第二十話 夜の侵入者
それは、穏やかな夜が終わろうとしていた頃に起きた。
シンが部屋で眠りについてから、どれくらい経ったか。
廊下の方から、微かな物音がした。
寝ぼけた頭でそれを聞き流そうとしたが、次の瞬間、部屋の扉が内側から静かに開く気配がした。
——鍵は、かけていた。
シンは一瞬で目が覚めた。
「……っ」
声を上げようとした瞬間、暗闇の中で人影が動いた。暗くて顔は見えない。体格のいい、知らない誰かだった。
「静かにしろ」
低い声だった。
シンは寝台の上で固まった。
「お前がシン・フェルノワールだな」
「……はい」
「王宮に来てから、ガルディアスの体調が安定しているという話を聞いた。お前のせいだというなら——お前にいなくなってもらえば、あの王はまた弱体化する」
シンは声の意味を理解して、ざっと体が冷えた。
ダーウィン侯爵の手の者だ、とすぐにわかった。
「……大人しく来てもらう。騒いだら」
男が一歩近づいた。
シンは咄嗟に寝台から飛び降りた。足が絡まってバランスを崩したが、それでも部屋の隅へ転がるように逃げた。
「騒ぐな、と言った」
「——っ、誰か!」
シンは思い切り叫んだ。
男が舌打ちして距離を詰めてくる。シンは腕を掴まれそうになった瞬間、手元にあったものを——さっきまで読んでいた本を——とっさに男の方へ投げた。
当たらなかった。
ただ、男が一瞬怯んだその間に、廊下が騒がしくなった。
「シン様!」
扉が外側から蹴破られる勢いで開いた。
飛び込んできたのはズィークだった。続いて騎士が二人、三人と続いた。
男はズィークを見た瞬間、逃げようとしたが、部屋の窓は外から封鎖されていたらしく、あっという間に取り囲まれた。
「……降参しろ」
ズィークの声は短く、冷たかった。
男はしばらく抵抗しようとしたが、騎士四人に囲まれてはどうにもならず、膝をついた。
ズィークが騎士に指示を出して、男を連行させた。
それから振り返って、シンを見た。
「怪我は」
「……ないです」
「本当か」
「本当です。ズィークさんが来てくれたので」
ズィークはシンをざっと見回して、外傷がないことを確認した。それから、ふっと息を吐いた。
「よかった」
「ズィークさん、どうして気づいたんですか」
「見回りの騎士が廊下の鍵穴に細工の跡を見つけて報告してきた。急いで来たが——間に合って良かった」
「……助かりました」
シンは壁に背をついたまま、ずるずると床に座り込んだ。今更になって膝が震えていた。
「シン」
「大丈夫です、本当に」
「大丈夫じゃない顔をしている」
「……少し、怖かったです。後から」
「当然だ」
ズィークが床に片膝をついて、シンと目の高さを合わせた。
「よく叫んだ。正しい判断だ」
「ただ叫んだだけです」
「それが正しい。本を投げたのも見た」
「当たりませんでしたけど」
「当てる必要はない。怯ませれば十分だ」
シンは少し力が抜けて、小さく笑った。
「……ズィークさんに褒められるとは思いませんでした」
「褒めていない。事実を言っている」
「それが褒めているってことですよ」
ズィークはそっぽを向いた。
「うるさい」
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騒ぎを聞きつけてガルが来たのは、それからすぐのことだった。
廊下に出ると、ガルの顔が珍しく、はっきりと険しかった。
「シン」
「大丈夫です、怪我はないです」
「本当か」
「本当です。ズィークさんが来てくれて」
ガルはシンの顔を、肩を、腕を、素早く確認した。それからズィークを見た。
「犯人は」
「連行しました。尋問は明朝に」
「ダーウィン侯爵の手の者か」
「おそらく」
ガルの目が、鋭くなった。
「警備を強化しろ。今夜中に」
「すでに手配しています」
「シンの部屋は、今夜別の場所に移す」
「……え」
シンが口を挟むと、ガルがシンを見た。
「お前の部屋の場所が割れている。今夜は別の部屋に移れ」
「でも、そんな大げさに」
「大げさじゃない」
「でも」
「シン」
ガルの声が、低くなった。
「お前に何かあったら——」
そこで、ガルは少し言葉を止めた。
それから、静かに言った。
「俺が困る」
シンは、黙った。
困る、という言葉の奥に、もっと大きな何かが詰まっているのが、なんとなくわかった。
「……わかりました。移ります」
「ああ」
「ガルさん、今日は痛みはないですか」
「今は大丈夫だ」
「そうですか。——よかった」
ガルが、少し目を細めた。
「お前が心配するのは、俺の方の台詞だ」
「どっちが心配してもいいじゃないですか」
「……そうだな」
ガルはそれだけ言って、シンの頭に手を乗せた。
そのまま、ゆっくりと一度だけ撫でた。
「よく叫んだ。正しかった」
「ズィークさんにも同じこと言われました」
「ズィークは正しい」
「ガルさんも、正しいって言いますか」
「言った」
シンは、頭に乗ったままのガルの手を感じながら、少し目を閉じた。
心臓が、うるさかった。
でも——さっきの怖さとは全然違う、温かいうるささだった。




