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第二話 フェルノワール家の次男

家に帰ると、長兄のアルがちょうど外出の支度をしていた。

アル・フェルノワール、二十四歳。シンより五つ年上で、顔立ちもよく、魔法の扱いも上手く、誰からも好かれる長男だ。家族の中で唯一シンに優しくしてくれると思っていた時期もあった。今は——そうだとは言い切れなかった。優しいことは確かだが、それはどこか「腫れ物に触るような」優しさで、シンは随分前からそれに気づいていた。

「あれ、シン。どこ行ってたの、こんな雨の中」

「……ちょっと用事があって」

「また何かやらかした? 今朝の花瓶、お母さんすごく怒ってたよ。亡くなったお祖母ちゃんの形見だったって」

「……知らなかった」

「まあ、仕方ないけど」

アルはくすりと笑ったが、その目は笑っていなかった。「またか」という疲れた色が、さりげなく滲んでいた。

居間に入ると、母のエリーゼが刺繍の手を止めて振り返った。細い目がシンを捉えた瞬間、ぴくりと眉が上がった。

「あら、帰ってきたの。ルカくんのところ、何の用事だったの」

「……婚約、解消になった」

沈黙。

エリーゼはしばらく何も言わなかった。それからため息をひとつついて、刺繍に目を戻した。

「そう。……まあ、仕方ないわね」

「え?」

「だって、シン。あなたのことだもの。シルバーミストさんも、ずっと困ってたって奥様から聞いてたわ。ルカくんも、よく今まで我慢してくれたと思う」

「……お母さん」

「あなたが悪いとは言わないけれど——ねえ、アル」

振られたアルは、困ったように視線をさまよわせた。

「まあ……その、うん。シンも気にしすぎることはないと思うけど」

誰も、シンの側に立たなかった。

責める気にはなれなかった。みんなが正しいと思っていた。ただ——胸の奥がじわりと滲んで、何か暖かいものが音もなく漏れていく気がした。

「……部屋にいる」

「夕食までには降りてきなさいよ。どうせまたこぼすんだから」

返事をせず、シンは階段を上った。

自室のドアを閉めた瞬間、ようやく足から力が抜けた。寝台に倒れ込んで、天井を見上げる。古いシミの形が、ぼんやりと目に入ってくる。

——わかってた。

ルカのことも。家族のことも。自分がどう思われているかも。ずっと、全部わかってた。

それでも、どうしてこんなに胸が痛いのだろう。

シンは目を閉じた。瞼の裏がじんわりと熱くなる。

泣くのは嫌いだった。泣いても何も変わらないとわかっていたから。それに、黒猫が泣くのはさらなる不運を招くと言われている。だからずっと、泣かないようにしてきた。

「……っ」

それでも、目尻から一筋だけ、こぼれてしまった。

素早く手で拭って、目を開けた。

——夜になったら、外に出よう。

誰もいない場所で、少しだけ泣こう。

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