タイムリミット
現実の世界
その日の夜。タクミは机に向かっていた。パソコンもゲームも起動していない。目の前には一枚の便箋だけがある。
ペンを握り、ゆっくりと書き始める。
謝罪ではない。言い訳でもない。戻ってきてほしいとも書かなかった。ただ今の自分の気持ちだけを書いた。
何度も書き直し、何度も消す。気が付けば深夜になっていた。
ようやく書き終えたタクミは封筒に手紙を入れる。
「これでいいんだよな」
誰も答えない。
だがAIのヒナなら、きっとそれが一番いいと言う気がした。
タクミは少しだけ笑う。
そのとき、ふと思い出した。
「バックアップしないとな」
明後日には新エンジンが回収される。AIたちのキャラクターデータを保存しておく必要がある。
タクミは引き出しからUSBメモリを取り出し、ポケットへ入れた。
◇
翌日。
タクミは開発室の様子を見ていた。そしてレンが一人になったタイミングを見計らって近づく。
ひと月以上まともに口を聞いていない。
レンの背後まで来たタクミ。
「おい、ミスターアーチェル!」
ガタン。
レンは椅子から転げ落ちた。
「ど、どうしてそれを……」
レンの顔から血の気が引いた。
タクミは昨晩書いた封筒を差し出す。
「これをヒナに渡してほしい」
レンは、封筒を見つめたまま動かない。
「別に戻ってきてくれとか怒ってるとか書いたわけじゃない」
タクミはレンを見る。
「なんだったら先に読んでもいい」
レンが驚いたような顔を上げた。
タクミは頭を下げる。
「頼む。必ずヒナに渡してほしい」
しばらく沈黙が続いた。
やがてレンは封筒を受け取る。
「……わかりました」
それだけだった。
◇
会議室へ戻ったタクミは急いでバックアップを始めた。
ヒナ、ロロ、ララ。
キャラクターデータのコピーは問題なく終わる。
しかし途中で違和感を覚えた。
「あれ?」
AIの学習データだけが見当たらない。
「そんな馬鹿な……」
タクミは検索を始める。設定ファイルを開き、ログを調べ、内部データを確認する。
そして顔色が変わった。
「なんだよこれ……」
学習データは無数の領域に分散されていた。
どれがヒナで、どれがロロで、どれがララなのか全く分からない。
「複雑すぎる……」
もしコピーに失敗したら。
今のAI学習をしたヒナは消える。
ゲームへ連れてきたばかりの頃のヒナに戻ってしまう。
タクミは唇を噛んだ。
「明日までにやれっていうのか……」
そのときだった。
会議室のドアが開く。
マネージャーだった。
「タクミ、その新エンジンなんだけどさ」
嫌な予感がした。
「今日中に送ってくれ」
「はあ!?」
タクミが立ち上がる。
「明日までじゃなかったんですか?」
「メーカーの都合で前倒しになったんだよ。さっき電話があってさ」
タクミは時計を見る。
最後の定時便まで残り一時間ほど。
「一時間じゃ無理ですよ」
マネージャーは気楽に答える。
「データを消すの30分くらいだろ?余裕じゃん」
そう言い残して部屋を出て行った。
静まり返る会議室。
タクミはモニターを見る。
タクミは拳を握り締めた。
「とんでもないことになったぞ……」




