第二二九話 本土上陸! 三 瓜ふたつ
「さあ着いた。ほら、あそこに見える立派な建物がそうだよ」
私の手を引いて表通りへ出たヘルガさんは、そのまましばらく歩くと立ち止まり、大きな広場の向こう側に見える建物のひとつを指差した。
「あんたたち、ここの支店に配属されて来た奉公人見習いってとこだろうけど、良かったじゃないか、あそこは大店だし悪い評判も聞かないからね。せっかくいい奉公先にありつけたんだ、せいぜい頑張って働くんだよ。……いいかいハナ、あんな陽の当たらない場所、間違っても二度と来るんじゃないよ。――じゃあね」
ヘルガさんはそう言うとニコリと笑い、元いた暗い場所へと帰っていった。
至高なる三女神様の手前、この世界では奴隷制度が大昔に廃されたらしいけど、だからといって、貧困が存在する以上、借金のカタに売られる女性や生きるために体を売る女性がいなくなるはずもなく、私たちがさっきまでいたあの場所も、そういった女性たちの仕事と生活の場だったのだろう。
最後にヘルガさんが私にくれた言葉は、もしかすると、ただ単に迷い込んじゃいけないという忠告だけじゃなく、ああいった場所に私が身を沈めることのないようにという彼女からの祈り、みたいなものでもあったんじゃないかな……。
「ヘルガさん、ありがとうございました!」
私たちは三人揃って頭を下げ、優しい人の遠ざかりゆく背中を見送った。
◇ ◇ ◇
ヘルガさんを見送った私たちは、シュナイダー商会の支店を訪ねた。
場所が変われば建物も変わるもので、私が前回旅した帝国内陸部だと、木組みの美しいハーフティンバー調の建物が多かったけど、このシュトラールヴィントではレンガ造りの重厚なものが多い。
ここは交易都市ってことで商品を火災から守るためなんだろうし、それだけ裕福だということでもあるんだろうけど、あと、レンガ造りに適した粘土が近くで採れるのかもしれないね、市壁にも大量のレンガを使ってたし。
ともかく、シュナイダー商会の支店もレンガ造りの建物で、妻側(切妻屋根の三角形側のことね)に玄関があるタイプだ。
屋根の三角を隠している飾り破風の部分は、たしかモト界じゃギーベルって名前で、こうした妻入りの建物はギーベルハウスと呼ばれているんだっけ? 北ドイツのハンザ都市とかによくあるよね。
それにしても、帝国屈指の大商会の支店だけあってホント立派だねぇ、デザインを統一してるところや玄関の有無からして、この建物と隣接している両側のギーベルハウスも支店のもので、三軒が中でつながってるか、ひとつの建物を三軒に見せかけているのかもしれないね、それに、窓という窓にはすべて高価なガラスを嵌め込んで――。
「そんなんええから、はよ入ろ」
「ああ、うん……」
鷹のごとき目をして建物をじっくり眺めてたら、火野さんにせっつかれた。……どうやら、また声に出てしまっていたらしい。
そんなわけで、私はでっかい両開き扉に手を伸ばし、見事な装飾を施されたドアノッカーを打ち鳴らしたんだよ。
すると、しばらくしてから片方の扉が内側に開き、営業スマイルを浮かべた若い男性店員さんが店内から姿を現して……。
「いらっしゃいま……ラ、ラタトスク!?」
……私の顔に視線を落とすなりギョッとした。
「……」
「花、ここはウチに任しとき」
私が言葉も表情も失っていると、そんな私の肩にポンと手を置き、火野さんがグッとサムズアップした。……店員さんの誤解を解いてくれるというのだろう、ここはひとつ、口の上手い彼女に任せるとするか。
「兄ちゃん、気持ちはわかるで。……けどなあ、よう考えてみ、さすがにこの大きさのラタトスクはおらんやろ? しかも服着とるんやで?」
「た、たしかに……」
「せやろ? もっと目ぇ開いてよう見てみ、コイツはなあ、たしかにちっこいし小動物みたいな顔しとるけどな、コレでも、れっきとした人間なんやで、コレでも」
「なるほど……」
