第二二五話 荒れ地の魔女 二〇 新たな作物
ヴェルトフントを退治したその夜、真綾はロシュトルフ男爵邸で泊めてもらうことになった。
いかに男爵邸がボ、……慎ましくとも、貧農の子から見れば立派なお屋敷であるため、当然ながらエイミーも最初は緊張していたが、真綾とコルンカッツェのグナーがいることもあり、男爵夫妻の優しい人柄に触れているうちに安心したのだろう、夫妻や真綾とともに夕食を囲んだ際は、見たこともないごちそうに目を輝かせて喜び、それが終わって居間へ移り、しばらくおしゃべりすると、グナーを抱いたまま舟を漕ぎ始めたので、夫人に手を引かれ寝室へと下がっていった。
「寝物語りを聞かせてあげるのだと妻は張りきっておりましたが、あの様子だと、物語りの始まる前にエイミーは夢の国でしょうね。……その寝顔を見ながら妻が何を思うのか、私には手に取るようにわかります、彼女は子供を欲しがっておりましたので」
妻と子の背中を優しい目で見送ったあと、男爵は心から幸福そうに言い、その視線を真綾へと移した。
「マーヤ姫、いえ、今はマーヤ嬢でよろしいのでしたね。――マーヤ嬢、我が領地を救っていただいたことは無論のこと、私たち夫婦にエイミーを託してくださったことも、心から感謝します。お約束したとおり、この先どのようなことが起ころうとも、私たちの手で必ずエイミーを守り、大切に育てていきます」
「お願いします」
彼が真摯な眼差しで感謝と決意を述べると、真綾はポテチ袋片手に頭を下げた。
ちなみに、男爵が真綾のことをあえて姫殿下と呼ばないのは、この屋敷の居心地が悪くなることを嫌った真綾の意向によるものだ。
さて、この時、真綾は思った、ホレばあさんがエイミーとの暮らしを犠牲にしたというのに、自分は感謝に見合うだけのことをしたのだろうか? もうちょっと男爵領に力添えするべきではあるまいか? 悠長にポテチなど食べている場合ではなかろう、と……。
思い悩んだ末――。
「どうぞ」
ドササササ。
「へ……」
――なんの脈絡もなく、いきなり、真綾がサイドテーブルの上に金貨と魔石の山を出したものだから、男爵は理解が追いつかず目を点にした。
「あのう、それは……」
「どうぞ、受け取ってください」
「……」
真綾からの答えを聞くや無言でお宝の山を見つめる男爵。
ヴェルトフントが駆除され、土地に掛けられた呪いもほぼ解かれたものの、秋播きライ麦が全滅したうえ、春に播けるはずだった燕麦までも諦めざるをえないのだから、領内の損害が計り知れないことに変わりないが、この金貨や魔石のうち、ほんの一部だけでもあれば、その損害を各村のぶんまでことごとく補填してもなお、余ることだろう。
しかし――。
「さらなるお気遣い、本当にありがとうございます。……ですが、それを受け取ることはできません」
一度大きく息を吸って吐き、真綾に感謝したかと思えば、意外にも援助を断って男爵は続ける。
「金貨二十四枚などではとても足りぬほどのことを、マーヤ嬢、あなたはすでにしてくださったんですよ。本当なら館を売ってでも対価を追い足さなければならないのに、このうえ返しきれないほどの資金援助まで、それも、他国のご令嬢にさせたとあっては、当家の名折れであることはもちろん、私の主君である北部低地公の名に傷をつけることにもなります。……ですから、お気持ちだけ頂戴しますね」
「ごめんなさい」
大人には大人なりの立場や体面といったものもあるのだろう、子供の自分が軽々しく踏み入っていいものではないのだと察し、また、金で事を済ませようとしたことも恥じ、真綾は素直に謝った。
「そんな、あなたが謝ることではありません。ご心配なく、私は北部低地公の直臣ですからね、今回の件を報告してお願いすれば、援助を断られることもないでしょう」
男爵は笑顔を作って安心させようとしてくれるものの、そんなことをされると、なおさら真綾のほうも放ってはおけず、どうしたものかと考え始め――。
『真綾様、熊野に策がございます。こちらの世界に少なからず影響を与えることになりますので、花様にはお叱りを受けるかもしれませんが、このような場合、あの花様なら同じようにされるかもしれません。その策でございますが、ゴニョゴニョ――』
(採用)
――真綾の心中を察した熊野によって策が出され、ここに承認された。
「『男爵様、ひとつ、お願いを聞いていただいてもよろしいでしょうか?』」
「え? ええ、もちろん、マーヤ嬢の頼みとあらば喜んで。……とは言え、この私にできることなど知れておりますが……」
