第15話 L・Aという名前
翌朝、シリルは早くから書類を解読していた。
私が起きた時には、テーブルの上に細かい文字でびっしりと書かれたメモが三枚並んでいた。昨夜のファイルから読み取った内容を整理したものだ。眠ったのだろうかと思って聞いたら、「必要ありません」と笑顔で返ってきた。怖い執事だ。
「まとめるとこうなります」
シリルがメモを指しながら説明を始めた。
「セドゥン商会はここ八年間、複数の国をまたいで情報と資金を中継してきました。王都側の窓口がガルベス子爵で、この港が受け渡しの場所として機能していた」
「L・Aという人物は?」
「指示書の文体と内容から見て、この組織全体を動かしている人物と思われます。ただし、名前も顔も、王都にいるのか外国にいるのかも、今の資料からはわかりません」
「頭文字だけ」
「はい。ただ一点、手がかりがあります」
シリルが書状の一部を指さした。
「この指示書に、『ネビュラの古書店を経由して』という一文があります。フォル・ネビュラに、L・Aが使っている情報の受け渡し場所がある可能性があります」
「古書店、ですか」
「港町に古書店は二軒あります。一軒は観光客向けの土産物屋に近い店。もう一軒は——」
「もう一軒は?」
「四十年以上営業している老舗で、主人は地元では有名な人物のようです。名前はゾーラ・ペイジ。ヤンスさんに確認したところ、物知りで口は堅い、と」
「行ってみる価値はありますわね」
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午後、私は一人で古書店を訪れた。
シリルとリタは別の場所で動いている。古書店に三人で押しかければ目立つ。一人の方が、普通の客に見える。
店は港から少し離れた、路地の奥にあった。木の看板に「ラマン・ブックス」と彫られている。扉を開けると、古い紙の匂いが漂ってきた。
棚には年代物の本が並んでいる。地図、航海記録、植物図鑑。港町らしい品揃えだ。
「いらっしゃい」
奥から声がした。七十代くらいの老人が、椅子に座って本を読んでいた。白髪で、目が細い。穏やかな顔だが、こちらを見る目は思いのほか鋭かった。
「旅の方ですか」
「ええ。本が好きで、少し立ち寄らせていただきました」
「どうぞ、ゆっくり見ていってください」
私は棚を眺めながら、さりげなく話しかけた。
「長くやっていらっしゃるんですか」
「四十年ほどになりますね」
「この港で、四十年」
「霧の多い場所ですが、嫌いじゃない。霧は全てを隠してくれるが、同時に全てを同じ距離に置いてくれる。遠くのものも、近くのものも、同じように白くなる」
老人が静かに笑った。
「あなたは何を探しているのですか」
「本、ですわ」
「そうですか」
老人は何も言わなかった。ただ、視線が一瞬だけ、棚の奥の方に向いた。私はその方向を確認してから、一冊の古い地図帳を手に取った。
「これをいただけますか」
「構いません」
代金を払いながら、私は静かに言った。
「L・Aという方を、ご存知ですか」
老人の手が、一瞬だけ止まった。
「……知らない名前ですね」
「そうですか。失礼しました」
店を出る時、老人の目が背中に刺さるのを感じた。知っている。でも、今は話す気がない。それだけは確かだ。
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宿に戻ると、シリルが待っていた。
「古書店はいかがでしたか」
「白を切られましたわ。でも、反応はありました」
「では、もう少し時間をかけますか」
「ええ。急いで擦っても落ちない汚れと同じように、この老人も時間が必要だと思いますわ」
リタが窓の外を見ていた。その視線の先には、霧に包まれた港が広がっている。
「セドゥン商会の倉庫は、明日また動きがありますか」
「はい。別のルートで荷が入るという情報があります」
「では、今夜はゆっくり休みましょう」
シリルが夕食を用意してくれた。今日は港の干物と、根菜のスープだ。素朴だが、体に染みる味がした。
熱いスープを一口飲みながら、私はL・Aという文字を頭の中で繰り返した。この港のどこかに、その人物に繋がる糸がある。
必ず、見つけますわ。




