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第二二六話 荒れ地の魔女 二一 黒き乙女の恵み



 ジャガイモの栽培試験をロシュトルフ男爵に依頼したあとも、真綾は数日の間、彼の館に滞在した。

 熊野はその滞在中、ジャガイモの栽培や保存についての諸知識を男爵に、そしてジャガイモを使った料理とそのレシピなどを料理長にと、それぞれ詳しく伝授した。

 無論、連作障害や毒性のことといった最も注意すべき事項については、徹底的に教え込んでおり、ジャガイモとそれを使った料理を広める際は、必ずそれら注意事項とともに広めるよう、かなり厳しく言ってある。

 広めると言えば――。


「『広めるにあたってでございますが、マーヤ・ラ・ジョーモンによって伝えられし作物と料理であると、ぜひ、言い添えてくださいませ』」


 ――などと、なぜか熊野は男爵に妙な注文をつけたが、その真意については、そのうち判明することだろう。

 ちなみに、栽培試験用として提供する種芋についてだが、熊野丸召喚を繰り返すことで数はいくらでも増やせるし、【船内空間】を使って病害虫も除去できるので、これといった問題は特にない。

 そうやって男爵と料理長を教育した他にも、夜ごと熊野丸を空中召喚しては種芋を増やしたり、男爵とともに領内各村を回って種芋を配ったりと、真綾は忙しく日々を過ごしたが、そんななかでも隙あらばエイミーやグナーと一緒に遊び、また、エイミーの様子を観察することも忘れなかった。

 その観察の結果、新たな環境に早くもエイミーが順応し始め、男爵夫妻や使用人たちとも上手くやっていけそうだということで、ようやく安心した真綾は、ロシュトルフ男爵領から旅立つことを決めた。


      ◇      ◇      ◇


 ヴェルトフント退治から五日後――。


 この日の朝、ロシュトルフ男爵邸の正門前に、家人総出の見送りを受ける真綾の姿があった。

 馬車で送ると男爵は幾度も言ってくれたのだが、歩いて行くから大丈夫だと真綾が断ったため、ここでのお別れになったのだ。


「マーヤ嬢、本当にありがとうございました、次にお会いできる日を心待ちにしておりますね。どうか、良き旅を」

「はい、また」


 などと、真綾は男爵と固い握手を交わしたあと、次に夫人と抱擁を交わし――。


「へばな、まだこいへ」

「へば」


 ――吐く息も白く、東北弁っぽい方言で別れの挨拶を済ませると、今度はエイミーが力いっぱい抱きついてきた。


「マーヤおねーちゃん、またね」

「またね」

「約束だよ」

「うん」


 目を真っ赤にしつつも涙こらえるエイミーの健気さよ……。そんな彼女を抱き返し、これで幾度めかになる約束をすると、着膨れした小さな体からそっと離れ、真綾は栗色の巻き毛を優しく撫でた。

 さて、「またね」とは、どういう意味なのだろう?

 実を言うと、これが今生の別れになるわけではなく、植え付け時期と収穫時期に合わせて様子を見に来ると、真綾は再訪を約束していたのだ。


「それでは、また」

「マーヤ様、ありがとうございました! またのお越しをお待ちしております!」


 最後は使用人一同にも挨拶し、見送ってくれる皆の前でお辞儀したあと、真綾は鉛色した寒空の下、温かな人たちの住む男爵邸をあとにした。


      ◇      ◇      ◇


 真綾が旅立った翌日――。


 ロシュトルフ男爵領近郊の荒れ地に、わずかな護衛のみに守られた六頭立て馬車が停まっており、その外に、護衛とは違う三人の男の姿があった。

 その三人のひとり、くたびれた貴族衣装に身を包んでいる貧相な中年は、ロシュトルフ男爵だ。


「――で、これの栽培試験を卿に託し、マーヤ・ラ・ジョーモンは去ったのだな?」

「は、はい……」


 一緒にいる男から力強い声で問われると、男爵は戦々恐々といった様子で答えた。


「これが説明どおりの作物だとすれば、とんでもないことだぞ……」


 そんな男爵をよそに、ゴツい手でジャガイモを掴み、しげしげと興味深そうに眺めているこの男、年の頃なら三十代後半くらいか、背は高く、豪奢な貴族衣装の上からでもわかるほど筋骨隆々な体躯をしており、髪は赤みを帯びたブロンド、その下にある精悍な顔は覇気に満ち溢れ、どこか百獣の王を彷彿と――そう、北部低地公ハインリヒ・フォン・ノルデンシュヴァイクである。

