第七話 騎士団長と、歓迎されない歓迎
翌朝。
シンが目を覚ますと、天蓋付きの寝台の上にいた。
一瞬、ここがどこかわからなかった。天井が高い。カーテンが厚い。枕がやたらと柔らかい。三秒ほどぼんやりしてから、ああ王宮だ、と思い出した。
「……本当に来てしまった」
呟きながら起き上がる。昨夜は疲れていたのか、案内されてすぐ眠っていた。窓から差し込む朝の光が、部屋の中を柔らかく照らしている。
シンは寝台から降りようとして、シーツに足を取られた。
「っ、わ」
ずるっと滑って、寝台から半分落ちた。辛うじて端を掴んで持ちこたえたが、体勢がひどい。床に膝をついて、寝台の端にしがみついたまま、しばらく動けなかった。
「……朝から」
ため息。
気を取り直して立ち上がり、持ってきた着替えに袖を通した。王宮に来るにしてはあまりにも質素な服だが、他に持ってきていないので仕方ない。
扉をノックする音がした。
「シン様、おはようございます。ベルトでございます」
「はい、どうぞ」
扉が開いて、ベルトが盆を持って入ってきた。朝食らしかった。昨日と打って変わって、今日のベルトは少し穏やかな顔をしていた。少し、だが。
「よく眠れましたか」
「あ、はい。……すみません、昨日はいろいろご迷惑を」
「いいえ」
「顔が『いいえじゃない』って言ってます」
「……これが私の平常運転でございます」
「昨日もそう言ってましたよね」
「事実でございますので」
ベルトはテーブルに朝食を並べながら、今日の予定を説明した。午前中はガルに呼ばれて話がある、その後は王宮内を案内する、夕方には騎士団長が挨拶に来る——という流れらしい。
「騎士団長?」
「ズィーク・ドラウスと申します。陛下の幼馴染で、狼族騎士団の長を務めております。シン様のことを聞いて、ご挨拶に来たいと」
「……なんか、怖い人ですか」
ベルトは一瞬、答えを選ぶような間を置いた。
「……怖くは、ございません」
「その間は何ですか」
「気のせいでございます」
シンは不安になりながら、朝食に手をつけた。パンをちぎろうとしたら皿ごとずれて、スープが少しこぼれた。ベルトが素早く布巾で拭いた。動きが洗練されていて、すでに慣れ始めていた。
「ベルトさん、昨日より対応が速くなってますよね」
「……学習しました」
「一日で」
「必要に迫られれば人は成長するものでございます」
シンは申し訳ない気持ちと、なんだかおかしい気持ちが半々になって、小さく笑った。
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午後になって、約束通りズィーク・ドラウスがやってきた。
シンが中庭に面した廊下を歩いていた時だった。曲がり角の向こうから大股で歩いてきた人物と、正面からぶつかりそうになった。
「っと」
「——あ」
慌てて一歩引いたシンの目の前に、背の高い狼族の男が立っていた。ガルより少し細身だが、肩幅は広い。短く刈り込んだ焦げ茶色の髪と同じ色の耳。鋭い目つきで、騎士服に身を包んでいる。
年はガルと同じくらい、二十代後半といったところだろうか。
男はシンを上から下まで、ひと通り見回した。視線が、冷たかった。
「……あんたが、シン・フェルノワール?」
「あ、はい。そうです」
「ズィーク・ドラウスだ。騎士団長をやっている」
「あ、ベルトさんからお聞きしてました。よろしくお願いします」
シンが頭を下げると、ズィークは鼻から短く息を吐いた。
「よろしくするかどうかは、まだわからない」
「……え」
「ガルのそばに置くって聞いた。黒猫族を」
「……はい」
「俺はあんたのことを信用していない」
率直だった。あまりにも率直だったので、シンは少し呆気にとられた。
「それは……まあ、仕方ないと思いますけど」
「ガルに近づくなとは言わない。言える立場でもない。ただ」
ズィークはシンをまっすぐ見た。
「あいつに何かあったら、俺はあんたを許さない」
「……はい」
「わかった?」
「わかりました」
シンが素直に頷くと、ズィークは少し拍子抜けしたような顔をした。もっと言い返してくるか、怯えるかすると思っていたのかもしれない。
「……なんで怒らないんだ」
「怒る理由がないので」
「俺はあんたを警戒していると言った」
「それは正しいと思います」
「……正しい?」
「ガルさんのことを大切に思っているから警戒するんでしょう。それは間違っていないです。僕だって、信用できない人間が大切な人のそばにいたら嫌だと思う」
ズィークが、微かに目を細めた。
「……変なやつだな」
「よく言われます。大体は不吉なやつって言葉とセットで」
「俺は不吉だとは思っていない」
「あ、そうなんですか」
「迷信に興味ない」
「ガルさんも同じこと言ってました」
「……あいつと俺は幼馴染だからな。同じ教育を受けている」
ズィークは腕を組んで、もう一度シンを見た。今度は最初より、少しだけ温度が上がった目だった。
「ひとつ聞いていいか」
「はい」
「あんたは、自分から王宮に来たかったのか」
「……うーん」
シンは少し考えてから、正直に答えた。
「来たくなかったわけじゃないです。でも、来たかったかと言われると、よくわからなくて」
「よくわからない?」
「帰る場所に、帰りたくなかったんだと思います。だからここに来た。積極的な理由じゃなくて、消去法みたいな感じで」
ズィークはその言葉を、少しの間噛み締めるように黙っていた。
「……正直なやつだな」
「嘘が下手なので」
「それは長所だ」
そう言って、ズィークはくるりと踵を返した。
「俺はまだ信用していない」
「わかっています」
「でも——嫌いではない。今のところ」
歩き去りながら、ぶっきらぼうに言い捨てた。
シンはその背中を見送って、小さく息をついた。
怖い人かと思っていたが、怖いというよりは——真っ直ぐな人だった。嘘がない分、かえってわかりやすい。
「……変わっている人が多いな、この王宮」
呟いてから、自分のことは棚に上げすぎかと思って、少し苦く笑った。




