第十八話 ルカの来訪、そして揺れない心
ミア婆が来た翌々日、今度はルカが王宮に現れた。
シンが中庭で子どもたちと遊んでいたとき、ベルトが深刻な顔でやってきた。
「シン様、少し、よろしいでしょうか」
「あ、はい。どうしたんですか、そんな顔して」
「……ルカ・シルバーミスト様がお見えになっています」
シンの手から、子どもが放り投げたボールが落ちた。
「……ルカが?」
「はい。シン様にどうしても会いたいと」
「……どうして」
「それは、直接お会いになってから伺った方がよろしいかと」
子どもたちが「シン、どうしたの?」と覗き込んできた。シンは努めて笑顔を作った。
「ちょっと用事ができちゃった。また後でね」
「えーっ」
「絶対また来るから」
子どもたちに手を振って、シンはベルトについていった。
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ルカは客間にいた。
シンが入ってきた瞬間、立ち上がって深々と頭を下げた。
「シン。来てくれてありがとう」
「……久しぶり」
「ああ」
シンはルカの顔を見た。
最後に会ったのは、婚約破棄の日だ。あの日から少し経って、ルカの顔は少し疲れて見えた。目の下に微かに隈がある。
「座りなさいよ、せっかく来たんだから」
シンが先に座ると、ルカもゆっくりと向かいに座った。
しばらく、沈黙が続いた。
「……用件を聞かせてください」
シンが先に切り出した。
ルカは少し目を伏せて、それから顔を上げた。
「謝りに来た。婚約を破棄したことを」
「……謝らなくていいです」
「シン」
「本当に。怒っていないから」
「でも——俺はひどいことをした。あんな言い方は、なかった」
「ルカの気持ちは正直だったと思う」
「正直でも、傷つけていい言葉じゃなかった」
シンは少し間を置いた。
「……そうですね」
「俺は、怖かったんだ。シンが不幸を呼ぶとか、そういうことより——シンのことがよくわからなくて」
「よくわからない?」
「シンはいつも笑って、大丈夫って言って、何も言わないから。本当は辛いのに。俺には、それが怖かった」
シンはルカの言葉を、静かに受け取った。
「……僕が本音を言わなかったのは確かです」
「俺も聞かなかった」
「お互い様だったんでしょうね」
ルカは少し表情をゆるめた。
「やり直せないか」
「……やり直す、というのは」
「婚約を」
シンは、迷わなかった。
「それは、できないです」
「シン」
「ルカを嫌いになったわけじゃないし、ルカが謝ってくれたことは嬉しいです。でも——」
シンは自分の手のひらを見た。
「僕は今、ここにいることが当たり前になっていて。ここにいたいと思っていて。ルカのところに帰るという選択が、もう自分の中にないんです」
「……ここが、シンの居場所になったってこと?」
「まだわからないですけど。でも、ここにいると——自分が不幸体質でも、迷惑をかけても、それでも居ていいって思える。そういう場所が、初めてできた気がするから」
ルカは静かに聞いていた。
「……そうか」
「ごめんなさい」
「謝らなくていい。シンが幸せならそれでいい」
「ルカ」
「本当だよ」とルカは少し苦く笑った。「俺が手放したものを、狼の王が拾ったんだな」
「拾われたというか、連れてこられた感が強くて」
「それは——まあ、ガルディアス王らしいな。聞いた話だと、強引な人だって」
「強引ですよ。でも、嫌じゃないんですよね、なぜか」
「なぜかって、わかっているだろ」
「……まだ、ちゃんとはわかっていないです」
ルカは少し間を置いて、それから笑った。今度は苦い笑いじゃなくて、少し温かい笑いだった。
「そっか。まあ、いつかわかるよ」
「……ルカは大丈夫ですか」
「俺は大丈夫。ちゃんとやっている」
「それならよかった」
「シンも元気でな」
「うん」
ルカが立ち上がると、シンも立ち上がった。
玄関先まで見送って、ルカが馬車に乗り込む前に振り返った。
「シン。お前、顔が変わったな」
「変わりましたか」
「うん。なんか——前より、ちゃんと前を向いている顔をしている」
シンは少し考えて、頷いた。
「……そうかもしれないです」
「それでいい」
ルカは短くそれだけ言って、馬車に乗った。
馬車が遠ざかっていくのを見送りながら、シンは静かに息をついた。
胸の中が、思っていたより穏やかだった。
怒りも、悲しみも、未練も——なかった。ただ、これでいいという、静かな確かさだけがあった。
「終わった?」
声がして振り返ると、廊下の曲がり角にガルが立っていた。
「……聞いていたんですか」
「聞いていない。ただ、近くにいた」
「それ、同じことでは」
「聞いていない」
「……はあ」
シンは少し呆れながら、ガルの方へ歩いた。
「大丈夫か」とガルが聞いた。
「大丈夫です」
「本当か」
「本当です。むしろ、すっきりしました」
「そうか」
「ガルさん、もしかして心配していましたか」
「していない」
「顔に出ています」
「……少し、気になっていた」
「素直に言えましたね」
「やかましい」
シンはくすりと笑った。
ガルが、また口の端を上げた。
「夕食、一緒に食べるか」
「はい。——あ、でも、今日は子どもたちと約束があって」
「全員呼べばいい」
「王様が子どもたちとご飯を食べるんですか」
「悪いか」
「……想像が、なかなか」
「慣れろ」
「慣れろって言われても」
「慣れろ」
シンは笑いながら、廊下を歩き出した。
ガルがその隣を歩いた。
二人の影が、夕方の廊下に並んで伸びていた。
シンはそれを見て、ふと思った。
——こんな景色が、当たり前になっていく。
それが今は——とても、嬉しかった。