大恩人からのお願いとやらに男爵は喜んで応じるつもりだが、財力も武力も権力も無い我が身を考えれば、自嘲気味にトーンダウンするしかない。
お願いとは、いったい、いかなるものか。
「『これはロシュトルフ男爵様にだからこそ、お願いできることなのですが、とある農作物の栽培試験を行っていただきたいのです』」
「とある農作物?」
「『はい、こちらになります』」
首をかしげる男爵の眼前で、熊野の言葉を伝えつつ真綾がひとつ取り出したのは、ヨーロッパにおいて多くの者を飢餓から救い、この大陸の住人にとっては未知の作物。……そう、ジャガイモであった。
「これは……どことなく、トリュッフェルにも似ているようですが、この辺りでは見たことがありませんね。キノコの一種でしょうか?」
「『いいえ、キノコではございません、植物の地下茎の一部が肥大化したものです』」
「ほう、地下茎ですか」
「『はい。この部分が食用になるのですが、地下で育ちますので、鳥害や風害を心配せずに済むことはもちろん、魔物や野盗に少々踏み荒らされても問題ございません』」
「おお、なるほど!」
熊野による説明を聞いているうちに、農学バカの血が騒いできたらしく、目を輝かせて前のめりになる男爵。
こうなっては、がぜん熊野もやる気にならざるをえまい。
「『利点はまだまだございますよ~。栽培にあまり手間がかかりませんし、デンプンを多く含んで腹持ちが良く、その他の栄養価も高いうえ、他の野菜と比べると保存性にも優れておりますので、これを主食代わりにすることも可能です。また、飼料として使えば、現在より多くの家畜を越冬させることも可能になります。しかも、驚くべきことに、作付面積あたりの収穫量は――なんと、麦の倍以上にもなるのです!』」
「おお!」
「『さらに、どのような調理方法とも相性がよろしいので、まさに千変万化、食材としての可能性は計り知れません! 実を申しますと――このお菓子も、これを薄切りにして揚げたものですし、実は、年末に奥様よりご好評いただいたコロッケの中身にも、この作物が主に使われていたのですよ』」
今や熊野と真綾はツーカーの仲であり、『このお菓子も』のところで真綾はポテチを一枚サッと取り出して男爵に見せた。
「なんと! 妻が二度もおかわりをお願いした、あのコロッケにも!? それらの料理が世に出れば、間違いなく、大陸中の王侯貴族たちの間で一気に広まります。それほどの利点があるうえに味も良いとは、夢のような作物じゃないですか! ……あ、いや、しかし、やはりこの土地では育たないでしょうね……」
このように、テレビショッピング顔負けで熊野が売り込むと、おもしろいように反応を示す男爵だったが、自分の土地が耕作に不向きだという現実を思い出すや、彼は枯死したライ麦のごとくしおれていった。
「『そうですねぇ、おっしゃるとおり、この地方の気候風土はあまり耕作に向いておりませんものねぇ……。で、す、が、ご心配には及びませんよ、男爵様。実はこの作物……なな、なんと! 寒冷で乾いた痩せ地でもスクスク育つのですっ!』」
「おおっ!」
ジャガイモ最大の長所とも呼べる特性を熊野が意気込んで発表し、それに合わせて真綾もジャガイモを高々と掲げると、男爵は腰も抜かさんばかりに驚いた。
何を隠そう、この長所によって、ドイツ北部や北欧のような気候風土でもジャガイモは生産されており、その事実を知っているからこそ、熊野もこのような策を思いついたのである。
「『……しかしながら、こちらの土地でも育つかどうか確約はできかねますし、この土地に適した栽培方法や保存方法などについては、実践しているうちに手探りで見つけ出す部分もあるでしょう、ならばこそ、農学に明るいロシュトルフ男爵様のお手で、栽培試験を行っていただきたいのです。もちろん、栽培保存の方法などについては知る限りお教えしますし、これを使った料理のレシピも提供いたします。――いかがでしょう、いくつかの注意事項さえ厳守すれば極めて有用な作物ですので、どうか男爵様のお力で、この地に根付かせてやってはいただけませんか?』」
「……なるほど、そういうことでしたか。栽培に成功したのちは、これを使った料理の一部とそのレシピを広めることで需要を喚起し、一方、栽培方法は秘匿してマーヤ嬢の傘下にある農場のみで栽培させ、それを独占販売なさるわけですね?」
話を聞いているうちに真綾の目的を察し、男爵は尋ねるも――。
