第34話 七年間の澱
翌朝、シリルとリタを連れてネーベル・アルバの家を訪ねた。
昨日と同じ扉を叩くと、すぐに開いた。男は私たちを見て、少し安堵したような顔をした。昨夜より顔色がいい。眠れたのかもしれない。
部屋の中は質素だった。机と椅子と、本が数冊。窓は小さく、外の光がわずかに入るだけだ。七年間、こういう場所を転々としてきたのだろうと思わせる。
「話してもらえますか」
私が言うと、男は椅子に座り、長い息を吐いた。
「どこから話せばいいか」
「最初から、ですわ」
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ネーベル・アルバが語ったのは、十五年分の話だった。
もともとは、ただの研究者だった。古い言語と暗号の解読を生業にして、各地を旅していた。フォル・ネビュラに流れ着いたのは、十五年前のことだ。
「そこで、声をかけてきた人間がいました。仕事を依頼したい、と。内容は、各国の外交文書の解読と翻訳。悪い仕事ではなかった。ただ——」
「段々と、仕事の性質が変わっていった」
「そうです。気づいた時には、表に出せない文書を扱うようになっていた。断ろうとしたら、娘のことを仄めかされた」
「エルナを」
男の顔が歪んだ。
「娘は当時まだ五歳でした。妻はすでに亡くなっていて、二人で暮らしていた。娘に何かあれば、という恐怖で、抜けられなくなった」
「七年前に姿を消したのは」
「娘を逃がすためです。組織に気づかれる前に、信頼できる人間に預けた。そして私は姿を消した。組織が私を追っている間、娘には近づけない。そう思って」
「エルナは今、どこにいますか」
ネーベル・アルバが私を見た。
「あなたは知らないのですか」
「知りません」
男が少し驚いた顔をした。それから、静かに言った。
「王家に預けました。国王に直接、娘の保護を頼んだ。七年前のことです」
部屋に沈黙が落ちた。
国王がエルナ・アルバの名前を知っていた理由が、これでわかった。七年間、預かっていたのだ。そして「今はまだ話せない」と言ったのは——。
「娘に会いたい」男が言った。「七年間、ずっと」
「それはこちらで確認しますわ」
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「組織について、教えてください」
ネーベル・アルバが話したことは、シリルが整理しながら手帳に書き留めた。
セドゥン商会は表向きの組織で、実際に動かしているのは別の人間たちだ。各国に窓口となる人間を置き、情報と資金を循環させている。ガルベス子爵も、ヴァルタス猊下も、その窓口の一つに過ぎない。
「中心は誰ですか」
ネーベル・アルバが少し躊躇してから答えた。
「冥界です」
「冥界が、中心」
「七年前に気づきました。この組織は、冥界にいる何かに資金と情報を集めている。なぜそんなことが可能なのか、私にもわからない。ただ、暗号の解読を続けるうちに、全ての命令が冥界の方向から来ていることがわかった」
「冥界にいる何かが、この世界の腐敗を操っている、ということですわね」
「そう思います。排水管の先に、大きな詰まりがある」
私はしばらく考えた。フォル・ネビュラから聖教国まで、全部繋がっていた。その根が冥界にある。
「協力してもらえますか。冥界に入るために、あなたの知識が必要ですわ」
「最初から、そのつもりで待っていました」
男が初めて、少しだけ笑った。疲れた笑いだったが、本物だった。
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宿に戻ったのは、昼過ぎだった。
シリルが簡単な食事を用意してくれた。パンとスープ、それから果物が少し。
「随分と大きな話になりましたね」
「ええ。でも、やっと根元が見えましたわ」
「冥界にいる何かが、この世界に澱を作り続けている。それを取り除けば、全部片付く」
「そういうことですわ」
リタが窓の外を確認した。外に人影はない。今日のところは安全だ。
スープを一口飲んだ。シンプルな塩味で、体に染み渡る。
七年間、ネーベル・アルバは一人でこの秘密を抱えていた。娘と離れて、誰にも話せずに。その重さを、今日初めて少しだけ感じた。
冥界の入口は、ここから半日の距離にある廃坑だ。準備が整えば、踏み込む。根元の詰まりを取り除くために。




