第十話 謁見の間の大惨事
王宮に来て、五日が経った。
シンの不幸体質は、相変わらず健在だった。むしろ、舞台が広くなった分だけ被害範囲が拡大していた。
初日のソファとカーテンは序の口だった。
二日目は朝食の席でジュースを盛大にこぼし、拭こうとしてテーブルクロスを引っ張り、テーブルの上のものを全部床に落とした。三日目は廊下で掃除中の使用人とぶつかり、バケツの水を二人でかぶった。四日目は厨房に迷い込んで、大鍋のスープをかき混ぜていたところに背後から声をかけられて驚き、お玉を勢いよく振り回して壁にスープの巨大な染みを作った。
そして五日目の今日——謁見の間での出来事が起きた。
発端は些細なことだった。
シンは王宮の構造をまだ完全に把握できておらず、案内なしに歩くとよく迷子になった。その日も、ベルトに頼まれた書類を届けようとして道を間違え、気づいたら謁見の間の脇扉の前に立っていた。
「……あれ、ここじゃない」
引き返そうとした瞬間、脇扉が内側から開いた。
「——っ」
扉の裏に隠れる形になったシンは、そのまま扉の陰に張りついた。まずいまずいと思いながら覗いてみると、謁見の間には十数人の人間がいた。豪華な衣装からして、どこかの国の使節団だろうか。正面にはガルが座っていて、向かいに白い衣装の男たちが並んでいる。
外交の場だ、とシンは青ざめた。
そっと扉を閉めようとした。
その時、足元に何かが転がってきた。
小さな石だった。どこから来たのかわからないが、石はシンの足の先にぶつかって、そのまま謁見の間の石畳を転がっていった。
かつん、かつん、かつん。
静まり返った謁見の間に、石の転がる音が響いた。
全員の視線が、石が来た方向——つまり、扉の陰のシンの方へ向いた。
「…………」
シンは扉の陰で、石のように固まった。
ガルと目が合った。
ガルの表情は微動だにしなかった。ただ金色の目だけが、「お前か」と明確に語っていた。
使節団の代表らしき男が、首を傾げながら扉の方を見た。
「……何か、おられますか」
「いない」
ガルが静かに即答した。
「しかし、音が」
「風だ」
「……今日は無風かと」
「そういう日もある」
ガルはそれだけ言って、何事もなかったように使節団に向き直った。驚異的な平常心だった。シンは扉の陰で、心臓が口から飛び出しそうになりながら、ゆっくりと後ずさりした。
廊下に出た瞬間、膝がかくかくした。
「……死ぬかと思った」
壁に手をついて、息をついた。
その場にしゃがみ込んでいると、廊下の向こうからベルトが早足でやってきた。シンの顔を見て、一瞬で状況を察したらしかった。
「シン様……謁見の間の前で何をなさっているのですか」
「迷子になっていたら、着いてしまって」
「謁見は今、重要な外交の場でございます」
「……わかっています」
「扉の陰に隠れていらしたのですか」
「……見ていたんですか」
「廊下の角から、一部始終を」
シンは頭を抱えた。
「石が転がってきたのは、本当に僕のせいじゃないんです」
「……存じております」
「でも、全部僕のせいに見えますよね」
「……まあ、結果的には」
「すみません」
ベルトはため息をついた。今日のため息は昨日より少し長かった。シンの滞在に比例して、ベルトのため息が深く長くなっていた。
「謁見が終わりましたら、陛下にお詫びを」
「……はい」
「それと書類はどちらに」
「あ」
シンは手元を見た。書類がなかった。
二人で顔を見合わせた。
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書類は謁見の間の前の廊下に落ちていた。石と一緒に転がっていたらしく、端が少し折れていた。
ベルトがそれを無言で拾い上げて、無言でシンに渡した。
シンは無言で受け取った。
「……ベルトさん」
「はい」
「もしかして、僕が来てから白髪増えましたか」
「……気のせいでございます」
「本当に?」
「……本当でございます」
長い間があった。
「……一本くらい、増えたかもしれません」
「すみません」
「いいえ」
ベルトは短くそれだけ言って、きびきびと廊下を歩き出した。シンはその背中を見ながら、本当に申し訳ないと思いつつ、どこか——この人のそばは、居心地がいいとも思った。




