第3話 ゴミ箱に群がるハエたち
「……クレア・ヴィクトリアめ」
王城の執務室で、第一王子は羽根ペンをインク壺に叩きつけた。
婚約破棄から数日が経っていた。あの大広間での一幕が、頭から離れない。あの青白い炎。腰を抜かして震えた自分の姿。父上が平謝りする姿。
「あれはハッタリだ。魔導具を使ったトリックに決まっている」
そう言い聞かせても、指先が微かに震えた。
扉が開き、甘い香水の匂いと共にモモが入ってきた。フリルのたっぷりついた新しいドレスをまとっている。あの日に灰になったドレスの代わりに、王子が新調したものだ。
「殿下、お仕事お疲れ様ですぅ」
「おお、モモ。今日も愛らしいな」
モモが腕に絡みつきながら上目遣いで微笑む。この笑顔を見ていると、何もかもどうでもよくなる気がした。
「ね、殿下。ガルベス様がお待ちですよ。殿下のお力になりたいって、おっしゃっていましたもの」
しばらくして、恰幅のいい中年の貴族が執務室に入ってきた。ガルベス子爵だ。
「殿下、この度のご婚約、誠におめでとうございます。つきましては、いくつか有益なご提案が——」
以前なら「不適切な癒着だ」とクレアに一蹴されていた案件だった。
だが今は違う。あの「蓋」はもういない。
「……話を聞こう」
王子はサインを始めた。国境警備の予算削減。一部貴族への免税特権。本来であれば国を傾かせかねない法案に、次々と署名していく。
モモが満足そうに微笑んでいた。
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同じ頃、ヴィクトリア家のサロンでは。
「というわけで、王城のゴミ箱には面白いほどハエが群がっているようです」
シリルが紅茶を注ぎながら、淡々と報告を上げていた。
「ガルベス子爵を筆頭に、これまでお嬢様が目を光らせていた不燃ゴミたちが、水を得た魚のように動いております」
「想像通りですわね」
私は焼きたてのスコーンにクロテッドクリームをたっぷりと塗りながら、優雅に微笑んだ。
私が婚約者という「蓋」をしていたからこそ、あのゴミ箱の中身は外に漏れ出さずに済んでいた。自ら蓋をこじ開けて、悪臭を放つゴミをかき集めるなんて。本当に救いようのない方。
「いかがなさいますか、お嬢様。このまま放置すれば国庫が傾くのも時間の問題ですが」
シリルの問いに、私は紅茶を一口飲んでから答えた。
「しばらく泳がせておきなさい。中途半端に片付けるより、ゴミ箱が完全に満杯になってから箱ごと焼却した方が効率的ですもの」
リタが背後でハサミをチャキッと鳴らした。
「それに、国王陛下からの特命が下りるのも、そう遠くないはずですわ」
窓の外に目を向ける。王都の空が、じわじわと淀み始めていた。
次に王城へ向かう時は、本当の意味でのお掃除を見せて差し上げましょう。
スコーンをもう一口かじりながら、私は静かに笑った。




