第四話 迎えは来た、問答無用で
翌朝、シンが目を覚ますと、窓の外に馬車が止まっていた。
普通の馬車ではなかった。艶のある黒塗りの車体に、銀の細工が施された、どう見ても「格」の違う乗り物だ。御者台に座っているのは灰色の耳を持つ狼族の若い男で、シンの家の前でまっすぐ正面を向いて微動だにしない。
シンは窓から顔を出して、目をこすった。
「……本当に来た」
昨夜のことを夢だと思っていた。いや、半分本気でそう思おうとしていた。深夜の橋で泣いていたら狼族の王が現れて涙を受け止めて王宮に来いと言った——どう考えても、現実の出来事として受け取るには無理がある話だ。
しかし馬車は確かにそこにあって、御者はびくともしない。
「……どうしよう」
シンが窓枠に顎を乗せてぼんやりしていると、階下が急に騒がしくなった。
「ちょ、ちょっとシン! 一体何をしたの!?」
母の声だった。シンが慌てて階段を下りると、玄関口でエリーゼが顔を紅潮させて立っていた。手に一枚の封筒を握っている。
「これ、王宮からの書状よ! 狼族の王宮から! シン・フェルノワールを本日付けで王宮へ招く、だって!」
「……あー」
「あーじゃないでしょう! 何があったの! あなたまさか何かやらかしたんじゃないでしょうね!」
「やらかしてはない……と思う」
「思う、じゃなくて!」
アルも降りてきて、書状を覗き込んで目を丸くした。
「これ、本物だよ。王家の封蝋だ。シン、昨夜どこ行ってたの」
「……橋」
「橋? あの王都外れの?」
「うん」
「そこで何があったの」
「……王様に会った」
沈黙。
エリーゼとアルが、同時にシンを見た。
「……王様に?」
「狼族の、ガルディアス王に。涙を受け止められて、王宮に来いって言われた」
また沈黙。今度はさっきより長かった。
「シン」とアルがゆっくり口を開いた。「……それ本当に?」
「本当だよ」
「……お前、どんな不運の引き寄せ方してるんだよ」
「不運かどうかもまだわからないんだけど」
エリーゼが書状をじっと見ながら呟いた。
「……王宮からのお召しを断るわけにもいかないわね」
「断らないの?」
「断れるわけないでしょう!」
結局、シンに選択肢はなかった。
荷物をまとめる時間もろくに与えられず、替えの服を数枚と洗面道具をかき集めて袋に押し込み、シンは家の前に止まっていた馬車に乗り込んだ。
御者の狼族の男は、シンが乗り込んでもひとことも言わなかった。ただ「ご乗車をお待ちしておりました」とだけ低く言って、馬車を静かに走らせた。
窓から家を振り返ると、エリーゼが玄関先で書状を胸に押し当てて何か呟いていた。アルはシンに向かって小さく手を振った。
——見送られているのか、厄介払いされているのか、よくわからなかった。
馬車は王都の大通りを滑らかに走り、やがて丘の上にそびえる王宮の門をくぐった。
シンは窓の外を流れていく石造りの回廊を眺めながら、昨夜ガルが言った言葉を思い返していた。
今夜のような顔を、またひとりでさせたくない。
「……何を考えているんだろう、あの人」
呟いた声は、馬車の中に吸い込まれて消えた。