 彼は本当にロシュトルフ男爵領まで来たのだ、ひとえに、黒き乙女の正体を暴いて宮中伯ゾフィーアに大恥かかせるべく。

 領邦君主による突然の訪問に男爵が大慌てしたことは、言うまでもなかろう。


「よし、ロシュトルフ男爵、この作物を今あるぶんすべて買い取ってやる。そうだな、重量あたりの金額はライ麦、いや、小麦の四倍でいいぞ」


 その商才と政治力によって領内の商業都市を繁栄させているだけのことはあり、ハインリヒはジャガイモに金の匂いを嗅ぎつけると、これを持ち帰って自分の直轄地で栽培せんと、いきなりロシュトルフ男爵に商談を持ち掛けた。

 要するに、男爵から金の成る木を取り上げるというわけだ。

 その後ろで控えている第三の人物、ハインリヒの従者は、主の悪い癖がまた始まったとばかりにゲンナリ顔である。


「……お、お断りいたします」

「何? この俺が頼んでもか?」

「畏れながら、マーヤ姫殿下より、くれぐれも私の手で栽培試験するよう仰せつかっておりますので、たとえ北部低地公閣下のご所望とあっても、すべてをお売りすることはできません」

「ほう……」


 思わぬことに自分の直臣にあたる男爵が断ってきたものだから、ハインリヒは男爵の顔をギロリと睨んで凄みを利かせてみたものの、相手がそれに動じるどころか理論整然と固辞したため、貧相なこの男のどこにこんな胆力があるのかと、ロシュトルフ男爵という個人に興味を持った。


「よし、それでは卿を農政官に任命する。官位に見合った俸給を払うのは無論のこと、今回の件で卿の領地がこうむった損害も補填してやるし、当然、農政に必要な経費もすべて出してやる。なあに、難しく考えることはないぞ、当面の間、卿はマーヤ・ラ・ジョーモンに言われたとおり栽培試験に励むだけでいい。ああ、ここで収穫したぶんなら高値で買い取ってやるから心配するな」


 重宝がられるラタトスクやカラドリオスの契約者ならいざ知らず、一介の男爵が領邦の官職に就けるのは幸運なことであり、しかも、ヴェルトフントの害によって困窮しているところにこの好条件だ、ロシュトルフ男爵とて喜んで飛びつくに違いない。

 案の定、男爵も己が胸に片手を当てて感謝の意を示したではないか。


「官職を賜るとは身に余る光栄でございますが、閣下、ひとつ、お伺いしてもよろしいでしょうか?」

「なんだ?」


 この男が何を聞いてくるのかと、ハインリヒは興味ありげに片眉を上げた。


「栽培に成功したのち、閣下はこの作物を、いかがなさるおつもりですか?」

「フン、何かと思えば……。無論、俺の直轄地のみで生産して独占販売するに決まっているだろう、マーヤ・ラ・ジョーモンの言いつけどおり、その名を使ってな。……そうだな、まずは宮中伯領と方伯領の主立った貴族らを招待して、この作物を使った料理の数々を振る舞い、黒き乙女より授かったものだと明かしてやれば、マーヤ・ラ・ジョーモンに心酔する連中のことだ、大喜びで広めてくれるだろうし上客にもなってくれるだろう。そうなれば、いずれ、この帝国どころか大陸中の王侯貴族どもが、こぞってこれを買い求めるようになるぞ。重量あたりの価格は小麦の十倍……いや、いっそ百倍に吹っかけてみるか、こいつはボロ儲け確定だなあ」


