第5話 染み抜きの始まり
「ガルベス子爵の周辺から洗う、と申しましたが」
翌朝のサロンで、シリルが書類の束をテーブルに広げた。
「実は、既にある程度の情報は集まっております」
「抜け目ないわね」
「お嬢様がいつかこうおっしゃるだろうと思っておりましたので」
シリルが微かに笑みを深める。私は紅茶を一口飲みながら、広げられた書類に目を通した。
ガルベス子爵。王都の東側に広大な屋敷を持つ、中位の貴族だ。表向きは温厚な行政官として知られているが——。
「国境付近の警備会社に対して、不正な契約を結んでいます。差額分が子爵の口座に流れる仕組みです。さらに、複数の商人に便宜を図る代わりに、裏金を受け取っている形跡もあります」
「証拠は?」
「状況証拠が揃っています。ただ、法的に動くには、もう一押し欲しいところです」
つまり、直接の証拠が必要だということ。
「染み抜きは、力任せに擦っても落ちませんわ。適切な溶剤を、正しい手順で使わないと」
「おっしゃる通りです。では、どこから手をつけますか」
私はしばらく考えてから、口を開いた。
「子爵が使っている会計士を当たりなさい。帳簿を管理している人間は、必ず何かを知っている」
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その日の夕方、シリルが動いた。
ガルベス子爵の会計士——中年の小太りな男——が、こっそり裏口から屋敷を出るところをリタが確認した。向かった先は、王都の外れにある小さな酒場だ。
翌日、その男がサロンに連れてこられた。
「な、なんで私がここに……」
震える男の前に、私はゆっくりと腰を下ろした。
「落ち着いてください。あなたを傷つけるつもりはありませんわ」
「……本当ですか」
「ええ。ただ、少しお話を聞かせていただきたいだけです」
男の目が泳ぐ。シリルが静かにお茶を出した。温かい湯気が漂う。
「あなたは長年、ガルベス子爵の帳簿を管理してきた。その中で、おかしいと思ったことはありませんでしたか」
沈黙が続いた。
男は湯飲みを両手で包むようにして持ち、ゆっくりと息を吐いた。
「……ありました」
「聞かせてください」
男が語り始めたことは、シリルの持ってきた資料を大きく上回る内容だった。不正流用の具体的な金額。裏金を渡していた商人の名前。そして——他国との、不審な取引の痕跡。
「他国、ですか」
「はい。詳しくはわかりません。ただ、子爵が時々、見知らぬ外国人と会っているのを見たことがあって……」
私は紅茶を一口飲み、静かに考えた。
ガルベス子爵が他国と繋がっている。これは、単純な国内の汚職ではないかもしれない。
「よく話してくださいました」
「私、どうなりますか」
「あなたは証拠を提供してくださった。それで十分ですわ」
男が小さく頷いた。その目には、長年の重荷をようやく下ろせたような、微かな安堵の色があった。
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夜、シリルと二人で情報を整理した。
「他国との接点が出てきましたね」
「ええ。ガルベス一人を片付けても、根が残る可能性があるわ」
「では、焦らず丁寧に?」
「染み抜きは急いでも意味がありませんわ。浸け置きの時間が必要な場合もある」
窓の外では、夜の王都が静かに広がっていた。
まだ見えていない汚れが、もっと深いところに潜んでいる。そんな予感がした。




