するように優しく梳き上げている。リリアナが吐息を漏らすたびに、アルヴィスはその白いうなじや耳の後ろに、熱い唇を寄せては愛おしそうに目を細めた。


「……アルヴィス様。今日は、とても穏やかなお顔をしていらっしゃいますね」


 リリアナがアルヴィスの胸に身を預けたまま見上げると、王はわずかに困ったような、しかし蕩けるように甘い微笑を浮かべた。


「お前にあのような強さを見せられてはな。……私はお前を、ただ私の腕の中で震えているだけの小鳥だと思っていた。だが、お前は自ら羽ばたき、私の世界を守ろうとしてくれた。……その誇らしさと、私だけの檻から逃げ出してしまうのではないかという焦燥が、今も胸の奥で渦巻いているのだよ」


「……逃げたりいたしませんわ。私の翼は、あなたの空を飛ぶためにあるのですから」


 リリアナの言葉に、アルヴィスは狂おしいほどの情熱を込めて彼女の細い腰を抱きしめた。

 そのまま彼は視線を遠くへとやり、これまで誰にも語ることのなかった、数千年の記憶の断片を紡ぎ始めた。


「リリアナ……。お前に出会うまでの私の時間は、音のない、そして終わりのない『千年の冬』だった」


 アルヴィスの低い声が、静かな部屋に深く響く。

 精霊王として誕生した瞬間から、彼に見えていた世界は、決して美しいものではなかった。

 人間たちは、彼を神として崇めながらも、その瞳の奥には常に醜悪な「欲望」を宿していた。彼らが捧げる祈りは、感謝ではなく、他者を蹴落とし、富を独占し、精霊を力ずくで使役せんとする呪詛に近いものばかりだった。


「奴らの祈りは、私の耳にはただの不協和音としてしか届かなかった。どれほど豪華な神殿を建てられようと、どれほど美しい乙女を捧げられようと、私の心は石のように硬く、冷たく冷え切っていくばかりだった。……私にとって世界は、いつかすべてを無に還すべき、色彩を欠いた灰色の廃墟でしかなかったのだ」


 アルヴィスの語る過去は、あまりに孤独で、あまりに寒々しいものだった。

 彼は数千年の間、たった一人で玉座に座り、枯れ果てた人間たちの精神を見守り続けてきた。彼にとっての「色彩」とは、せいぜい魔力の循環を示す淡い光の線に過ぎず、感情を揺さぶるような「色」などは、この世界のどこにも存在しないと諦めていたのだ。


「そんな私の深淵に、お前の歌が届いた。……あの日、屋根裏で、自分の孤独よりも小さな精霊の痛みを案じていたお前の、あのひび割れた、けれど真珠のように清らかな歌声がな。……あの瞬間、私の世界に初めて『春』が訪れたのだ」


 アルヴィスは、リリアナの手を取り、その指先に縋るように口づけを落とした。

「お前という存在がいなければ、私は今頃、この世界を凍てつかせ、永遠の沈黙へと誘っていただろう。……リリアナ、お前は私がこの世界を愛するための、唯一の理由なのだ」


 王のあまりに深い孤独の告白に、リリアナの目から一粒の涙が零れ落ちた。

 その雫は、リリアナの真名の魔力に反応し、空中で琥珀色の宝石へと姿を変えてアルヴィスの掌に転がった。


「アルヴィス様……。そんなに長く、お一人で……。……ごめんなさい、私、もっと早く、あなたの孤独に気づけていればよかった」


「謝るな、愛しき子よ。……お前が今、こうして私の腕の中にいてくれる。それだけで、私の数千年の冬は報われた。……お前がくれるこの熱量だけが、私の真実だ」


 アルヴィスは、リリアナの涙を宝石に変えたその手を、再び自分の胸元へと引き寄せた。

 彼の心音は、リリアナが歌う子守唄のリズムと完全に重なり、二人の魂がひとつの輪を形成していく。


 リリアナは、アルヴィスの銀髪に指を絡め、彼を包み込むように抱きしめ返した。

 かつては「檻」に感じたかもしれない彼の独占欲。けれど、彼の抱える果てしない孤独を知った今、その重みは、リリアナにとって何よりも尊く、温かな「絆」の証となった。


「これからは、私があなたのすべての時間を色彩で埋め尽くします。……朝になれば光の歌を、夜になれば安らぎの夢を。……あなたが二度と、あの灰色の冬を思い出さないように」


「ああ……お前はどこまでも慈悲深く、そして残酷なまでに私を狂わせる。……リリアナ、一生、私の檻の中で共に朽ちてくれ。お前の吐息のひとつひとつまで、私は逃さず飲み干してしまいたいのだ」


 アルヴィスの囁きは、甘い呪文のようにリリアナの意識を蕩かしていく。

 窓の外では、精霊たちが二人の愛の共鳴を祝うように、金色の粉を夜空に振り撒き、世界で最も神聖な静夜の賛美歌を奏でていた。


 外界では、彼らという「世界の均衡」を失った者たちが、自らの愚かさに震えながら、灰色の黄昏に呑み込まれていくのを待つばかり。

 けれど、この琥珀色の微睡みの中にいる二人には、もう、届くはずのない遠い地の悲鳴。


 リリアナは、アルヴィスの温かな胸に耳を当て、その規則正しい鼓動を聴きながら、安らかな眠りへと落ちていった。

 彼女の夢の中には、もう泥の感触も、冷酷な言葉も現れない。

 ただ、自分を数千年前から待ち続けていた、孤独で美しい王の、永遠の愛だけが満ち溢れていた。


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