火野さんの説明を聞いて店員さんも納得してくれたみたいだけど、なんだろ、この複雑な気持ちは……。
「コホン……。お客様、たいへん失礼いたしました、心よりお詫び申し上げます。お連れの方々も……ヒィィィィッ! ナ、ナハツェーラー!」
店員さんは気まずそうに小さく咳払いしたかと思えば、自分の胸に手を当てて真顔で私に謝罪し、次に火野さんとムーちゃんのほうへ視線を上げて、ムーちゃんと目が合ったとたんアラレもない悲鳴を上げた。
乙女を生ける屍なんかと間違えるなんて失礼だなあ……気持ちはわかるけど。
とまあ、こんな感じで店員さんが騒ぐもんだから、当然のごとく、それを聞いた人が店の奥から駆けつけて来た。
「どうした! いったい何が……ラ、ラタトスクッ!?」
ドタドタと駆けつけて来たのはいいけどさ、その人まで私の顔を見たとたんギョッとすることないじゃん……。
でもね、この時の私はそんなことを気にするどころか、自分のほうも驚きの声を上げてしまったんだよ。
「トーマスさん!?」
そう、若い店員さんの後ろで驚いている小太りオジサンは、なんと、シュナイダー商会の帝都支店長トーマスさんだったのだ。
まさかこんなところで会えるとは思ってなかったよ、懐かしいなあ。
「え……トーマス? ……よくよく見れば人間だし、私をトーマスと間違えてそれほど嬉しそうにするということは……それに、ラタトスクっぽい十歳くらいの少女……はっ! もしやあなた様は、ハナ・サイトー様では!?」
あれ? この小太りオジサン、トーマスさんじゃないの?
◇ ◇ ◇
シュナイダー商会は総合商社みたいなもんだから、少なくともこの店舗は一般客相手に商品を売る場じゃなく、あくまでも取り引き先との商談や商品の確認などに使われる場なんだろう。
だから、支店の玄関を入ると、そこいらの商店みたく商品を陳列したりはしておらず、建物の一階すべてを使った広い空間になっていて、やたら天井の高いその広間の左右の壁に、私の予想どおり、隣接する建物へ通じる扉があった。
ちなみに、一般的な商人のギーベルハウスだと上の階と地下は倉庫になっていて、屋根裏にある滑車を使って荷物の上げ下ろしを行う、ってのを本で読んだことがある。で、一階の突き当たりの扉を開けた先が中庭になっていて、その中庭を囲んでいる棟が、居住用スペースなどとして使われているんだろう。
さて、建物の話はこのくらいで置いといて、そろそろ私たち三人の現況について語るとしようか。
私たちは現在、広間の左右にある扉のひとつを抜け、隣接する建物の一階にあるゴージャスな部屋で、見るからにお高そうな椅子に腰掛け、トーマスさんそっくりの小太りオジサンから応対を受けている最中である。
「なるほど、そうだったんですね。いや~、トーマスさんに双子の弟さんがいたとは知りませんでしたよ~」
「ハハハハハ、驚かれたでしょう? 自分たちでも驚くほど似ておりますからねぇ」
そう、私との会話を聞いておわかりのとおり、この小太りオジサンはトーマスさんの双子の弟さんだったのだ。
あのあと、その場で平謝りに謝った彼は、すぐさま私たちを賓客用と思われるこの応接室に通し、もう一度丁寧に謝罪すると、自分はここの支店長をしているカスパーだと名乗り、トーマスさんとの関係も話してくれたんだよ。
「ハナ様のことはトーマスから伺っております。あなた様について書かれた手紙を彼が幾度も寄越すものですから、私も一度お会いしてみたいと思っておりました」
「で、その手紙に、ラタトスクっぽい十歳くらいの少女だと?」
「……あ、いえ……ラタトスクのように愛らしく、実年齢よりも少々お若く見えるが、たいへんご聡明でいらっしゃるうえに、高貴な御身にもかかわらず庶民とも親しくお接しになり、何より、お優しいお方でいらっしゃると、そう書いておりました、はい……」
