表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

23/29

第二十二話 戦いの後と、言えない気持ち

戦闘が終わったのは、夕暮れ時だった。

ダーウィン侯爵の先遣隊は、シンの涙が起こした光の後から急速に統率を失い、ズィーク率いる騎士団がそれを一気に押し返した。完全な決着ではないが、今回の侵攻は退けた。そういう結果だった。

王宮に戻ったガルは、すぐに負傷した騎士たちの状況確認に動いた。シンはベルトに連れられて、先に自室へ戻った。

部屋に戻ると、ベルトがお湯と布を持ってきた。

「どこか痛みはありますか」

「ないです。本当に怪我はしていないので」

「転ばれましたね」

「……見ていたんですか」

「廊下のあちこちで報告が上がりました」

「そうですか」

ベルトは膝を確認して、擦り傷があるのを見つけて、無言で手当てをした。シンはされるがままにしていた。

「シン様」

「はい」

「今日のことは——無茶でございました」

「わかっています」

「わかっていてやったのですか」

「……はい」

ベルトは少し間を置いた。

「ガルディアス陛下が心配で?」

「はい」

「そうですか」

ベルトは手当てを終えて、道具をまとめた。それから、いつもより少し柔らかい声で言った。

「陛下も、無事でございました」

「はい」

「それで、よかったと思います」

「……ベルトさん」

「はい」

「ありがとうございます」

ベルトは一礼して、部屋を出ていった。

シンは寝台に腰を下ろして、膝の手当てをされた部分をそっと見た。

ガルが無事だった。

それだけで、今日は十分だと思った。

でも、同時に——胸の中がうるさかった。

ガルに抱えられていた時の感覚が、まだ残っていた。心臓の音が聞こえた時のことが、頭から離れなかった。怒っていてもありがとうと言われた時の、ガルの声の温度が。

「……どうしよう」

シンはそっと自分の胸に手を当てた。

うるさかった。心臓が、うるさかった。

これが何なのか、今日はもう、わからないふりをするのが難しかった。

好きだ、という言葉が、頭の中でゆっくりと形になっていた。

「……困った」

誰にも聞こえない声で呟いて、シンは天井を見上げた。

ガルは王だ。狼族の王で、強くて、賢くて、自分とは何もかも違う。そんな人に、自分みたいな不幸体質の黒猫が——。

「でも」

シンは目を閉じた。

ガルはいつも言っていた。お前がいいと。お前でいいと。

その言葉が、今日は特別に、胸の奥まで届いていた。

________________________________________

翌朝。

ガルに呼ばれた。

執務室に入ると、ガルは昨日の疲れなどまるでなさそうな顔で書類を見ていた。シンが入ってくると、書類を置いて向き直った。

「座れ」

「はい」

シンが向かいに座ると、ガルはしばらくシンを見ていた。

「昨日のことだが」

「……はい」

「怒っている」

「わかっています」

「前線に来てはいけなかった」

「……はい」

「危険だった」

「はい」

「お前が怪我をしたかもしれなかった」

「はい」

ガルは静かに言葉を重ねた。シンはひとつひとつ、素直に頷いた。

「……わかっているなら、なぜ来た」

「体が動いたので」

「考えてから動け」

「考えたら来られなかったと思うので」

ガルが、眉間に力を入れた。

「それは——」

「ガルさんが痛みで動きが鈍くなっているのが、伝令の話でわかって。痛みが出ているのに前線にいるなんて、そんな、無茶です。それで——怖かったです。何かあったらって思ったら、足が動いていました」

シンはそう言ってから、少し俯いた。

「怒っているのはわかっています。でも——後悔していないです」

ガルは何も言わなかった。

シンが恐る恐る顔を上げると、ガルの表情が少し、変わっていた。

眉間の力が抜けていた。

「……後悔していないのか」

「はい」

「それは困る」

「困りますよね、でも」

「お前が無茶をするたびに、俺の心臓に悪い」

シンは少し目を丸くした。

「……ガルさん、心臓に悪いって言いましたか」

「言った」

「それは、つまり」

「つまり、という話ではない。事実だ」

「でも、心臓に悪い、って」

「シン」

「はい」

「今は怒っている話をしている」

「わかっています、でも今の発言が気になって」

「後で聞け」

「後でちゃんと聞きますよ」

「……わかった」

ガルは小さくため息をついた。それからシンをまっすぐ見た。

「次からは、俺の指示を待て」

「次は……次があるといいんですが、ないに越したことはないですよね」

「そうだが、万が一の話だ」

「……わかりました。でも、ガルさんが危ない時は」

「その時は」

「行きます」

ガルは、シンを見た。

何か言おうとして、やめた。

それからため息をもう一回ついて、静かに言った。

「……お前は本当に、言い切るな」

「ガルさんの影響だと前にも言いました」

「俺のせいにするな」

「ガルさんのせいです」

ガルは口の端を、ほんのわずかに上げた。

「……怒っているのに、笑いたくなる。お前といると」

「それは褒めていますか」

「褒めている」

「ありがとうございます」

静かな時間が流れた。

「シン」

「はい」

「ひとつ、聞いていいか」

「どうぞ」

「お前は今——俺のことを、どう思っている」

シンは、固まった。

心臓が、どくんと大きく鳴った。

「……それは」

「答えたくなければ、今日でなくていい」

「いや、でも」

「無理に言わなくていい」

「……ガルさんは」

「なんだ」

「聞いてどうするんですか」

「俺が話したいことがある。その前に、お前の気持ちを聞きたかった」

シンは膝の上で手を握った。

心臓が、うるさかった。

昨日から、うるさかった。

「……好きです」

小さな声だったが、はっきり言えた。

ガルが、静かにシンを見ていた。

「好きで、怖いです。僕みたいなのが、ガルさんのことを好きでいいのかって。不幸体質で、迷惑ばかりかけて、泣き虫で。それでも——好きです。それだけは本当なので」

シンは俯いたまま言い切った。

しばらく、沈黙があった。

「顔を上げろ」

ガルの声がした。

シンがそっと顔を上げると、ガルが立ち上がって、机を回ってこちらへ来るところだった。

シンの目の前に、しゃがみ込んだ。

金色の目が、真正面からシンを見た。

「不幸体質で、迷惑をかけて、泣き虫な黒猫が好きだと、俺が何度言えばわかる」

「……何度も言ってくれていますけど」

「まだわからないか」

「少しずつ、わかってきています」

「その少しずつが、随分かかっている」

「すみません」

「謝るな」とガルは言った。「ただ——もう少しかかりそうか?」

「……どういう意味ですか」

「お前に、俺の隣にいてほしい。正式に」

シンは、息を飲んだ。

「それは」

「番として、傍にいてほしい」

心臓が、止まりそうなくらい鳴った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