表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

34/59

34:麦は謳う

「あとは二十分くらい焼くだけ。ただ、しっかり膨らんで、割れ目の間にも焼き色がついて、全体が乾いた状態まで行かないと、出した瞬間しぼんじゃう」

「なるほどね。ちょっと気をつけて焼くよ」

「じゃぁあたし、今のうちに中に詰める、クリーム作っちゃうわね」


 今度は砂糖と粉が用意されて、鍋に入れたミルクと卵の黄身に、振るいながら混ぜられた。


「こっちもこうやって、あとは火加減見ながらかき回すだけ」


 厨房おばさんが釜から離れて、イサさんの手元を見に行く。


「へぇ、簡単だね」

「でしょ」


 これで釜は釜でちゃんと気にしてるんだから、おばさんって生き物は奇妙だ。

 どうやったら背中のほうにあるものを、把握できるんだろう?


「で、こんな感じになったら、冷ましてでき上がり。後はこれを、中に詰めるだけ」

「こりゃおいしそうだねぇ」


 厨房おばさんの言うとおり甘い匂いがして、たしかにおいしそうだ。

 すごくすごくつまみ食いしたい。でもその衝動を、がんばって抑え込む。


 食い物の恨みは怖い、父さんはよくそう言ってた。

 うっかり一口食べたせいで、一生酷い目に遭う話もいっぱい聞いた。


 そういう目に遭うって分かってるものを、「おばさん」なんて恐ろしい種族からかすめ取ったら、命がいくつあったって足りはしない。

 おばさんたちは僕の心の叫びなんてお構いなしに、井戸端会議に花を咲かせてた。


「あぁそうだ、イサ、思い出したんだがね」


 厨房おばさんが言う。


「橋の工事の人足に麦を払うって話、ホントかい?」

「本決まりじゃないけど、そういう話は出てると思う」

「なら、相談があるんだよ」


 珍しく真剣な顔で、厨房おばさんがイサさんに訊いた。


「実はあたしの出は、山の上のほうでね。寒くてあまり麦が取れないんだ。一年中雪があるくらいだから」

「あー、寒すぎるのね」


 僕もそういう話は聞いたことがある。

 植物はどれも適した場所があって、そこを外れたら上手く育たない。


「寒いだけじゃなく、何せ山の北側だからね。日がそんなに当たらないんだよ」


 だとすると厨房おばさんの出身は、領地の南東、マヌグス領との境の山の上だ。

 たしかにあそこは貧しくて、ちょっと不作だと飢え死にが出る場所だった。


「だからさ、もし給金が麦で出るなら……村の者に知らせようかと思ってねぇ。正直、金をもらう以上にありがたいんだよ」

「なるほど……」


 イサさんが考え込む。


 少し下を向いて口のあたりに手をつけて考え込んでる様子は、それだけ見たらちょっと可愛い。

 でも腹の中で何を考えてるのか想像すると、背筋がなんだか寒くなる。


「とりあえずそれ、姫さまに言ってみる。黙ってるよりは、言ったほうがいいだろうから」

「恩に着るよ。っと、どうやら焼けたみたいだ。出すよ」


 厨房おばさんが釜を開けると、ころころしたきつね色のものが、たくさん出てきた。


「よかった、しっかり焼けてる。これならしぼまないわ」

「その辺は任しとくれ。ダテに三十年近く、釜の番をしちゃいないよ」


 三十年って、僕が生まれる前からじゃないか。

 だとするとこの厨房おばさん、いったい何歳なんだろう?

 恐ろしくて訊けないけど。


「で、この中に、このクリームを詰めてでき上がり」

「詰める? どうやるんだい?」

「ナイフ貸して」


 イサさんが小さいナイフを受け取って、上のほうをすぱっと切った。


「焼けたこの皮ね、こういうふうに中が空洞なのよ。ここへ詰めるの」

「分かった、ならあたしもやるよ」


 おばさん二人がナイフを手に、すぱすぱ皮を切っていく。

 ただ何しろ数が多いから、すぐには終わらなかった。


「間に合うかな?」

「いざとなったらイサ、あんたは先にお茶会にお行きよ」

「ありがと、そのときはそうさせてもらうわ」


 それを見ながら、僕はただ座るだけだ。

 つまみ食いはぜったいできないし、かといってここを出るわけにもいかない。


 レシピをいつイサさんが、書くって言いだすか分からない。

 そのとき居なかったら、あとで何を言いふらされるか。


 それにもし僕がレシピを書きとめれば、そのことが姫さまの耳に入るかもしれない。

 そうなればもっと、お近づきになれるかもだ。


 そんなことをいろいろ考えてる僕の横を、子供が駆け抜けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