 わかりきったことを男爵が聞いてきたせいで肩透かしを喰らったものの、金儲けとは縁のなさそうなこの男にひとつ教授してやろうと、ハインリヒは自分の企てをドヤ顔でつらつらと披露し、最後には金貨の山を想像して相好を崩した。

 が……。


「ハア……。どうせそんなことだろうとは思っておりましたが、なんと小さい……」

「なんだと!」


 男爵が深く嘆息し、さも失望したように言ってきたため、ハインリヒは激昂した。

 無論、彼が本気で威圧すれば男爵など失神してしまうため、覇気を抑えてはいるが、それでも常人なら声も出せなくなるほどの覇気を前に、男爵は額に玉の汗を浮かばせつつも語り始めた。


「畏れながら、小さいと申しました。マーヤ姫殿下は、幼き命が飢餓や貧困の犠牲とならぬよう、この作物を授けてくださったのですよ、『この作物が広まることによって、その悲劇を少しでも減らせるならば、それに勝る報酬などございましょうか』、と……」

「ふん……」


 男爵の言葉を聞いてハインリヒが鼻を鳴らす一方、その後ろでは、真綾の慈悲深さに心打たれた従者が目頭をそっと押さえた。

 そんな彼らをよそに、男爵は毅然と続ける。


「閣下のなさりようでは、王侯貴族の間に広まりこそすれ、決して、大陸中の子供たちを救うことは叶いません。閣下の直轄地のみで供給して価格を法外に吊り上げたのでは、どうして下々の口に入りましょう? また、この作物を栽培することによって潤う農民も、ごくわずかではございませんか。……閣下の頭にあるのはご自分の儲けか、せいぜい自領の繁栄のみでございましょう、慈悲深く気高き大望をお持ちのマーヤ姫殿下とは比べようもございません、ゆえに、小さいと申しました。大空のごとき広大無辺な度量をお持ちのお方こそ真の王者、マーヤ姫殿下のように万人を慈しんでこそ万人の王たりえるのだと、私は思います」

「……」


 真綾の顔を思い浮かべて己を励まし、領邦君主相手にも胸を張って堂々と語ると、男爵は最後まで言いきった。

 最下級の貴族でしかない男爵が領邦君主にここまで言うなど、前代未聞、いや、もはや自殺行為であり、怒りのあまり主が乱行に及ばないかと、従者などは男爵の話しているさなかからハラハラし通しだ。

 しかし、意外にもハインリヒは黙って男爵の顔を真っすぐ見つめ、沈黙がしばし続いたところで――なんと、肉食獣のごとく白い歯を剥き、ニヤリと笑ったではないか。


「お前、気に入ったぞ。――よし、うちで独占するのはやめだ。ロシュトルフ卿、この作物の栽培に成功したあとは、栽培方法ごと広めるなりなんなり好きにしろ、価格を決めるのもお前に任せる。無論、この作物のことだけではないぞ、他の作物に関しても何か思いついたことがあるなら、北部低地公の農政官として思うさま腕を振るうがいい」

「……は、はいっ!」


 なぜかハインリヒが上機嫌なのは、荒野に埋もれていた人材を見い出せたからか……ともかく、この日、北部低地公の下に、ひとりの有能な農政官が誕生したのである。


「で、ロシュトルフ卿、この作物の名は?」

「それが、伺っておりません」

「そうか。しかし、さすがに名は必要だろう……ふむ、なんとなくトリュッフェルの親戚っぽいから、カルトッフェルというのはどうだ? うん、それがいい! 『慈悲深き女神より賜りし奇跡の作物、黒き乙女の恵みカルトッフェル』、これを謳い文句にしてこの大陸中に広めるぞ! 心して励めよ、ロシュトルフ卿!」