私に追及されたとたん、しまった! みたいな顔を一瞬したものの、大商会の支店を任されるだけあって、カスパーさんは汗をフキフキしながらも見事に切り抜けた。
さすがに私のことを持ち上げすぎだから、トーマスさんからの手紙にそう書いてあったかどうかは疑わしいけど、私も悪い気はしないから、まあいいか……あ、そうだ、火野さんとムーちゃんのことを紹介しなきゃ。
「カスパーさん、私の友達を紹介しますね。コッチが火野さんです」
「どうも、火野照子です、おっちゃんよろしゅうな」
「で、コッチがムーちゃんです」
「夢羽、蓮台野……です……」
ってな感じで、私が紹介すると火野さんは太陽のような笑顔で、ムーちゃんは幽霊のごときか細い声で、それぞれカスパーさんに名乗った。
あれ? 火野さん、今、家名とファーストネームの順を逆に言わなかったぞ、これじゃカスパーさんに誤解されちゃいそうだけど……まあ、いいか、彼女はファーストネームで呼ばれるの嫌がるからね。
「テルコ家のヒノお嬢様、レンダイノ家のムーお嬢様、ようこそお越しくださいました、お目にかかれて光栄でございます。トーマスの話によりますと、ハナ様はたったおひとりでマーヤ姫殿下を探していらっしゃる、とのことでございましたが、ご本国よりお越しのご友人方と合流なさったのですね。なるほど、ハナ様のご友人でいらっしゃり、また、マーヤ姫殿下ご捜索の任に就かれるからには、おふたりとも万夫不当の勇士でいらっしゃるのでしょう。……ああ、これで安心いたしました、本当によかった……」
火野さんとムーちゃんのことを頼もしげに眺めつつ、心底満足そうに何度も頷くカスパーさん。……私みたいな女の子がひとりで親友探しの旅をしていると、トーマスさんから聞いて、たぶんこの人も心配してくれてたんだろうね。
「それはそうと、兄の妻ヤーナがハナ様に命を救っていただいたとか。私からも心より感謝申し上げます」
カスパーさんは急に真顔になると、自分の胸に片手を当てて私にお礼を言ってくれた。
「いやあ、私は皇帝陛下に御典医を貸してくれるよう頼んだだけで、実際にヤーナさんを治してくれたのは御典医のマティルダさんって人だし、そもそもヤーナさんは私を庇って大怪我しちゃったんだから、私のほうがお礼を言うべきですよ」
「……いいえ、ヤーナが事故後どれほど危険な状態であったのかも、ハナ様が神秘のお力をもって彼女の時を止め、帝都まで運んでくださったことも、兄の手紙に詳しく書かれておりました。あなた様のお力がなければ彼女は確実にこと切れておりましたし、畏れ多くも皇帝陛下に庶民の治療を奏上するなど、ハナ様でなければできない……いえ、しようとすら思わなかったでしょう。……ハナ様、間違いなく、あなた様がヤーナを救ってくださったのですよ」
私は当たり前のことを言ったつもりだったんだけど、カスパーさんが首をゆっくり横に振り、トーマスさんそっくりの真摯な眼差しと声で言うもんだから、私はトーマスさんに言われているような気がして、ちょっと自分のことが誇らしくなった。
「ところで、ハナ様のご無事を兄に教えてもよろしいでしょうか? 帝都を出立されたハナ様の消息が途絶えてからというもの、兄夫妻は食事も喉を通らぬほど心配しているようですので、早く安心させてやりたいのです」
「あ、ぜひ!」
「ありがとうございます、ふたりとも大喜びすることでしょう」
トーマスさんもヤーナさんも、そんなに私のことを心配してくれてたんだね……。私と亡くなった娘さんを重ねているらしいから、あのふたりからしてみれば、我が子を二度も失ったような気分なんだろうか、申しわけないなあ……。
私からの許可を得て晴れやかに笑うカスパーさんを眺めつつ、私は優しいご夫婦の顔をしみじみと思い浮かべていたんだけど、その時――。
『ええい、今すぐ責任者を出せ!』
――扉の向こうから聞こえてきた怒鳴り声が、私の感傷をブチ壊したんだよ。