「『いいえ、商売する気など露ほどもございません。男爵様には、晴れて栽培に成功なさったのち、栽培保存の方法や料理のレシピ、それから諸注意事項とともに、この作物をお広めになっていただきたいのです』」
「え? なぜ……」
――と、返ってきた答えを聞いて彼は自分の耳を疑った。
これほどの作物を独占販売できれば、莫大な収益を上げられることは間違いないというのに、それを捨てて彼女にどんな得があろう、貴族というものは古今を問わず、通常、王侯でさえ損得勘定で動くはずではなかったか。
しかし、この直後、彼は信じられない言葉を聞くことになる。
「『なぜ? ……悲しいことに、古来より、真っ先に飢餓や貧困の犠牲となるのは、決まって幼い命でございますが、この作物が広まることによって、その悲劇を少しでも減らせるならば、それに勝る報酬などございましょうか』」
「……ああ、なんと慈悲深い……。わかりました、喜んでお受けいたします。そのような大業の一助となるにはあまりに非才なこの身でございますが、マーヤ姫殿下、女神のごときあなた様のお慈悲、決して無駄にはいたしません! 私の全身全霊をもって必ずや栽培試験を成功させ、貧困と飢餓から幼き命を守るべく、この作物が北部低地のみならず大陸中のどこまでも広まるよう、尽力いたします!」
滂沱の落涙。
真綾の真意を知ったとたん、男爵は忠臣のごとく彼女の前で片膝をつき、溢れ出る涙を拭うことも忘れて誓いを立てた。
四十過ぎのオッサンの顔が涙と鼻水でグチャグチャになっていたとて、どうか笑ってやるなかれ、彼は真なる王者の姿を、ここに始めて見たような気がしたのだ。
「『ありがとうございます。さ、どうか椅子にお戻りください。――それでは、当方の所有する品種のうち、比較的収量が多く長期保存も可能なものをお渡しいたしますので、天候や気温などを観察しながら四月ごろ植え付けてください、おそらく、九月ごろには収穫できるはずですので』」
「四月ごろ? ……いや、しかし、土地に掛けられた呪いが完全に消えるのは、半年後のはずですが……」
片膝ついたままの男爵を椅子に座らせたあと、熊野はドイツやオランダなどでの栽培状況を基に、植え付けと収穫の時期を提示したが、四月ではヴェルトフントの呪いがまだ残っているため、それを懸念した男爵が言いにくそうに指摘してきた。
「『ご心配なく、今回お渡しする第一世代に限っては、呪いに関係なく栽培できるはずですので』」
「本当ですか!? それは助かります!」
ヴェルトフントの呪いを掛けられた土地に作物を植えると、その作物は呪いによって枯死してしまうが、植える作物が魔素を含まないジャガイモならば呪いも効かない。
その原理など知らぬまでも、熊野の説明を聞いて男爵は喜んだ。
そんな彼に、熊野は――。
「『そうそう、栽培試験ですが、この春に燕麦を播くはずだった畑をすべて使い、大々的に行っていただきたいので、ぜひ、今回の被害に遭われた各村の皆様にもご協力をお願いしてください、今年の栽培試験を手伝ってくださった皆様には、一世帯あたり金貨五十枚ずつお支払いいたします。まとめて男爵様にお預けしておきますので、そこからお支払いくださいね。もちろん、栽培試験にかかると思われます諸費用のほうも、あらかじめ男爵様にお渡ししておきますし、収穫物は皆様の好きになさってください』」
――と、真綾の口を借りてサラリと言い足した。
ヴェルトフントによってもたらされた損害はあまりに大きい。
今年の秋にライ麦の種子を播いたとしても、それを収穫できるまで今から約一年半もあるのだ、それまで村人たちはどうやって生きればいいのか。……いや、それどころか、そもそも秋播きライ麦の種子すら無いではないか。
真綾の手前、ああ言ってみたものの、金にうるさいことで有名な北部低地公が、取るに足らぬ貧乏男爵ごときを援助してくれるのか、本当のところは疑わしい。
そんな懸念を抱えたままの男爵にとって、上手くいけば今年の九月にでも収穫できるかもしれぬ作物の栽培試験と、さらには、彼女の提示してくれた破格の好条件が、どれほどありがたいことか……。
「……そういうこと、でしたか……。マーヤ姫殿下、感謝の言葉もございませんっ!」
せっかく椅子に戻ったというのに、真綾の真意が村民たちや自分への経済援助でもあったのだと気づいたとたん、またしても片膝ついて滂沱の涙を流す男爵であった。
ともかく、こうして、この恵まれぬ土地に救世主とも呼べる農作物がもたらされたのである。




