第二三三話 帝立女学院 一 高笑い
シュトラールヴィントを出た日の夕方、私たちはグライフスブルクに到着した。
このグライフスブルクという都市は北側に川が流れていて、市壁の北門前に架かる橋を渡って川の北岸へ行くと、その場所が城壁で囲われた砦になっている、つまり、この北岸砦と市壁による二段構えで北方からの侵入を防ぐ構造だ。
さらにはその北岸砦も、南を川に、残る三方を水堀に守られているという、実に堅固なもので、砦の門を破ろうとする敵に市壁側からも矢の雨を降らせられるよう、砦の北側じゃなく東側に門を設けてあるし、日本の城の馬出に相当するというか、この砦を日本に現存する城の防御施設で例えるなら、広島城の二の丸って感じだろうか。
だから私たちが到着したのも、市壁の北門前に架かってる大きな橋のほうじゃなく、北岸砦の東側に架けられてる小さい橋の上なんだよ。
「ふう……、なんとか間に合ったね」
「ギリセーフやなあ」
その橋の上で、私と火野さんは顔を見合わせて胸を撫で下ろした。
……いやね、夕方とは言ったけど、日没の少し手前くらいだったからさ、もうちょっと遅れてたら三人揃って野宿する羽目になってたと思うんだよ。真っ暗になるとすべての門が閉まっちゃうからね。
私たちと同じように滑り込みセーフって感じの人たちもいたけど、その数はそう多いものじゃなく、橋の上の短い行列に並んだ私たちは少しだけ待つと、北岸砦の門を抜けるためのチェックを受けることになった。
「あんたら商人ってより旅人かい? 間に合ってよかったなあ、こんな季節に野宿なんてことになったら凍死するかもしれないからな。それじゃあ、とっとと終わらせるから顔をよく見せてくれよ。――どれどれぇ、十代半ばの娘さんとラタト……いや、十歳くらいの女の子だな、で、手押し車の中に……うわっ! し、死体じゃないか!」
あ、いけね、大二郎を収納するの忘れてた。
火野さんと私の顔を確認し終わった門番さんが、大二郎を覗き込むなり驚いてしまったよ。……今はムーちゃんが乗る順番だったから。
「嫌だなあ、ちゃんと生きてますよ。――ホラ、ムーちゃん、顔を上げて」
私は門番さんの前でヘラヘラと愛想笑いすると、彼の誤解を解くべく、動いて顔を見せるようムーちゃんに言ったんだけど……。
「ヒィィィィ! ナ、ナハツェーラーだぁぁぁ!」
……彼女がゆっくりと顔を上げて、長い前髪の隙間から恨めしそうに睨んだとたん、門番さんはアラレもない悲鳴を上げた。
「何ぃっ! ナハツェーラーだと!」
「囲め囲め!」
「影に気をつけろ!」
うーん、困ったぞ。門番さんの悲鳴を聞きつけたらしく、ここの守備隊っぽい人たちが槍を手にワラワラと集まってきて、あれよあれよと言う間に私たちを半包囲してしまったじゃないか。
さすがはムーちゃんだなあ、メンドくさいことになったなあ……。
「あのう、この子、ただの人間ですよ。こう見えて」
「嘘をつけ、そこまで生気の無い人間がいるもんか! それに、こんな時間を選んで来たのも怪しい、ナハツェーラーは陽光を嫌うからな。どうやら、お前たちふたりは人間のようだが、ナハツェーラーを都市に運び込もうとはどういう了見だ、脅されているのなら酌量の余地もあるが、返答次第ではナハツェーラーごと始末するぞ!」
私は守備隊長っぽい人に説明したんだけど、まったく信じてもらえないや。
「ホラ、ムーちゃんも説明して、笑顔で」
「……ひとふたみよ、いつむゆななや、ここのたり……布留部……由良由良止布留部……この恨み晴らさでおくべきか……」
……ニタリ。
「ほらぁ! やっぱりナハツェーラーじゃねぇか!」
ムーちゃんに言った私がバカだったよ……。彼女が何やら呪文めいたことをブツブツと呟いた挙げ句、恨めしそうな顔に身の毛もよだつような笑みを浮かべたモンだから、守備隊長さんも他の人たちも槍をザザッと構え直して、もう何を言っても聞いてくれなさそうな雰囲気になってしまったじゃないか。
コレはアレか? 例の宝剣でも見せて、みんなをいったん落ち着かせてから説明するべきか? ってなふうに私が考えた――その時!