「はっ!」


 こうした問答の末、ハインリヒによって異世界での名がジャガイモに与えられた。

 グリューシュヴァンツ帝国北部でジャガイモがカルトッフェルと呼ばれるようになったのは、これが始まりである。


「よし、ロシュトルフ卿を館まで送ったらそのまま帰るぞ!」

「閣下、マーヤ・ラ・ジョーモン様にお会いせずともよろしいのですか? つい昨日、男爵邸から徒歩にて出立されたそうですので、まだ追いつけるかと存じますが」

「追わん」


 用は済んだとばかりに、上機嫌なままハインリヒが帰ると言い出したため、従者は意外そうな顔をして主に問うたが、返ってきたのは簡潔なひとことであった。


「しかしながら、偶像の正体を暴いて宮中伯に大恥かかせると……」

「寝言は寝て言え。――こんな守護者と契約している化け物、こちらから下手に接触して気分を損ねでもしてみろ、身の破滅どころの騒ぎじゃないぞ。わざわざ獅子を叩き起こして領民ごと食い殺されることもあるまい」


 ここへ来た本来の目的を従者が口にするも、当のハインリヒは、ここへ来るまでの意気込みなどどこへやら、「こんな守護者」のところで地面を指差しつつ、たいそう弱気なことを言って否定した。

 無論、彼の指差した場所に守護者などいるはずはなく、守護者がいた痕跡と言うべきだろう、それも、想像を絶する重量により、長さ二四〇メートルにもわたってクッキリとつけられた、荒れ地上の痕跡だ。

 ……そう、ハインリヒはロシュトルフ男爵から真綾について聞き出すや、彼女の守護者たる熊野丸の出現地点へと案内させ、自分の目で確かめていたのである。


「ご英断でございます。……ハインリヒ坊ちゃん、大人になられましたなあ」


 これが本当に守護者の残したものだとすれば、最上位のドラゴンやクラーケンどころの話ではなく、前代未聞の守護者がここにいたことになるし、それほどの守護者を有する者なら本当に神殺しさえ可能であろう。

 そんな絶対者に喧嘩を売ることを主が断念してくれたおかげで、北部低地公領は救われたのだと、ハインリヒの幼少のころより仕える従者は、ホッとすると同時に主の成長を喜んだ。

 思えば昔は、この悪童にさんざん手を焼かされたものだ……。


「何が大人になられましただ、もう四十手前だぞ……。まあいいさ、今日は得がたい人材を得られたことだし、それにな、当初の目的も果たしたようなもんだ。何しろゾフィーアからすれば、自分の信奉している黒き乙女が、夢のごとき作物とその料理法を宮中伯領ではなく、よりにもよって俺の領邦に授けたんだぞ? フハハハハ! これは愉快痛快! あの女の悔しがる顔が目に浮かぶ……うっ!」

「……」


 さも嬉しげに高笑いしたものの、よせばいいのにゾフィーアの顔を思い出し、トラウマまで呼び起こして顔面蒼白になるハインリヒ……。

 そんな主を冷めた目で見て従者は思った、前言撤回だと。


 かくして、北部低地公の農政官となったロシュトルフ男爵は、こののち栽培試験に見事成功して、北部低地公を後ろ盾にジャガイモを世に広め、それ以外にも数々の功績を挙げたことで、農業の父として歴史に名を残すことになる。

 ちなみに、ヨーロッパでは偏見などのため、ジャガイモが食用として普及するまでに長い年月を要したが、こちらの世界では黒き乙女より賜った作物ということで、まず、これを使った料理に宮中伯領や方伯領の貴族たちが飛びつき、間を置かず自領で栽培することも始め、さらにはせっせと宣伝までしてくれたおかげで、驚くほど短時間で大陸中に普及し、結果、多くの幼き命を救うことになる。

 また、ヨーロッパでは、アイルランドのようにジャガイモのみに頼ったせいで悲劇を引き起こすこともあったが、ここでは連作障害その他の注意事項が正しく伝わったうえ、女神にも等しい黒き乙女よりの恵みということで――。


「黒き乙女様のお言いつけを守らないと神罰が下る」


 ――などと、誰もが注意事項を厳守したおかげで、悲劇が起こることもなかった。

 すべては熊野の思惑どおり。

 そして、今語ったことは未来の話。



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