本物はいらない
翌日の夜になってもヒナは帰ってこなかった。
タクミは何度も電話をかけた。
メッセージも送った。
だが返信はない。
昨日は怒っているだけだと思っていた。
しかし時間が経つにつれ、不安の方が大きくなっていく。
タクミは友人たちへ片っ端から連絡した。
ヒナを見ていないか。
何か聞いていないか。
だが誰も知らなかった。
そして夜。
一本の電話がかかってきた。
ヒナの女友達だった。
「ヒナから伝言を頼まれてるの」
タクミは身を乗り出した。
「伝言って?どういうこと?」
「もうあなたと話したくないみたい」
「え……」
そして彼女は小さくため息をついた。
「もう別れて、別の男と暮らすそうよ」
タクミは固まった。
「……は?」
「連絡もしないでほしいって」
頭が真っ白になる。
「まって!別の男って誰だよ」
女友達は少し迷ったあと答えた。
「レンって人だって」
タクミの表情が凍りつく。
レン。
同じ職場の後輩のレン。
電話が切れると同時に、すぐにレンへ電話をかける。
だが出ない。
もう一度。
出ない。
何度かけても繋がらなかった。
◇
翌朝。
タクミは出社すると真っ先にレンの席へ向かった。
レンは顔を上げた。
「ヒナがお前の家にいるのは本当か?」
タクミの声は低かった。
レンは答えない。
「聞いてるんだ答えろ」
レンは目を合わさず小さく頷く。
タクミの拳が震える。
「いつから、いつから付き合ってる」
「……二週間前です」
「二週間?」
タクミは復唱した。
レンは再度、視線を逸らす。
「彼女が決めたことなので」
「……」
しばらく沈黙が続く。
タクミは怒りを堪えるようにレンを睨みつける。
だが殴ることも怒鳴ることもなかった。
ただ静かに背を向ける。
何も言わずに自席へ戻った。
◇
仕事にならなかった。
コードを見ても頭に入らない。
会議も耳に入らない。
ヒナの顔ばかり浮かんでくる。
何が嫌だった。
何が足りなかった。
何を間違えた。
考えても答えは出ない。
その時だった。
マネージャーが大きな箱を持って現れた。
「タクミ」
「はい」
「メーカーから新エンジン届いたぞ」
箱の側面には大きく書かれている。
『次世代AIシミュレーター』
「こいつの性能評価を頼みたいんだ」
タクミは箱を見つめた。そしてレンの方を見る。
そして口を開く。
「これ、一人でやっていいですか。足手まといはいらないので」
「ああ、別に構わないけど・・・」
マネージャーは気まずそうに去って行った。
「ありがとうございます」
タクミは箱を抱える。
そして誰も使っていない会議室へ向かった。
◇
一番奥の静かな部屋だった。
タクミは椅子に座り、ヒナの顔を思い出す。
笑顔だった。
つい数日前まで隣にいた。
それなのに今は後輩のレンと暮らしている。
「なんでだよ……」
机を叩く。
乾いた音だけが響いた。
何が嫌だった。
何を求めていた。
自分はずっとヒナを大切にしていたはずだった。
仕事が忙しいのだって理解してくれていると思っていた。
だが違った。
ヒナは、何も言わずに自分を捨てたのだ。
その時だった。
視線がシミュレーターの説明書に止まる。
『次世代高性能AIチップ搭載』
『ユーザーとの会話履歴を学習』
『人格パターンの再現が可能』
タクミは無言で読み続けた。
そして小さく笑う。
だが次第にその笑みは歪んでいく。
「そうか」
スマホを取り出しヒナの写真を睨みつける。
「馬鹿馬鹿しい」
「もう、お前のことを考えるのはやめだ」
答えを待つのも。
理解しようとするのも。
全部。
タクミは新エンジンに手を置いた。
「そんな時間があるなら」
静かな会議室で呟く。
「二度と俺を裏切らないお前を、この手で作ってやる」
ヒナの写真を机に伏せる。
そしてモニターの電源を入れた。
青い光が会議室を照らす。
「本物のお前なんか、もういらない」