ザバザバザバザバッ!
「オーッホッホッホッ! ナハツェーラーはこちらですわねぇぇぇっ!」
橋の上にいる私たちの左側から、大きな水音とともに、聞き覚えのある高笑いが聞こえてきたんだよ。
見れば、海馬ヒッポカンプが五体ほど、砦の南側を流れる川のほうから水堀を通り、白波を立てつつコッチに急接近して来るではないか。
先頭のヒッポカンプの背中には何者かが乗っていて、私たちのいる橋の近くまで来たところで、その何者かはシュバッと高く跳躍し、橋の上、それも私たちの退路を断つ位置に降り立った。
ドレスの上に銀色の胸甲を着込み、豪奢な金髪をクルンクルンと縦ロールにしているその女性は、重そうなハルバードを右手一本で軽々と振るい、その先端を私たちにズビシと向けた。
かなりの勢いで振り下ろしたにもかかわらず、ハルバードの穂先がピクリとも動かないとは、相変わらずとんでもない怪力だ。
「ナハツェーラー! 性懲りもなく、第一皇女殿下のお命をお狙いにいらっしゃったのでしょうが、そうはさせませんことよ!」
お嬢様言葉で軽く啖呵を切ったあと、その人は続ける――。
「オーッホッホッホッ! このわたくしが参りましたからには、第一皇女殿下のお顔をご覧になることはおろか、ここからお進みになることもお逃げになることも、決して叶わぬこととお思いなさい。これより退治して差しあげますので、ご自分を滅する者の名を心に刻みつけるとよろしいですわ。よろしくって? わたくしの名は、次期シュティッツガルト伯、メ――」
「メルツェーデスさん!」
彼女が気持ちよさそうに名乗っている最中だってのに、私は嬉しさのあまり、その名を口にしてしまった。
そう、そこにいたのは、紛れもなく、金髪縦ロールの狂犬こと、帝国護衛女官のメルツェーデスさんだったんだよ!
「あら? その声は…………ハナ様!?」
私の声を聞いたメルツェーデスさんは、目を細めて私の顔をしげしげと眺め、それが誰だかわかったとたん目を丸くして、まずはハルバードをガシャンと取り落とし、次に、震える両手で口を覆い、そして、大粒の涙をポロポロと溢れさせながら――。
「……ああ、ハナ様! よくぞご無事でっ!」
――私のそばに駆け寄って来ると、強く抱きしめてくれた。
……ああ、私、この人にも心配かけてたんだな……。
幾人もの人たちに心配かけたことを申しわけなく思うと同時に、心配してくれる人のいることを嬉しくも思う私だった。
◇ ◇ ◇
再会をしばし喜び合い、積もる話は市内に入ってからゆっくりしようってことになったあと、とりあえずその場で私が火野さんとムーちゃんを紹介すると、メルツェーデスさんはすぐに納得してくれ、事態を呑み込めずキョトンとしている守備隊の人たちに、私たちのことを第一皇女殿下のお客人だと説明してくれた。
そうやって帝国護衛女官様からのお墨付きを貰えたおかげで、守備隊長も平謝りに謝ってくれたし、守備隊の人たちも直立不動で道を空けてくれたし、これで私たちも、ようやく第一関門を通過できる、と、思いきや……。
「そうですの、ハナ様のお友達で、護衛、ねぇ……。そういうことでしたら、ヒノ様もムー様も、さぞやお強いのでしょうねぇ……」
……なんか、メルツェーデスさんが悪い病を再発したらしく、値踏みするような視線で陰陽コンビのことを舐め回し始めたんだよ。




