第二十六話 フェルノワール家への手紙
番になってから一週間が経ったある朝、シンは書庫の隅で便箋と向き合っていた。
何度か書いては止め、止めては書き直して、気づけば丸めた紙がいくつも足元に転がっていた。
「シン様、こちらにいらっしゃいましたか」
ベルトが書庫の扉から顔を出した。シンの周りの惨状を見て、静かに目を細めた。
「何をなさっているのですか」
「手紙を書こうとしています。家族に」
「家族に」
「番になったことを、一応伝えておこうと思って。でも、何を書けばいいのかわからなくて」
ベルトは足元の丸めた紙を一枚拾い上げて、広げた。
そこには『お母さんへ。お元気ですか。僕は元気で——』とだけ書いてあった。
「……続きが書けなかったのですか」
「その後が、なんか、難しくて」
「何が難しいのですか」
「怒られるのかとか、呆れられるのかとか、また厄介なことになったって思われるのかとか」
ベルトは拾った紙を丁寧に畳んで、テーブルの端に置いた。それからシンの向かいに椅子を引いて、腰を下ろした。
シンは少し驚いた。ベルトがこうして向かいに座るのは珍しかった。
「シン様」
「はい」
「失礼を承知で、聞いてもよろしいですか」
「どうぞ」
「ご家族に認めてもらいたいと思っていらっしゃいますか」
シンは少し考えた。
「……どうだろう。認めてもらえたら嬉しいですけど、認めてもらえなくても——僕の気持ちは変わらないので」
「そうですか」
「ただ、伝えておきたいとは思って。知らないままにしておくのも、なんか、違う気がして」
ベルトは静かに頷いた。
「それならば」とベルトは言った。「難しく考えなくてよいのではないでしょうか」
「難しく考えなくていい?」
「認めてもらうための手紙ではなく、ご自身の近況を伝えるための手紙でいいのかと。シン様がどこにいて、何をしていて、どういう気持ちでいるか。それだけを書けば十分ではないでしょうか」
シンは、ベルトの言葉をしばらく噛み締めた。
「……そうですね」
「はい」
「報告でも、謝罪でもなくていい、か」
「ええ」
「ただ、元気でいると」
「それで十分かと存じます」
シンは新しい便箋を手に取った。
今度は、すらすらと書けた。
家を出てから、王宮に来たこと。不幸体質は変わらないが、王宮の人たちが受け入れてくれていること。ガルディアス王の番になること。自分は今、幸せだということ。
それだけを、飾らずに書いた。
「……書けました」
「よかったですね」
「ベルトさんのおかげです」
「いいえ、シン様が書かれたものです」
シンは封をして、宛名を書いた。
フェルノワール家、エリーゼ・フェルノワール様。
それから、もう一枚書いた。
アル兄さんへ。
それぞれの内容は少し違ったが、どちらも短くて、素直な手紙だった。
「出してきます」
「使用人に頼まれた方が早いかと」
「いや、自分で出したいので」
「……転ばないようにお気をつけを」
「気をつけます」
シンは立ち上がった。
書庫を出る前に、ベルトを振り返った。
「ベルトさん」
「はい」
「昼食、飛ばさないでくださいね」
ベルトが、ぴくりと動いた。
「……シン様」
「ガルさんから聞きました。僕が来てから、昼食を守ってくれていたって」
「……それは、大げさな話でして」
「大げさじゃないです。ありがとうございます」
ベルトは少しの間、黙っていた。
それから、いつものように深々と一礼した。
しかしその顔が——ほんの少し、照れていた。
「……お気遣いなく」
「気遣います」
「……はい」
シンは笑って、書庫を出た。
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手紙を出してから五日後、返事が来た。
差出人は、アルだった。
『シンへ。元気でいるなら良かった。王宮でもやらかしているんだろうな、と思って少し笑った。ガルディアス王の番になるとのこと、驚いたが——お前が幸せそうなのが文章から伝わってきて、それだけで十分だ。俺はずっと、お前のことが心配だった。不幸体質のことじゃなくて、お前がひとりで全部抱えているのが。笑って流すお前の顔が、たまに苦しかった。だから、王宮で笑って暮らしているなら、それでいい。たまに会いに行ってもいいか。兄より』
シンはその手紙を、三回読んだ。
目がじんとした。
アルが心配していたことを、知らなかった。笑って流すシンの顔が苦しかったなんて、思っていなかった。
母からの返事はなかった。
でも——それでもよかった、とシンは思った。
怒っていなかったのかもしれないし、何を言えばいいかわからなかったのかもしれない。それでも、アルからの返事があった。
それで、十分だった。
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手紙をガルに見せると、ガルは静かに読んだ。
「良かったな」
「はい。アル兄さんが、会いに来ていいかって」
「来ればいい」
「王宮に来ていいんですか」
「お前の兄だろう。歓迎する」
「……ガルさん」
「なんだ」
「やっぱりガルさん、好きです」
ガルが、少し目を細めた。
「急に言うな」
「思ったので」
「心臓に悪い」
「ガルさんも好きって言ってくれますか」
「言わなくてもわかるだろう」
「言葉にしてほしいです」
「……わかった」
「わかったって、言ってくれますか」
「……好きだ」
「もう一回」
「やかましい」
「もう一回だけ」
「……好きだ。それで終わりにしろ」
シンは笑った。
ガルも、口の端を上げた。




